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第四航空戦隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第四航空戦隊(だいよんこうくうせんたい)は、日本海軍の部隊の1つ。略称は四航戦。解隊と再編成を繰り返した部隊である。

概要

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第四航空戦隊は、日本海軍が運用した航空戦隊。 初代の第四航空戦隊は1937年(昭和12年)12月に水上機母艦2隻(能登呂衣笠丸)で編制され[1][2]支那事変日中戦争)で行動。翌1938年(昭和13年)6月下旬、旗艦を軽巡洋艦球磨に変更した[3]。8月1日、初代四航戦は第十三戦隊に改編される形で解隊された[4]

二代目の第四航空戦隊は、1941年(昭和16年)4月10日に、空母「龍驤[5]と護衛の駆逐隊で編制され、第一航空艦隊に所属した[6]。 9月より特設航空母艦(大鷹型航空母艦)「春日丸」が編入されるが、12月中旬に転籍した。「龍驤」は太平洋戦争緒戦の比島作戦蘭印作戦で活躍した。内地では改造工事を終えた空母「祥鳳」が四航戦に編入されるが[7]、まもなく南洋部隊(第四艦隊)に編入され中部太平洋諸島に進出[8]、5月7日の珊瑚海海戦で撃沈された。 一方、空母「隼鷹」の竣工と編入により四航戦は空母2隻編制となり、6月のアリューシャン作戦に参加した。7月14日、第三艦隊の新編にともない、第二航空戦隊に改編される形で解隊された。

三代目の第四航空戦隊は、1944年(昭和19年)5月1日に、航空戦艦2隻(日向伊勢)と艦載航空隊の第六三四海軍航空隊で新編された。航空母艦として航空戦に参加する機会はなく、マリアナ沖海戦後に空母隼鷹(7月10日、二航戦より)と龍鳳(8月10日、一航戦より)を編入した。捷一号作戦にともなうレイテ沖海戦では、日向と伊勢は通常の戦艦として参加、隼鷹と龍鳳は輸送船として使用された。 11月15日に第一機動艦隊第三艦隊が解隊され、隼鷹と龍鳳は第一航空戦隊へ転出する[9]。四航戦は航空戦艦2隻(日向、伊勢)だけになった[9]1945年(昭和20年)2月、大本営海軍部は四航戦と第二水雷戦隊を物資輸送を兼ねて内地へ帰投させた(北号作戦[10]。作戦実施前の2月10日、軽巡大淀を四航戦に編入した[10]。北号作戦完了後、3月1日附で第四航空戦隊は解隊された[11]

戦歴

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初代(1937年12月1日新編〜1938年8月1日解散)

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初代第四航空戦隊は1937年(昭和12年)12月1日に編制、日本海軍は鮫島具重少将を第四航空戦隊司令官に任命する[12]。水上機母能登呂[13]衣笠丸[2]からなる部隊である[1]。 旗艦はおもに「能登呂」が務めた[14][15]

1938年(昭和13年)4月28日、「衣笠丸」は特設運送艦に類別変更され[2]、徴傭船となる[16][17]。 6月26日、鮫島少将は第四航空戦隊旗艦を「能登呂」から軽巡洋艦「球磨」に変更した[3]。 初代第四航空戦隊は8月1日附で解隊、将旗は「球磨」より撤去される[4]。鮫島少将は第十三戦隊(球磨、第11掃海隊、第2砲艦隊)司令官に補職され[18]、「球磨」に第十三戦隊の将旗を掲げた[4]。「能登呂」は第三航空戦隊に編入された[13]

二代(1941年4月10日新編〜1942年7月14日解散)

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1941年(昭和16年)4月10日、空母「龍驤」を旗艦として新編された[5][19]。新任司令官は桑原虎雄少将[20]。 同日、日本海軍は第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将、参謀長草鹿龍之介少将)を新編する[21]。第四航空戦隊も第一航空艦隊に所属し、一航艦は第一航空戦隊、第二航空戦隊、第四航空戦隊で編制された[6]

9月1日、桑原虎雄少将(四航戦司令官)は第三航空戦隊司令官へ転任、それまでの三航戦司令官角田覚治少将が四航戦司令官となる[22]。 同年9月12日内示の昭和17年度海軍戦時編制によれば、第四航空戦隊は空母「龍驤」と隼鷹型航空母艦2隻(隼鷹飛鷹)および第3駆逐隊(汐風帆風旗風)を予定していた[23][24]。だが、この編制を実施する前に、日本海軍は太平洋戦争に突入した。

太平洋戦争開戦時、空母2隻(龍驤春日丸)と第3駆逐隊(汐風帆風)が所属していた。開戦劈頭、第四航空戦隊(龍驤)はフィリピンの戦いに参加。12月13日、「春日丸」(後日大鷹と改名)は呉鎮守府所属となり、第四航空戦隊から除かれる[25]。「龍驤」は引き続き南方作戦蘭印作戦スラバヤ沖海戦セイロン沖海戦等で活躍した。

1941年(昭和16年)12月22日、剣埼型潜水母艦1番艦「剣埼」改造空母「祥鳳」が竣工、第四航空戦隊に編入される[26][7]零式艦上戦闘機の配備が間に合わず、九六式艦上戦闘機を搭載していた。 1942年(昭和17年)2月1日、「祥鳳」は第四航空戦隊所属のまま南洋部隊(指揮官井上成美中将/第四艦隊司令長官、旗艦「鹿島」)に編入される[8]。第四航空戦隊(龍驤)とは別部隊に所属して作戦に従事。「祥鳳」は南洋部隊所属のまま、5月7日の珊瑚海海戦において撃沈された。

一方、セイロン沖海戦を終えて内地に戻った第四航空戦隊(龍驤)に空母「隼鷹」が編入され、所属空母は2隻(龍驤、隼鷹)となる[27]。第四航空戦隊は第二機動部隊を編制し、アリューシャン作戦等に参加した。ミッドウェー海戦での敗北をきっかけにした第三艦隊の新編に伴い、四航戦は1942年(昭和17年)7月14日に解隊された。所属空母2隻(隼鷹、龍驤)及び角田少将は、再編された第二航空戦隊に所属した[28][29]

三代(1944年5月1日新編〜1945年3月1日解散)

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1944年(昭和19年)5月1日伊勢型戦艦2隻(日向〈航空戦隊旗艦〉、伊勢)と第六三四海軍航空隊にて、世界でも類を見ない航空戦艦による航空戦隊として編制される[30][31]。四航戦司令官は松田千秋少将[32]。 6月19日-20日のマリアナ沖海戦には参加しなかった[33][34]。 本海戦で第二航空戦隊は空母「飛鷹」を喪失、7月10日附で解隊される[35]。残存の空母「龍鳳」は第一航空戦隊に、「隼鷹」は第四航空戦隊にそれぞれ編入、四航戦は3隻(日向、伊勢、隼鷹)となった[35][36]。 7月20日には、高松宮宣仁親王昭和天皇弟宮、軍令部大佐)が四航戦の射出訓練を視察している[37]

8月上旬、戦闘第163飛行隊、戦闘第167飛行隊を順次第634空海軍航空隊に編入した[38]。 8月10日、第一航空戦隊雲龍型航空母艦2隻(雲龍天城)で再編し、それにともない「瑞鶴」を第三航空戦隊に、「龍鳳」は第四航空戦隊に編入した[39][40]。四航戦は4隻(日向、伊勢、隼鷹、龍鳳)となった[35]。 搭載予定の航空隊は両艦に一部配備されて訓練に従事したが、10月上旬に台湾沖航空戦が発生し、九州・フィリピン方面に転用されてしまった。このために、実戦における航空戦艦の艦載機運用の実績は無い。捷一号作戦におけるレイテ沖海戦(エンガノ岬沖海戦)では、四航戦のうち航空戦艦2隻(日向、伊勢)のみ参加した。両艦は米海軍機の激しい攻撃を回避、多数を撃墜して生還した。 11月15日、日本海軍は第一機動艦隊および第三艦隊を解隊し、第四航空戦隊を第二艦隊(旗艦「大和」)に編入した[9][41]及川古志郎軍令部総長は昭和天皇に戦時編制改定方針を説明した際(11月14日)、「第四航空戦隊ハ航空母艦ヲ除キ 伊勢、日向ノミト致シマシテ 第二艦隊ニ編入致シマス 伊勢、日向ニハ当分飛行機ハ登載致シマセヌ」「航空母艦ハ第三航空戦隊ヲ解隊 第四航空戦隊ノ隼鷹、龍鳳ヲ第一航空戦隊ニ編入致シマシテ 聯合艦隊直属戦力ト致シマス」と述べている[9]。この方針により、隼鷹と龍鳳は第一航空戦隊に編入、四航戦は航空戦艦2隻(日向、伊勢)だけになった[9]

内地より東南アジアへ進出中、四航戦は第二遊撃部隊(指揮官志摩清英中将/第五艦隊司令長官)に編入された[42]

1945年(昭和20年)1月1日附で、第四航空戦隊(日向、伊勢)は南西方面艦隊に編入される[43]。2月5日、日本海軍は第五艦隊(第二遊撃部隊)を解隊し、第十方面艦隊(司令長官福留繁中将)を新編する[44]。第二遊撃部隊に所属していた第五戦隊(足柄〈2月5日附編入〉、羽黒、大淀)・四航戦(日向、伊勢)・第二水雷戦隊は、当面のあいだ第十方面艦隊に所属もしくは指揮下に入った[44][45]。 だが日本本土への撤退と物資輸送作戦を兼ねた北号作戦実施にあたり[46]、第四航空戦隊は2月10日附で連合艦隊に編入[10][47]。また軽巡洋艦「大淀」を第四航空戦隊に編入、四航戦の所属艦は3隻(航空戦艦〈日向、伊勢〉、軽巡〈大淀〉)となった[10][48]。 第四航空戦隊および第二水雷戦隊(司令官古村啓蔵少将、旗艦「」)で編成された『完部隊』〔指揮官松田千秋第四航空戦隊司令官:四航戦(日向、伊勢、大淀)、二水戦(初霜朝霜)〕は2月10日にシンガポールを出撃[10]。連合軍の攻撃を巧みに回避して2月20日に内地(呉)に帰還、作戦は完全な成功を収めた[10]。 3月1日、第四航空戦隊は解隊される[11]。日向と伊勢は予備艦、大淀は兵学校練習艦となる[11]。その後は呉軍港に繋留され、7月の呉軍港空襲で大破着底した[49][50]

編制

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  • 1941年(昭和16年)4月10日 再編(第一航空艦隊所属)[6]
  • 1941年(昭和16年)12月10日 太平洋戦争開戦時の編制(第一航空艦隊所属)
    • 龍驤、春日丸
    • 第3駆逐隊:汐風、帆風
  • 1942年(昭和17年)4月10日 第10戦隊新編時の編制(第一航空艦隊所属)
    • 龍驤、祥鳳(前年12月22日編入。南洋部隊所属)
  • 1942年(昭和17年)6月5日 アリューシャン攻撃時の編制
    • 龍驤、隼鷹(5月31日編入)
  • 1942年(昭和17年)7月14日 解隊
  • 1944年(昭和19年)5月1日 再編(第一機動艦隊/第三艦隊所属)[30]
  • 1944年(昭和19年)7月10日 第二航空戦隊解隊時の編制(第一機動艦隊/第三艦隊所属)[35]
    • 日向、伊勢、隼鷹、第634海軍航空隊
  • 1944年(昭和19年)8月10日 第一航空戦隊再編時の編制(第一機動艦隊/第三艦隊所属)[35]
    • 日向、伊勢、隼鷹、龍鳳、第634海軍航空隊
  • 1944年(昭和19年)12月1日 第二艦隊編入後の編制(第二艦隊所属)[52]
    • 日向、伊勢
  • 1945年(昭和20年)2月10日 北号作戦発動時の編制(連合艦隊所属)
  • 1945年(昭和20年)3月1日 解隊[53]

歴代司令官

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脚注

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出典

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  1. ^ a b 昭和12年12月7日(火)海軍公報(部内限)第2783号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C12070369000 「○将旗掲揚 第四航空戰隊司令官ハ十二月五日将旗ヲ能登呂ニ掲揚セリ|第一根拠地隊指揮官ハ十二月五日将旗ヲ朝日ニ掲揚セリ」
  2. ^ a b c 写真第4巻空母II、p.192「特設水上機母艦行動年表◆衣笠丸◆」
  3. ^ a b c 昭和13年6月27日(月)海軍公報(部内限)第2945号 p.10」 アジア歴史資料センター Ref.C12070373900 「○旗艦變更 第四航空戰隊司令官ハ六月二十六日旗艦ヲ能登呂ヨリ球磨ニ變更セリ」
  4. ^ a b c 昭和13年8月3日(水)海軍公報(部内限)第2977号 pp.11-12」 アジア歴史資料センター Ref.C12070374400 「○将旗掲揚 第十三戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ニ掲揚セリ|○将旗撤去 第四航空戰隊司令官ハ八月一日将旗ヲ球磨ヨリ撤去セリ(略)第十三戰隊司令部、軍艦球磨、第十一掃海隊、第二砲艦隊宛 自今 佐世保郵便局氣付」
  5. ^ a b 昭和16年4月1日(火)海軍公報(部内限)第3760号 p.8」 アジア歴史資料センター Ref.C12070394100 「○事務開始 艦隊、戰隊司令部事務ヲ左ノ場所ニ開始ス」-「(隊名)第三艦隊司令部|(開始月日)四月一日|(場所)海軍大學校四月十三日以降軍艦長良(舞鶴)」-「第一航空艦隊司令部|同|軍艦赤城(横須賀)」-「第四航空戰隊司令部|同|軍艦龍驤(呉)」
  6. ^ a b c 戦史叢書91巻、付表第二「聯合艦隊編制推移表(昭和十四年十一月十五日~十六年十二月十日)」
  7. ^ a b #祥鳳日誌(1)p.3「昭和十六年十二月二十二日改造完了祥鳳ト命名サル同日聯合艦隊ニ編入(第一航空艦隊第四航空戦隊所属)以来横須賀方面ニアリテ整備作業単独訓練ニ従事中」
  8. ^ a b #祥鳳日誌(3)p.3「作戦準備ヲ完成シ横須賀軍港ニ於テ待機單独訓練中2月1日南洋部隊ニ編入速ニ「トラック」廻航ノ命ニ接シ急速出動準備ヲ完成2月4日横須賀發9日「トラック」着爾後同地ニ警戒碇泊ス」
  9. ^ a b c d e 戦史叢書93巻、34-37頁「第一機動艦隊、第三艦隊の解隊(十一月十五日)」
  10. ^ a b c d e f 戦史叢書93巻、211-213頁「北号作戦」
  11. ^ a b c 戦史叢書93巻、213頁「第四航空戦隊の解隊」
  12. ^ a b 昭和12年12月1日(発令12月1日付)海軍辞令公報(号外)第99号 p.18」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  13. ^ a b 写真第4巻空母II、p.150「水上機母艦行動年表◆能登呂◆」
  14. ^ 昭和13年2月3日(木)海軍公報(部内限)第2828号 p.22」 アジア歴史資料センター Ref.C12070371700 「○旗艦變更 第四航空戰隊司令官ハ一月三十一日旗艦ヲ能登呂ヨリ衣笠丸ニ變更セリ」
  15. ^ 昭和13年2月7日(月)海軍公報(部内限)第2831号 p.33」 アジア歴史資料センター Ref.C12070371700 「○旗艦變更 第八戰隊司令官ハ二月五日旗艦ヲ由良ヨリ那珂ニ變更セリ|第四航空戰隊司令官ハ二月五日旗艦ヲ衣笠丸ヨリ能登呂ニ變更セリ」
  16. ^ 徴傭船 衣笠丸 昭和13年4月28日〜5月31日 p.11」 アジア歴史資料センター Ref.C11083194500 「1700|軍艦旗降下式施行 国旗ヲ掲グ」
  17. ^ 昭和13年7月27日(水)海軍公報(部内限)第2971号 p.3」 アジア歴史資料センター Ref.C12070374300 「○残務整理 特設水上機母艦衣笠丸残務整理ハ呉海兵團石田主計特務少尉之ヲ處理ス」
  18. ^ a b 昭和13年8月1日(発令8月1日付)海軍辞令公報(部内限)号外 第219号 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074200 
  19. ^ 昭和16年4月14日(月)海軍公報(部内限)第3770号 p.9」 アジア歴史資料センター Ref.C12070394300 「○旗艦指定 第四航空戰隊司令官ハ四月十日旗艦ヲ龍驤ニ指定セリ」
  20. ^ a b 昭和16年4月10日(発令4月10日付)海軍辞令公報(部内限)第614号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072080700 
  21. ^ 戦史叢書91巻、513-514頁「第三艦隊・第一航空艦隊・海南警備府新編」
  22. ^ a b c 昭和16年9月1日(発令9月1日付)海軍辞令公報(部内限)第701号 p.2」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081900 
  23. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制・駆逐隊他p.1「横須賀|第三驅逐隊|汐風、帆風、旗風|(戦時編制ニ依ル所属)第四航空戰隊」
  24. ^ #昭和17年度帝国海軍戦時編制p.5「艦隊|第一航空艦隊|第一航空戦隊/翔鶴、瑞鶴、第十一驅逐隊|第二航空戦隊/蒼龍・飛龍・第十二驅逐隊|第四航空戦隊/龍驤、《飛鷹》、《隼鷹》、第三驅逐隊|第五航空戦隊/赤城、加賀、第五十一驅逐隊|第六航空戦隊/《第三十一驅逐隊》/特設航空母艦三」
  25. ^ #海軍航空部隊編制p.5「GF|1AF|4Sf|龍驤|C×16 O×18/(×)春日丸」-「(×)春日丸 4Sf→呉鎮12/13」
  26. ^ #海軍航空部隊編制p.6「GF|1AF|4Sf|龍驤|C×22 O×16/◎祥鳳|C×16 O×12」-「◎祥鳳(劍崎)4Sfへ 12/22」(剣埼の誤字)
  27. ^ #海軍航空部隊編制p.11「GF|1AF|4Sf|龍驤|C×16 O×20/隼鷹|C×16 B×24」-「◎隼鷹 4sfへ 5/3」
  28. ^ #海軍航空部隊編制p.13「GF|◎3F|2Sf|隼鷹/◎飛鷹|C×21 B×18 O×9|(×)龍驤|C×24 O×9」-「◎飛鷹 2sfへ 7/31」-「(×)龍驤 沈 8/24」
  29. ^ a b 昭和17年7月14日(発令7月14日付)海軍辞令公報(部内限)第899号 p.50」 アジア歴史資料センター Ref.C13072086200 
  30. ^ a b #海軍航空部隊編制p.33「GF|3F T×2|◎4Sf|伊勢 日向|各0/◎634|B×24 2SR×24」-「◎4Sf 3Fへ/◎634 4Sf}5/1」
  31. ^ #S1905六三四空日誌p.3「一.五月一日 第六三四海軍航空隊編制発令/所属 第四航戰隊|司令兼副長 天谷孝久|飛行機 彗星一八/六 瑞雲一八/六|基地 岩國(以下略)」
  32. ^ a b 昭和19年5月1日(発令5月1日付)海軍辞令公報(部内限)第1449号 p.35」 アジア歴史資料センター Ref.C13072097900 
  33. ^ #S1906六三四空日誌p.7「一九(天候略)母艦広島湾」
  34. ^ #第1機動艦隊戦時日誌p.5「1KdF司令部「あ」號作戰戰闘詳報 六月二十日4sf(日向、伊勢、六三四空)ヲ3Fニ編入 10Sニ霜月ヲ編入」
  35. ^ a b c d e #海軍航空部隊編制p.36「前頁ヨリ續キ(19-7-1)龍鳳2Sf-1Sf 隼鷹2Sf-4Sf 飛鷹2Sf-3F 601 3F-1Sf}7/10」
  36. ^ #第1機動艦隊戦時日誌p.6「三.七月十日第三艦隊軍隊区分ヲ左ノ通改ム 1sf(瑞鶴 龍鳳 大鳳 翔鶴 六〇一空) 3sf(六五三空 千歳 千代田 瑞鳳) 4sf(日向 伊勢 隼鷹 六三四空) 10S(矢矧 4dg 17dg 61dg 霜月) 附属 最上 飛鷹/四.七月十五日10Sニ41dgヲ編入/五.八月六日 1sfニ雲龍ヲ編入|(長官)瑞鶴」
  37. ^ #S1907六三四空日誌p.7「二十一日(天候略)全機射出訓練實験|高松宮殿下御視察」
  38. ^ #S1908六三四空日誌p.3「三.八月一日戰斗第一六三飛行隊八月十日戰斗第一六七飛行隊編入岩國基地ニ於テ訓練ヲ開始ス」
  39. ^ #海軍航空部隊編制p.37「GF|1KDF|3F|4Sf|隼鷹 龍鳳 伊勢 日向|各0」、p.38「◎雲龍1Sf ◎天城1Sf 大鳳 翔鶴1Sf→3F 龍鳳1Sf→4Sf 瑞鶴1Sf→3Sf}8/10」
  40. ^ #第1機動艦隊戦時日誌p.7「二.八月十日第三艦隊軍隊區分ヲ左ノ通改ム 1sf(天城 雲龍 六〇一空) 3sf(瑞鶴 瑞鳳 千歳 千代田 六五三空) 4sf(日向 伊勢 隼鷹 龍鳳 六三四空) 10S(矢矧 61dg 41dg 4dg 17dg) 附属 最上 大鳳 翔鶴」
  41. ^ #海軍航空部隊編制p.40「4Sf 3F→2F}11/15」
  42. ^ #S1911五艦隊(1)p.9「(二)自十一月一日至十一月三十日 第二遊撃部隊麾下艦船部隊行動一覧表」
  43. ^ #海軍航空部隊編制p.43「4Sf 2F→GKF}1/1」
  44. ^ a b 戦史叢書93巻、178-179頁「第五艦隊の解隊」
  45. ^ #S1911五艦隊(4)p.8「二月五日 第五艦隊ハ戰時編制ヨリ除カレ第三十一戰ハ高雄警備府附属トナリ第五戰隊ハ第十方面艦隊ニ編入 第二水雷戰隊(内地方面所在艦ヲ除ク)ハGF所属トシテ當分ノ間第十方面艦隊司令長官ノ指揮下ニ作戰ニ從事スルコトトナレリ」
  46. ^ 戦史叢書93巻、210頁
  47. ^ #海軍航空部隊編制p.44「4Sf 10HF→GF}2/11」
  48. ^ #S20.04二水戦詳報(1)p.10「此ヨリ曩七日第十方面艦隊ハGF長官ノ指揮ヲ離レ南方軍總司令官ノ指揮下ニ入ル次デ九日西部方面部隊指揮官(第十方面艦隊長官)ノ令ニ依リ4sf2sd大淀ハ十日以後機ヲ見テ緊急内地還送作戰實施ノコトトナルガ更ニ十日戰時編制ノ改編アリテ大淀ハ4sfニ編入同隊ハ第十方面艦隊ヨリ除カレGF附属トナリ當隊(霞《旗艦》初霜朝霜)亦GF電令作第五〇九號ニ依リ第十方面艦隊長官ノ作戰指揮下ヲ離レ一時4sf司令官ノ作戰式下ニ入リ同電令作第五一〇號ニ依リ4sf 1dgト共ニ北號作戰部隊ヲ編成緊急内地還送作戰實施ノコトトナレリ」
  49. ^ 戦史叢書93巻、452-453頁「連合軍機動部隊の本土来襲」
  50. ^ 戦史叢書93巻、453-455頁「艦船、航空機の被害とその影響」
  51. ^ 水上機母艦 能登呂 昭和12年12月1日〜12月31日 p.1」 アジア歴史資料センター Ref.C11084194500 「第四艦隊、第四航空戰隊旗艦トナル」
  52. ^ #海軍航空部隊編制p.41「GF|2F|4Sf|伊勢 日向」
  53. ^ a b 昭和20年3月9日(発令3月1日付)海軍辞令公報(甲)第1741号 p.29」 アジア歴史資料センター Ref.C13072103700 

参考文献

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  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<1> ―開戦まで―』 第91巻、朝雲新聞社、1975年12月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書 大本營海軍部・聯合艦隊<7> ―戦争最終期―』 第93巻、朝雲新聞社、1976年3月。 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真 日本の軍艦 空母II第4巻 隼鷹型・瑞補型・千歳型・大鷹型・信濃・伊吹・龍鳳・神鷹・海鷹 水上機母艦 特設水上機母艦 母艦搭載機の発達』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『支那事変 第8回功績概見表綴 駆逐隊 潜水隊 水雷隊 掃海隊 海軍武功調査/3駆機密第12号の15 第3駆逐隊支那事変第8回功績概見表』。Ref.C14120968900。 
    • 『支那事変 第9回功績概見表綴 海軍武功調査/支那事変第9回駆逐隊功績概見表/3駆機密第21号の15 第3駆逐隊支那事変第9回功績概見表』。Ref.C14120978500。 
    • 『支那事変 第10回功績概見表綴/支那事変駆逐隊第10回功績概見表/3駆機密第8号の1 第3駆逐隊支那事変第10回功績概見表』。Ref.C14120987300。 
    • 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度帝国海軍戦時編制/附表』。Ref.C14121196200。 
    • 『昭和17年度 帝国海軍戦時編制(内示案) 昭和16.9.12/ 昭和17年度戦時駆逐隊・潜水隊・水雷隊・掃海隊・驅潛隊・通信隊・航空隊編制予定表 昭和17年度警備隊・防備隊附属艦艇及防備機関編制予定表 昭和17年度戦時艦船飛行機搭載予定表/第1表〜第9表』。Ref.C14121196500。 
    • 『昭和16年12月1日〜昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030580500。 
    • 『昭和16年12月1日〜昭和17年5月7日 軍艦祥鳳戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030580700。 
    • 『昭和19年3月1日〜昭和19年11月15日 第1機動艦隊戦時日誌』。Ref.C08030036200。 
    • 『第634海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年5月1日至昭和19年5月31日』。Ref.C13120354500。 
    • 『第634海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年6月1日至昭和19年6月30日』。Ref.C13120354600。 
    • 『第634海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年7月1日至昭和19年7月31日』。Ref.C13120354700。 
    • 『第634海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年8月1日至昭和19年8月31日』。Ref.C13120354800。 
    • 『第634海軍航空隊戦時日誌 自昭和19年9月1日至昭和19年9月30日』。Ref.C13120354900。 
    • 『昭和20年2月10日〜軍艦大淀戦闘詳報』。Ref.C08030578500。 
    • 『昭和20年2月1日〜昭和20年4月10日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030103000。 
    • 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030019800。 
    • 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030019900。 
    • 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030020000。 
    • 『昭和19年11月1日〜昭和20年2月5日 第5艦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030020100。 

関連項目

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