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能登呂 (水上機母艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
能登呂
1943年3月28日、シンガポール・セレター軍港[1]
1943年3月28日、シンガポール・セレター軍港[1]
基本情報
建造所 川崎造船所[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 運送艦[3](給油艦[4])
水上機母艦(1934年6月1日)[5]
級名 運送艦時 知床型[6]
建造費 要求予算 1,500,000円[7]
母港[4]
のち佐世保[8][9]
艦歴
計画 大正6年度(1917年)、八四艦隊案[10]
起工 1919年11月24日[11]
進水 1920年5月3日[12]
竣工 1920年8月10日(給油艦として)[13]
1924年水上機母艦へ改造[14]
除籍 1947年5月3日
その後 1947年1月12日 海没処分
要目(給油艦時)
基準排水量 計画 14,050英トン[15]
満載排水量 15,420トン[4]
軽荷排水量 5238.2トン[4]
総トン数 7621.38総トン[4]
全長 470 ftin (143.48 m)[4]
垂線間長 455 ft 0 in (138.68 m)[4]
最大幅 58 ft 2+34 in (17.75 m)[4]
または 58 ft 0 in (17.68 m)[16]
深さ 35 ft 0 in (10.67 m)[17]
吃水 満載平均 26 ft 6+18 in (8.08 m)[18]
ボイラー 片面煙管戻火式缶 4基[4]
1931年 宮原式缶6基[19]
主機 直立三段膨張1基[4]
推進 1軸[4] x 86rpm[20][21](計画80rpm[15])
直径5.486m、ピッチ5.943m[15]
出力 計画 5,000実馬力[15]
実際 5,363馬力[4]
速力 12.684ノット(常備)[17]
15.373ノット(1/5載貨)[4]
燃料 石炭庫満載 1,350トン、庫外露天450トン[4]
航続距離 8,000カイリ / 8ノット[4]
乗員 竣工時定員 157名[22]
1923年3月 142名[16]
1931年3月 157名[19]
搭載能力 重油庫内8,453トン、サンマータンク1,145トン[4]
灌水560トン、清水雑用150トン、同飲用280トン[4]
獣肉、魚肉、野菜、氷用の冷蔵庫[4]
兵装 45口径12cm単装砲2門[4]
8cm単装高角砲2門[4]
(台座のみで砲は装備せず)[23]
搭載艇 内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[4]
その他 デリック4本[4]
テンプレートを表示

能登呂(のとろ)[2]は、日本海軍の運送艦[3](給油艦[4])、後に水上機母艦[5]に改造された。

艦名は宗谷岬に相対している樺太(現在のサハリン)南端の西能登呂岬による[24][25]

概要

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能登呂八八艦隊計画の給油艦の1艦として1920年(大正9年)に竣工した。「若宮」の老朽化によりその代艦として1924年(大正13年)に佐世保工廠にて水上機母艦への改装工事を実施、改装内容は若宮とほぼ準じた形であるが艦形が大きいため搭載機数は倍増している。また給油艦としての機能もそのまま残されていた。

大正年間には、軍鳩の運用試験を行っていた記録が残る[26]

1934年(昭和9年)、特務艦(運送艦)から水上機母艦へ類別変更。日中戦争(日華事変)などに参加。

1941年(昭和16年)、搭載機を降ろす。大戦中は航空機輸送、重油輸送に従事したが3度の雷撃で損傷。

終戦時はシンガポールにあり、未修理のままオイルタンクとして使用されていた。戦後海没処分。

艦型

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給油艦

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知床型給油艦の1隻として建造された。詳細は知床型給油艦を参照。

水上機母艦

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水上機母艦改装後の能登呂。給油艦時代との差は、前後に砲座が設けられ、艦橋前後の甲板上に天蓋が付いたことなど。[27]
水上機母艦改装後の能登呂。給油艦時代との差は、前後に砲座が設けられ、艦橋前後の甲板上に天蓋が付いたことなど。[27]
基本情報
艦歴
要目(水上機母艦時(1938年))
排水量 12,786英トン[28]
基準排水量 公表値 14,050英トン[29]
ボイラー ロ号艦本式混焼缶 4基[30]
出力 5,850hp[28]
速力 12.0ノット[28]
乗員 1934年6月定員 275名[31]
1941年6月定員 305名[32]
兵装 1937年[30]
40口径8cm高角砲
20mm機銃約20挺
1944年7月[33]
12cm単装高角砲2門
25mm機銃 連装4基8挺
13mm機銃 連装2基4挺
搭載艇 4隻[28]
搭載機 1927年 一四式水上偵察機常用4機、補用4機[23]
#搭載機も参照
テンプレートを表示

水上機母艦への改造はワシントン軍縮条約直後の1923年(大正12年)に計画され、翌1924年(大正13年)に佐世保海軍工廠で工事が行われた[14]

艦橋前後の上甲板に艙口を覆う木甲板フラットを設けて水上機の搭載位置とし、その上方には鉄骨木板張りの天蓋を設けた[34]。天蓋は右舷側が開放されており、そこから水上機を収容した[23]。水上機揚収用のデリックは前後のデリック・ポストを補強、延長してそれぞれに1基ずつ設けた[23]。射出機は当時の軍縮条約の制限で装備されなかった[35]。後甲板には発動機調製所が設けられ、最前部のサンマータンクを改正して第2甲板に軽質油庫を設けた他、兵員室や飛行機用の諸工場も設置した[34]

船首楼直後には飛行機への遮風のために隔壁が設けられ、空気抵抗が増したため速力がいくらか低下した[34]。また天蓋を設置したために艦橋からの前方視界が悪くなり、改造完成直後に前部マスト部分にパイロット・ハウスが設置されている[23]

上述のように給油艦としての装備はそのままで、給油艦兼水上機母艦として使用された[34]

1937年(昭和12年)に改装が行われ、天蓋は撤去された[23]

兵装

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要目上では12cm単装砲2門、8cm単装高角砲2門であるが、実際には艦前後に砲台のみが設置されていた[23]。1938年(昭和13年)頃の写真には前後の砲台に8cm高角砲の装備が確認される[23]

あ号作戦後の状況は8cm高角砲2門、25mm機銃連装4基、13mm機銃連装2基とされる[33]

搭載機

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内令兵制定の昭和10年までの機数は以下の通り。(機数は常用+補用機)

  • 1927年(昭和2年)6月28日:一四式水上偵察機 4+4機[36]
  • 1929年(昭和4年)5月8日:一四式水上偵察機 6+2機[37](昭和4年に定数外として一三式水上練習機1機[38])
  • 1932年(昭和7年)5月25日:一四式三号水上偵察機 4+2機、九〇式水上偵察機 2+1機[39]
  • 1932年(昭和7年)11月1日:一四式三号水上偵察機、九〇式三号水上偵察機 3+1機[40]
  • 1932年(昭和7年)12月8日:一四式三号水上偵察機 3+1機[41]
  • 1933年(昭和8年)1月30日:一四式三号水上偵察機、九〇式三号水上偵察機 6+2機[42]
  • 1933年(昭和8年)10月15日:九〇式二号水上偵察機二型 4+1機[43]
  • 1934年(昭和9年)5月1日:九〇式二号水上偵察機二型 6+2機(一部は一四式三号水上偵察機)[44]

1937年(昭和12年)の修理完成後は九四式水上偵察機4機、九五式水上偵察機4機とされる[45]

1941年(昭和16年)7月に搭載機を富士川丸に移し、固有の搭載機は無くなった[46]

艦歴

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  • 1920年8月10日 川崎造船所にて竣工。特務艦(給油艦)
  • 1925年12月-翌年5月 佐世保海軍工廠にて水上機母艦への改装工事。
  • 1931年9月5日 横浜港に停泊中、漏れたガソリンに引火爆発、10名の殉職者を出す事故を起こした。
  • 1932年1月 第一次上海事変に参戦。
  • 1934年6月1日 水上機母艦へ類別変更。
  • 1937年 日中戦争(日華事変)に参戦。
  • 1941年7月 搭載機を降ろす。
  • 1943年1月9日 マカッサル海峡アメリカ海軍潜水艦ガー(SS-206)の雷撃により損傷、シンガポールで修理を行う。
    • 9月20日 トラック沖でアメリカの潜水艦ハダック(SS-231)の雷撃で損傷、因島で修理。
  • 1944年6月29日 シンガポール南東沖でアメリカの潜水艦フラッシャー(SS-249)の魚雷3本を受けた。
  • 1945年3月1日 予備艦となる。
  • 1947年1月12日 イギリス軍により海没処分された。
    • 5月3日、除籍。

歴代艦長

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※『艦長たちの軍艦史』185-187頁、『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。

艤装員長

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  • 石渡武章 大佐:1920年6月1日[47] - 1920年7月1日[48]
  • (心得)秋吉照一 中佐:1920年7月1日[48] - 1920年8月1日[49]
  • (兼・心得)秋吉照一 中佐:1920年8月1日[49] -

特務艦長

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艦長

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  1. 今村脩 中佐:1934年6月1日 - 1934年11月15日
  2. 酒巻宗孝 大佐:1934年11月15日 - 1935年11月15日
  3. 上野敬三 大佐:1935年11月15日 - 1936年12月1日
  4. 仲村保造 中佐:1936年12月1日 - 1937年10月2日[64]
  5. 岡田次作 大佐:1937年10月2日 - 1937年12月1日
  6. 柳本柳作 大佐:1937年12月1日 - 1938年11月9日
  7. 早川幹夫 大佐:1938年11月9日 - 1938年12月5日[65]
  8. 来島茂雄 大佐:1938年12月5日[65] - 1939年7月1日[66]
  9. (兼)松良考行 大佐:1939年7月1日 - 1939年11月15日[67]
  10. (兼)秋山勝三 大佐:1939年11月15日 - 1940年4月5日
  11. 佐藤四郎 大佐:1940年4月5日 - 1940年10月19日
  12. 山県駿二 中佐:1940年10月19日 - 1941年6月25日[68]
  13. 堀内馨 大佐:1941年6月25日 -
  14. 吉田四郎 大佐:1942年7月15日 -

脚注

[編集]
  1. ^ #海軍艦艇史3pp.222-223
  2. ^ a b #海軍制度沿革巻八p.398『給油船能登呂外二隻命名ノ件 大正七年四月十七日(達四十七) 軍事補充費ヲ以テ株式會社川崎造船所ニ於テ製造ノ八千噸積給油船三隻ニ左ノ通命名ス 能登呂 ノトロ(第一隻目) 知床 シレトコ(第二隻目) 襟裳 エリモ(第三隻目)』
  3. ^ a b #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級表別表ノ通定ム (別表略)』
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」
  5. ^ a b #海軍制度沿革巻八p.96『昭和九年六月一日(内令二一八) 艦艇艦類別等級別表中左ノ通改正ス 軍艦、航空母艦ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 水上機母艦 | | | 能登呂、神威 |』
  6. ^ #海軍制度沿革巻八p.105『大正十五年十一月二十九日(達二三九) 特務艦類別等級表別表ノ通定ム (別表略)』
  7. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.250
  8. ^ 伊達久『水上機母艦(能登呂・神威・千歳・千代田・瑞穂・日進・秋津洲)行動年表』#写真日本の軍艦第4巻p.150
  9. ^ #S11-12-1内令提要原稿/艦船画像10、『艦艇、特務艦本籍別一覧表 昭和十一年十二月一日調』
  10. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.254
  11. ^ #給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像2
  12. ^ #給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像3
  13. ^ #給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件画像9
  14. ^ a b #海軍造船技術概要p.740
  15. ^ a b c d #海軍造船技術概要p.1726
  16. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その三「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務艦」
  17. ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet25
  18. ^ #特務艦要目画像5-18「特務艦要目表(大正十三年十一月調) 海軍省軍務局」満載前部26ft 11in1/8、同後部26ft 1in1/8
  19. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その二「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その二 駆逐艦」
  20. ^ #昭和造船史1pp.794-795
  21. ^ #川崎社史別冊1959p.231
  22. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.645『大正九年八月一日(内令二七七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送艦定員表其四ヲ加フ | 第七十六表 | 運送艦定員表 其四 | 能登呂 | (詳細備考略) |』士官11人、特務士官2人、准士官3人、下士官26人、兵115人
  23. ^ a b c d e f g h #写真日本の軍艦第4巻p.159
  24. ^ 日本艦船名考pp.225-226
  25. ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.596-597
  26. ^ 特務艦能登呂研究報告”. 国立公文書館 アジア歴史資料センター. 2019年2月14日閲覧。
  27. ^ #週刊 栄光の日本海軍パーフェクトファイルNo.54p.24
  28. ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その一「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦、駆逐艦」
  29. ^ #S11-12-1内令提要原稿/機密保護画像1、艦船要目公表範囲
  30. ^ a b 阿部安雄「日本海軍航空母艦・水上機母艦要目表」#日本空母物語pp.446-447
  31. ^ #海軍制度沿革巻十の2p.730『昭和九年六月一日(内令二二二) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 水上機母艦定員表ヲ別表ノ如ク定ム(以下略)』士官18人、特務士官4人、准士官8人、下士官56人、兵189人
  32. ^ #S16-06-30内令提要原稿/定員(7)画像20-22『|昭和十二年四月二十三日内令第百六十九號改定 | 改正 昭和一三年第一〇一八號 一六年第六一四號 | 第53表 | 水上機母艦定員表 其ノ一 | 神威 | 能登呂 |(詳細備考略)|』士官18人、特務士官6人、准士官10人、下士官66人、兵205人。
  33. ^ a b #日本空母物語pp.419,430「表C あ号作戦後の対空兵装等強化(昭和19年7月現在)」「あ号作戦後の兵装増備の状況調査」
  34. ^ a b c d #海軍造船技術概要p.741
  35. ^ #世界空母物語p.87
  36. ^ #海軍制度沿革巻九pp.817-818、昭和2年内令兵第27号
  37. ^ #海軍制度沿革巻九pp.820、昭和4年内令兵第24号
  38. ^ #海軍制度沿革巻九p.850-851、昭和4年4月20日付け内令兵第22号
  39. ^ #海軍制度沿革巻九p.824、昭和7年内令兵第24号
  40. ^ #海軍制度沿革巻九pp.824-826、昭和7年内令兵第68号
  41. ^ #海軍制度沿革巻九p.826、昭和7年内令兵第76号
  42. ^ #海軍制度沿革巻九p.826-828、昭和8年内令兵第12号
  43. ^ #海軍制度沿革巻九p.830-831、昭和8年内令兵第59号
  44. ^ #海軍制度沿革巻九p.832-834、昭和9年内令兵第18号
  45. ^ #日本海軍全艦艇史資料篇p.45
  46. ^ #写真日本の軍艦第4巻pp.159-160
  47. ^ 『官報』第2349号、大正9年6月2日。
  48. ^ a b 『官報』第2375号、大正9年7月2日。
  49. ^ a b c 『官報』第2401号、大正9年8月3日。
  50. ^ a b 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  51. ^ a b 『官報』第2645号、大正10年5月27日。
  52. ^ 『官報』第2736号、大正10年9月13日。
  53. ^ 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  54. ^ a b 『官報』第2947号、大正11年5月31日。
  55. ^ a b 『官報』第3162号、大正12年2月16日。
  56. ^ a b 『官報』第3367号、大正12年11月12日。
  57. ^ a b 『官報』第3616号、大正13年9月10日。
  58. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  59. ^ a b 『官報』第3733号、大正14年2月3日。
  60. ^ 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  61. ^ a b 『官報』第3945号、大正14年10月16日。
  62. ^ 『官報』第942号、昭和5年2月21日。
  63. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  64. ^ 海軍辞令公報 号外 第66号 昭和12年10月2日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072400 
  65. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第269号 昭和13年12月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074700 
  66. ^ 海軍辞令公報(部内限)第353号 昭和14年7月3日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076000 
  67. ^ 海軍辞令公報(部内限)第402号 昭和14年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076700 
  68. ^ 海軍辞令公報(部内限)第660号 昭和16年6月25日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081500 

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正9年 公文備考 巻21 艦船1/給油船能登呂、知床、特務艦襟裳製造一件』。Ref.C08021556800。 
    • 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻1 追録/第6類 機密保護』。Ref.C13071968200。 
    • 『昭和11年12月1日現在 10版 内令提要追録第1号原稿/巻3 追録/第13類 艦船』。Ref.C13071969000。 
    • 『昭和16年06月30日現在 10版 内令提要追録第9号(上)原稿/巻1 追録/第3類 定員(7)』。Ref.C13071996600。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻九』 明治百年史叢書 第181巻、原書房、1972年3月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5 
  • 川崎重工業株式会社社史編さん室谷本秋次 編『川崎重工業社史(別冊)-年表・諸表-』川崎重工業株式会社、1959年10月。 
  • 外山操『艦長たちの軍艦史』光人社、2005年。ISBN 4-7698-1246-9
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』KKベストセラーズ、1982年4月。ISBN 4-584-17023-1 
  • 福井静夫『世界空母物語』 福井静夫著作集第3巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0609-4 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 福井静夫『日本空母物語』 福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8 
  • 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 牧野茂福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年5月。ISBN 4-87565-205-4 
  • 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 官報