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内藤正成 (右京進)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 正成(ないとう まさなり、永禄7年(1564年) - 慶長10年12月12日1606年1月20日))は、戦国時代の武将。通称四郎左衛門新五郎 [1]。諱は安成とも。

略歴

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内藤正成の子。妻は織田永継の娘、戸田一西の娘。子に忠俊、正成、娘(内藤正重妻)、娘(鈴木伊直妻)、娘(揖斐政景妻)らがいる。

徳川家康に仕えた。天正12年(1584年小牧・長久手の戦いに従軍し、慶長5年(1600年関ヶ原の戦いにも共奉した。

慶長7年家督を継ぎ、近江国坂田郡において2000石を加増された。

慶長10年(1605年)12月12日死去。法名浄安 [2]。墓所は神田無量院。

参考文献

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  • 『新訂寛政重修諸家譜 13』(続群書類従完成会、1965年、219p)
  • 『藤原氏族系図 3』(展望社、1988年、410p)

脚注

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