改造空母
改造空母(かいぞうくうぼ)[1][注釈 1]、または改装空母(かいそうくうぼ)とは[3][注釈 2][注釈 3]、他艦種や商船等を航空母艦(空母)に改造した艦船の総称である[注釈 4][注釈 5]。 大型軽巡洋艦を改装したインディペンデンス級軽空母[7][8][注釈 6]、貨客船や商船を改装した護衛空母[10](補助空母、特設航空母艦)などが[注釈 7] 、代表例である。
概要
[編集]航空母艦という艦種が出現する以前、第一次世界大戦においては既存の軍艦や商船を小改造して水上機を運用することが行われ、やがて本格的な水上機母艦が出現した。航空母艦の開発も水上機母艦の延長線上にあり、他艦種の改造から始まった。 ワシントン海軍軍縮条約の結果、飛行甲板を備えた「航空母艦」の定義が定めらる。同軍縮条約では規定枠内において巡洋戦艦や戦艦を空母に改造することが認められたが、いずれも排水量に基づく容積と本来の艦種における高速力が艦上機の発着に有利であったためである。これらは海軍の主戦力と認められ、機動力に優れることから当初から空母として建造されたものとあわせて艦隊空母(正規空母)とも呼ばれる[注釈 8]。 その一方で、平時には貨客船として、有事には徴用したのち簡易的な航空母艦や仮装巡洋艦へ改造しようという機運もあり、こちらは補助空母、改装空母、特設空母などと呼ばれる[注釈 9]。
日本海軍において航空母艦とは、軍艦としての航空母艦と、特殊艦や商船を改造した特設航空母艦に大別されていた[14]。これは軍縮条約における空母の保有制限に端を発する。ワシントン軍縮条約においては制限外とされた排水量1万トン以下の補助空母(軽空母)を増勢する目論見は、ロンドン条約において制限の対象となったことから、空母「龍驤」1隻で終わった[15]。 日本海軍は、開戦後に短期間で空母に改造できる特殊艦を保有したり、空母改造を前提とした貨客船を民間に保有させるというアイデアへ転換した。言い換えれば平時から条約制限内の空母として公表できるものが「正規空母」であり、戦時における空母の増勢を図ることを秘匿しつつ平時から条約制限外の「改造元」として予め軍艦あるいは商船を建造し、かつそれを空母へ改造したものが日本海軍における「特設航空母艦」となる。
第二次世界大戦の直前から戦時中にかけて、航空戦力不足を補うため、あるいは短期間で空母を取得することを意図して他艦種や商船等を航空母艦に改造することは、枢軸国や連合国の双方で計画され[注釈 10]、いくつかの事例で具現化した。 第二次世界大戦の開戦後にアメリカ海軍やイギリス海軍では多数の護衛空母が就役した。これらは商船を改造あるいは商船の線図を流用したことで知られるが、実際に完成している商船や貨物船から改造工事を行ったものは初期の艦で(イギリス海軍のオーダシティ、アメリカ海軍のロング・アイランドなど)、ほとんどの艦は建造途中で護衛空母に切り替えられるか、新規の護衛空母として建造された。護衛空母は高速力の発揮はできなかったが、カタパルトを装備することによって大型機の運用にも耐え、また低速であるがゆえに高価で製造に手間のかかる大出力が不要であることも大量建造に有利に働き、戦争に勝利する原動力とも評された[16]。
一方大日本帝国海軍では、空母改造を前提にした潜水母艦に加えて、建造に際して補助金を交付した商船(浅間丸級、新田丸級、あるぜんちな丸級など)からの改造艦で劣勢な空母戦力を補うことを意図したが[14]、カタパルトの開発に失敗したことも相まって商船としては高速であっても大型化する艦上機を運用するには速度が不十分であることから期待した戦力とするには足らず、実際に改造された春日丸級特設航空母艦(大鷹型航空母艦)3隻は[注釈 11]、航空機輸送などに用いられることとなった。 隼鷹型航空母艦(飛鷹型)2隻は橿原丸級貨客船を出自とするが、艦隊型軽空母として建造されたコロッサス級よりも大型、高速であり、ミッドウェー海戦で主力空母4隻を失った日本海軍空母機動部隊にとって、貴重な戦力となった。隼鷹型(飛鷹型)は正規空母として扱われることもある[注釈 12]。
艦種を変えず艦体の一部を改造して航空機運用能力を付けたものは別の通称があり、航空戦艦(Battleship - Carrier)[17][18]、航空巡洋艦(ゴトランド、最上など)と呼ばれる。
各国の改造空母
[編集]- 水上機母艦からの改造
- 巡洋戦艦・巡洋艦からの改造
- 油槽船からの改造
- 戦艦・巡洋戦艦・巡洋艦からの改造
- 商船からの改造[注釈 21]
- アーチャー
- アヴェンジャー級護衛空母
- アタッカー級/ルーラー級護衛空母
- 商船からの改造
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 三、昭和十九年八月 ― 比島戰終了(昭和二〇、一)(中略)[2] 母艦部隊は飛行機隊編成の爲内地にあつたが第三航空戰隊の飛行機隊のみは決戰参加の見込みがあつたので水上爆撃機十數機を搭載した舊戰艦改造母艦伊勢、日向を以つて編成した第四航空戰隊と共にに決戰参加の機を待つていた(以下略)
- ^ (大阪商船)▲あるぜんちな丸(一萬二千噸)[4] 改装航空母艦海鷹となり海戰に参加して大破(以下略)
- ^ 【ニューヨーク二十三日ISS】[5] 前フランス客船ノルマンディー號は近く超航空母艦に改装されるのではないかと觀られてる、技師は同船の構造研究を終り六ケ月間に航空母艦に變更し得るとの結論に達してゐる、同船は目下沿岸巡邏隊に保管されてるが海軍へ譲り渡されれば最大にして最も速い航空母艦になると云はる(記事おわり)
- ^ 官房機密第八一〇七號 昭和十七年六月三十日決裁 航空母艦増勢實行ニ關スル件仰裁[6] 首題ノ件ニ關シテハ省部間研究ノ結果意見一致セルヲ以テ左記方針ニ依リ直ニ其ノ實行ニ着手シ極力整備促進ヲ圖ルコトニ取計可然哉 追テ軍令部ヨリノ商議手續ハ他ノ艦種ニ關スルモノト共ニ別途處理スルコトト致度 記 一.昭和十七年度ニ於テ改装完了ノコトニ豫定シアル左ノ三隻ハ出來得ル限リ速ニ之ヲ完成ス 飛鷹、大鯨、新田丸/二.昭和十八年度ニ於テハ左ノ五隻ヲ航空母艦ニ改装スルモノトシ極力其ノ工事ヲ促進ス アルゼンチナ丸、シャルンホルスト號、千歳、千代田、ブラジル丸(朱書)ブラジル丸ニ對シテハ驅逐艦用機關ノ換装使用ニ關シ研究ノ上成ルベク其ノ實現ヲ圖ルモノトス/三.第一一〇號艦ハ概ネ昭和十九年十二月末完成ヲ目途トシ航空母艦ニ改装スルモノトシ尚出來得ル限リ工事ヲ促進ス/四.飛龍型及第一三〇號艦型建造計畫(飛龍型ハ第三〇二號艦ヲ加ヘ十四隻、第一三〇號艦型ハ同型ヲ加ヘ六隻ノ豫定、別紙及別表参照)中建造中ノモノハ極力工事ヲ促進、直ニ建造又ハ建造準備着手ヲ要スルモノハ速ニ之ニ着手シ極力其ノ工事ヲ促進ス/五.航空母艦艤装ニ關シテハ完成期ヲ遅延セシメザル範圍ニ於テ戰訓ニ基ク改善事項ヲ實施シ又出來得ル限リ艤装簡單化ニ關シ研究實行ス|(朱書)(イ)艤装簡單化及戰訓取入ニ關シテハ別途研究ス/(ロ)航空機運搬艦的ノ簡易ナル航空母艦ノ建造(商船改造)及浅間丸級三隻ノ改装問題(驅逐艦用機關使用)ニ關シテハ別途研究スルコトトス(別紙、別表添)(終)
- ^ 機密第一〇〇五三〇番電(中略)[7](中略)四 作戰位置 四発大艇 三十一(ロ B22東南部 正規空母四(内サラトガ型一、ヱセツクス型三)巡改母二(エンデテンス型)特空母一(以下略)
- ^ [9] In the Rabaul raid of November 5 ―“where the ack-ack was the heaviest we have seen and the Japanese had 75 fighters to our 19,” according to Lt.Cmder.Miller ― the toughest assignment went to group 23 which rerved aboard a converted cruiser carrier of the Independence class.(以下略)
- ^ (中略)[11] carriers―none, except for perhaps a few converted auxiliary carriers(中略)The most serios shortage, as will be noted, is in carriers―plane-bearing craft―though possibly some new cruisers are being converted to carriers. Both the cruiser and destroyer types also are exceedingly low, even for defensive wscort duty.(以下略)
- ^ たとえばレキシントン級巡洋戦艦を改装した改造空母のレキシントン級航空母艦は、公刊戦史『戦史叢書』で正規空母に分類している[12]。
- ^ ロンドン會議における表題中わが國の提案にかかる『商船の武装制限に關する件』の内容は大体において商船の武装を大砲並に航空機搭載の二方面より制限せんとするものであつて、即ち商船の武装制限に關してはすでにワシントン條約第一章第十四條によつて平時より武装の準備をなすこと(但口徑六インチ以下の砲を搭載するための甲板補強はこのかぎりに非ず)が禁ぜられてゐるのであるが今回は更にこの規定の精神を擴充して戰時といへども口徑六インチ以上の砲を搭載することを禁じ、さらに商船を航空母艦に代用す目的を以てその甲板に航空機發着用の構途装置を與ふることを禁ぜんとするものである。 この提案の趣旨は勿論平時多數の優秀商船隊を有する英米が一朝事ある時ほしいままにこれらの商船が驅つて假装巡洋艦若しくは假装航空母艦として活躍せしむることを制限せんとするものであることは明かである。[13](以下略)
- ^ 【ワシントン十三日同盟】[3] 米國海軍は厖大海軍の建設に躍氣になつてゐるが、確聞するに米國海事委員會では必要の際には容易に航空母艦に改装し得る特殊の大洋就航用商船二隻の建造を計畫中と言はれ右商船は三萬五千噸の排水量を有し戰時には飛行機七十五臺を搭載して七百フイトの滑走用甲板を有し煙突の装置が從來の商船と異り最新式航空母艦と同様に舷側に置かれ速力も三十ノツトの快速で五吋高射砲を有するもので竣工の上には平時は太平洋航路に客船として就航すると言はれる(記事おわり)
- ^ (日本郵船)▲新田丸(一萬七千噸)改装航母冲鷹 ▲八幡丸(一万七千噸)同雲鷹 ▲鹿島丸(一万七千噸)大鷹 にそれぞれ艤装、各海戰に参加して果つ[4](以下略)
- ^ (日本郵船)▲橿原、出雲[4](何れも二万六千七百噸)の兩船は商船として船出せず、正式空母隼鷹、飛鷹となり南太平洋海戰に参加したがサイパンにて空爆を受け沈没(以下略)(註:マリアナ沖海戦で沈没したのは飛鷹のみ)
- ^ 書類上は竣工、実際は未成
- ^ a b c d e f g h 未成
- ^ 正規空母として扱われることも
- ^ 正規空母として扱われる
- ^ 空母化を具体的に検討したが、計画中止
- ^ 第二次世界大戦勃発後、当時は中立国のアメリカ合衆国に避難したフランスの大型客船[20]。太平洋戦争勃発後、海軍が接収して「ラファイエット」と改名し、空母改造を検討。軍隊輸送船に改造中、炎上して放棄される。
- ^ RO-ROコンテナ船を改造
- ^ コンテナ船を改造
- ^ アメリカよりレンドリース
- ^ 空母化は計画のみ
- ^ 空母としては未成
出典
[編集]- ^ #高松宮日記7巻 558頁〔 十月六日(金)荒天準備、雨(略)〔予定約束〕〇八一五「信濃」(戦艦改造空母)命名式。皇族御差遣ナシ。海軍大臣来レル由 〕
- ^ 「「第3、経過概要」、第3段作戦の構想と経過の概要 昭和18~20(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C16120699000 p.17
- ^ a b “太平洋航路就航の 米國特殊大客船 必要の場合には容易に航空母艦に改装し得る”. Nippu Jiji, 1940.01.13. pp. 01. 2024年6月16日閲覧。
- ^ a b c d “日本郵船と大阪商船が 戰時中喪つた豪華船 氷川、高砂、蓬莱三隻殘すのみ”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1946.10.18. pp. 08. 2024年2月11日閲覧。
- ^ “佛巨船ノルマンデー 航空母艦に改装計畫 米國技師が既に研究終る”. Nippu Jiji, 1941.10.23 Edition 02. pp. 01. 2024年3月12日閲覧。
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- ^ “Carrier Operations Against Japan Involve Grave Risks, Major Problems; Baldwin”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.02.26. pp. 02. 2024年3月15日閲覧。
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- ^ “U.S.ESCORT CARRIER TASK UNIT WINS PRESIDENTIAL CITATION IN U-BOAT WARS”. Hawaii Times, 1944.01.03. pp. 01. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “Japan Already Has Begun To Feel Stings of Admiral Nimitz's New Year Prophesy”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.01.10. pp. 02. 2024年3月15日閲覧。
- ^ 戦史叢書43 1971, pp. 66.95.
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- ^ a b 「「昭和16年度(1941年)帝国海軍戦時編制(案) 昭和10年2月12日」、帝国海軍戦時編制(案) 昭和16(1941年)(防衛省防衛研究所)」 アジア歴史資料センター Ref.C14121165400 p.2(秩父丸、浅間丸、龍田丸)、p.4(大鯨、剣埼、高崎)
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- ^ “Hyuga、Enemy Battleship、Is Found Sunk”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.07.28. pp. 01. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “Hyuga a Strange Hybrid”. Hoji Shinbun Digital Collection. Hawaii Times, 1945.08.13. pp. 02. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “ノルマンヂイ號 航空母艦に……米國参戰せば直ちに改造”. Shin Sekai Asahi Shinbun, 1941.11.22. pp. 02. 2024年3月12日閲覧。
- ^ “ノルマンディ號改装 米参戰の場合航空母艦に使役”. Manshū Nichinichi Shinbun, 1941.11.22. pp. 01. 2024年3月12日閲覧。
- ^ オスプレイ、ドイツ重巡 2006, pp. 45–46重巡洋艦ザイドリッツ
参考文献
[編集]- ゴードン・ウィリアムソン〔著〕、イアン・パルマ―〔カラー・イラスト〕『世界の軍艦イラストレイテッド4 German Heavy Cruisers 1939-45 ドイツ海軍の重巡洋艦 1939 ― 1945』手島尚〔訳〕、株式会社大日本絵画〈オスプレイ・ミリタリー・シリーズ Osprey New Vanguard〉、2006年5月。ISBN 4-499-22909-X。
- 高松宮宣仁親王、嶋中鵬二発行人『高松宮日記 第七巻 昭和十八年十月一日~昭和十九年十二月三十一日』中央公論社、1997年7月。ISBN 4-12-403397-4。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 ミッドウェー海戦』 第43巻、朝雲新聞社、1971年3月。
- 国立国会図書館デジタルコレクション - 国立国会図書館
- 第二復員局残務處理部『海軍の軍備竝びに戦備の全貌. 其の四(開戦から改(5)計画発足まで)』1951年6月 。