コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

揖斐政景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
揖斐政景
時代 安土桃山時代 - 江戸時代初期
生誕 不詳
死没 寛永18年1月28日1641年3月9日
別名 半四郎、与右衛門
戒名 如天
墓所 宝蓮寺(神奈川県秦野市
幕府 江戸幕府小田原町奉行、駿府町奉行
主君 徳川家康秀忠
氏族 土岐氏流揖斐氏
父母 父:揖斐政雄、母:渥美刑部の娘
兄弟 政景政吉
内藤正成の娘
政綱政之
松平重次
テンプレートを表示

揖斐 政景(いび まさかげ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武将

生涯

[編集]

政雄織田信雄の家臣だったが、信雄が出羽に配流された際に従って同地で客死した。政景は堀尾吉晴の元にいたが、慶長7年(1602年)かつて小牧・長久手の戦いで父と縁のあった徳川家康に召され、下総海上郡に500石を与えられて徳川秀忠付きとなった。大坂の陣では伏見城番を務め、戦後は下総香取郡武蔵橘樹郡内に200石を加増された。元和7年(1621年小田原町奉行代官を兼務し、相模大住郡に200石を加増。寛永9年(1632年稲葉正勝に小田原が与えられるまで務めた。寛永11年(1634年)からは駿府の町奉行を務めた。

出典

[編集]