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拾阿弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

拾阿弥十阿弥(じゅうあみ、生年不詳 - 永禄2年(1559年))は、戦国時代茶坊主尾張国守護代織田氏に仕えた同朋衆

捨阿弥」は誤記[1]

生涯

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出自は愛智義成の子孫と称した土豪愛智氏といわれる。織田信長寵臣であるのをいいことに、信長配下の武将に対して以前から横柄な態度が多かったという。ある時、若年にはかぶき者であったという前田利家(犬千代)佩刀の(利家正室まつからもらった笄で、まつの実父の形見であるという)を盗み取り、激昂した利家に危うく成敗されかかるも、信長の諭しや、拾阿弥と親交のあった佐々成政の仲裁によって、利家が怒りを鎮めたために一度は命拾いしたが、それでもなお飽き足らずに度重なる侮辱を繰り返したと言われ、ついに信長の面前で利家に斬殺された。        

世に「笄斬り」とよばれる。

利家は、柴田勝家森可成らの信長への取り成しにより、辛うじて成敗こそ免れたものの、激怒した信長からの出仕停止処分を受けて、浪人同然の不自由な暮らしを余儀なくされる憂き目にあい、その後の桶狭間の戦い森部の戦いの功績により、ようやく許された。

登場作品

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脚注

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  1. ^ Googleブックス検索結果、2015年6月8日閲覧。