内藤正成 (右京進)
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内藤 正成(ないとう まさなり、永禄7年(1564年) - 慶長10年12月12日(1606年1月20日))は、戦国時代の武将。通称四郎左衛門、新五郎 [1]。諱は安成とも。
略歴
[編集]内藤正成の子。妻は織田永継の娘、戸田一西の娘。子に忠俊、正成、娘(内藤正重妻)、娘(鈴木伊直妻)、娘(揖斐政景妻)らがいる。
徳川家康に仕えた。天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに従軍し、慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにも共奉した。
慶長7年家督を継ぎ、近江国坂田郡において2000石を加増された。
慶長10年(1605年)12月12日死去。法名浄安 [2]。墓所は神田無量院。
参考文献
[編集]- 『新訂寛政重修諸家譜 13』(続群書類従完成会、1965年、219p)
- 『藤原氏族系図 3』(展望社、1988年、410p)
脚注
[編集]- ^ 続群書類従完成会 1965, p. 219.
- ^ 展望社 1988, p. 410.