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剣埼 (給油艦)

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剣埼
竣工直後の剣埼(1917年12月9日、呉軍港)[1][注釈 1]
竣工直後の剣埼(1917年12月9日、呉軍港)[1][注釈 1]
基本情報
建造所 呉海軍工廠[2]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 給油船[3]
運送艦[4](給油艦[5])
建造費 予算 382,587円[6][注釈 2]
母港[5]
艦歴
計画 大正5年[7](1916年)
発注 1916年5月31日製造訓令[2]
起工 1917年2月27日[8][9][注釈 3]
進水 1917年6月20日[10][8][注釈 4]
竣工 1917年11月30日[8][11]
除籍 1934年4月1日
その後 農林省所属の「快鳳丸」となる
1945年1月1日特設砲艦に編入
1945年4月19日戦没
改名 剣埼[3] → 快鳳丸
要目
基準排水量 1,760トン[12]
常備排水量 計画 1,970トン[12][13]
満載排水量 計画 2,301.00トン[14]
実際 2,386.85トン[5]
軽荷排水量 907.26トン[5]
総トン数 1,064総トン[5]
全長 220 ftin (67.21 m)[5]
垂線間長 210 ft 0 in (64.01 m)[13][5]
最大幅 計画 31 ft 0 in (9.45 m)[13]
実際 31 ft 1+34 in (9.49 m)[5]
吃水 計画常備平均 14 ft 0 in (4.27 m)[13][15]
軽荷平均 7 ft 1+1332 in (2.17 m)(1924年)[16]
満載平均 16 ft 6+2932 in (5.05 m)(1924年)[17]
ボイラー 補助缶:艦本式缶1基[5]
主機 バーマイスター式直立4サイクル単動ディーゼル2基[13]
推進 2軸[5]
出力 計画 1,000馬力(B.H.P.)[13]
実際全力 1,420馬力[5]
速力 11ノット[5]
1928年公表値 9ノット[8]
経済速力 8.5ノット[5]
燃料 石炭:6トン[5]
重油:135トン[5]
航続距離 計画 1,500カイリ / 8ノット[13]
実際 3,750カイリ / 8ノット[5]
乗員 計画乗員 78名[14]
竣工時定員 98名[18]
1920年 103名[15]
1928年公表値 104名[8]
搭載能力 計画 重油常備1,100トン、同満載1,195トン[13]
実際 重油満載1,249.78トン[5]
兵装 40口径安式8cm単装砲 2門[5]
搭載艇 内火艇1隻、カッター1隻[5]
トンは全て英トン
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剣埼(つるぎざき)[3][注釈 5]は、日本海軍の給油船[3]/運送艦[4](給油艦[5])。艦名は三浦半島東南端の「剣埼」による[11]

志自岐」に続いて日本海軍の保有した2隻目のタンカー[19]。 港内での重油補給を任務とした小型給油艦で、日本海軍初のディーゼル推進艦となった[20]

艦歴

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計画・建造

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1916年(大正5年、「洲埼」を含む八四艦隊計画と同時期)に計画された[21][2]。この当時の日本海軍の戦艦巡洋戦艦の重油搭載量は約1,100トンに達していたが、従来の300トン積重油船ではその搭載に時間と労力がかかった[21]。また重油輸送には建造中の給油船「志自岐」の他に少なくても2隻が必要とされた[21]。そこで大正5年度の軍備補充費の雑船製造をやり繰りし1,100トン積重油船を1隻建造、翌年度以降に予算が許せばもう1隻建造することが1月27日に提案された[21]。この提案は同年3月に認められ[21]、5月31日に呉宛に製造訓令が出された[2]

同年6月26日に「剣埼」と命名[3]。当初は大正5年度中(翌年3月末まで)に竣工の予定だったが、材料の遅れや後述のディーゼルへの改造に手間取るなど、後に竣工期日は7月末、8月末、11月末と3度変更された[22][23][24]。翌1917年(大正6年)2月27日(または3月5日[11])呉海軍工廠で起工[9]、6月20日進水[10][注釈 4]、11月30日竣工した[11]

機関

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機関はディーゼルエンジンを求めていたが適当な物が無く、やむなくレシプロエンジン、1軸推進の計画とした[25]。その後浦風型駆逐艦に搭載されなかったディーゼルを流用、2軸推進とすることが決定した[25]1916年(大正5年)9月26日に予算変更の訓令が出され[26]、翌1917年(大正6年)4月26日に要目改正の訓令が出されている[27]

竣工後は当時のディーゼルはまだ信頼性が十分でなく、また扱いにも慣れていないこともあり度々故障に悩まされた。 例えば呉から横須賀、佐世保への航海中に必ず1回はエンジンが停止したという[28]。原因は吸気弁や排気弁が折れる、附属のアルミニウム胴が焼損する、燃料補給が不安定になり停止するなどだった[28]。起動にも時間がかかり、かつ不確実だった[28]。本艦が呉に入港時には、危険回避のため在泊艦船全てにボイラーを至急点火するよう要望したという[20]

このため1918年(大正7年)3月から5月に横須賀海軍工廠で修理を行った[29]。弁は折損部の直径を増して新規作成、アルミニウム胴は素材の厚さを増し、燃料補給系も重油漉器の能力を上げるなどの改造を行った[30]。これらによりエンジン停止の症状は無くなった[31]。その他燃料ポンプの改造を行った結果、起動時間も短縮された[30]。ただし、まだ冷却水ポンプ、注油ポンプなどに依然問題があり[32]1920年(大正9年)5月23日から8月3日まで横須賀海軍工廠でポンプ改造が行われている[33]

剣埼

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竣工後の任務は主に内地間の輸送任務を行った[20]。1920年(大正9年)4月1日に特務艦類別等級表が定められ[34]、「剣埼」は運送艦に類別[4]、内部資料では給油艦とされている[5]。1926年(大正15年)以降第4予備艦となって「野間」と並んで呉港に係留される状態となり、1934年(昭和9年)4月1日に除籍された[20]

快鳳丸

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除籍後は翌1935年(昭和10年)に農林省(水産局)に移管、主機換装などの整備を行い「快鳳丸」となる。それからは主に北方漁業保護のために使用されていた。太平洋戦争開戦後は農林省の所属のまま第5艦隊付属の気象観測兼哨戒船として使用された。1943年(昭和18年)以降は南方にも進出し、1945年(昭和20年)1月1日には特設砲艦として再び海軍籍となる。同年4月19日に北海道日高沿岸で、海上機動第3旅団主力を乗せた輸送船「大誠丸」を護衛中、米潜水艦の雷撃を受けて「大誠丸」とともに沈没した。

歴代艦長

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剣埼については階級は就任時のもの。

指揮官
  1. 小山田繁蔵 中佐:1917年11月8日 - 12月1日[35]
  2. 丸橋清一郎 中佐:1917年12月1日[36] - 1919年11月20日[37]
  3. 野村仁作 中佐:1919年11月20日[37] -
特務艦長
  1. 野村仁作 中佐:不詳 - 1920年11月12日[38]
  2. 西野作太郎 中佐:1920年11月12日[38] - 1921年7月20日[39]
  3. 鈴木源三 中佐:1921年7月20日[39] - 1921年12月1日[40]
  4. 柴田菊枝 中佐:1921年12月1日[40] - 1922年4月1日[41]
  5. 北村栄虎 中佐:1922年4月1日[41] - 1922年11月10日[42]
  6. 平山栄 中佐:1922年11月10日[42] -1923年2月20日[43]
  7. 安野康 中佐:1923年2月20日[43] - 不詳
  8. 鈴木秀次 中佐:不詳 - 1923年10月15日[44]
  9. 相良達夫 中佐:1923年10月15日 - 1924年12月1日[45]
  10. 小林晋 中佐:1924年12月1日[46] - 1925年8月1日[47]
  11. 江原収治 中佐:1925年8月1日[47] - 1926年2月20日[48]
快鳳丸砲艦長
  1. 福田義夫 大尉:1945年1月1日[49] - 1945年5月10日[50]

脚注

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注釈

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  1. ^ #日本海軍全艦艇史上巻p.197では、1917年11月30日の竣工当日の撮影と推定している。
  2. ^ #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(3)画像27によると製造訓令時の予算は400,440円、ディーゼル搭載決定により357,240円に改正
  3. ^ #日本海軍艦船名考pp.206-207では起工日は3月5日になっている
  4. ^ a b 進水日は#戦史叢書31海軍軍戦備1の付表3-1「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三」などでは6月21日、#昭和造船史1p.795では6月20日になっている。
  5. ^ 大正5年達103号の命名では劍埼(劍は剣の異字体の一つ)となっているが、以下本文は全て剣埼とする。

出典

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  1. ^ #日本海軍艦艇写真集-巡洋艦p.197
  2. ^ a b c d #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(3)画像16-17『官房第一七一七號 大正五年五月三十一日 大臣 呉鎮司令長官アテ 千百噸積給油船製造ノ件 軍備補充費ヲ以テ千百噸積給油船壱隻別紙・製造方法書、図面並豫算書ニ依リ其ノ府工廠ヲシテ製造セシムヘシ 右訓令ス (別紙製造方法書二 図面目録二 図面五 豫算書一添) (終)』
  3. ^ a b c d e #海軍制度沿革巻八p.397『大正五年六月二十六日(達一〇三) 軍備補充費ヲ以テ呉海軍工廠ニ於テ製造スヘキ千百噸積給油船ヲ劍埼(ツルギザキ)ト命名ス』
  4. ^ a b c #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級表別表ノ通定ム (別表略)』
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u #特務艦要目画像5-18、『特務艦要目表 (大正十三年十一月調) 海軍省軍務局』
  6. ^ #大正6年公文備考巻19/雑船(2)画像40、大正6年8月15日訓令による改定後の予算
  7. ^ #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(2)画像25、大正五年度軍備補充費ニテ製造スヘキ雑船
  8. ^ a b c d e #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1086、昭和3年2月14日(内令43)艦船要目公表範囲、うちpp1084-1085
  9. ^ a b #昭和造船史1pp.794-795
  10. ^ a b #大正6年公文備考巻19/雑船(2)画像51、電報『劔埼昨日午前十時無事進水セリ 六月廿一日 呉鎮長官』
  11. ^ a b c d #日本海軍艦船名考pp.206-207
  12. ^ a b #倫敦会議7巻/資料(1)分割3画像15、『第一表ノ五 帝國艦船一覧表 特務艦ノ部 昭和二年九月三十日調』
  13. ^ a b c d e f g h #帝国海軍機関史下巻pp.511-512(四二九~四三〇頁)
  14. ^ a b #給油船剣埼要目改正の件画像5-8『ALTERNATIONS ON THE PARTICULARS OF "THURUGIZAKI." March 29th. 1917.』
  15. ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
  16. ^ #特務艦要目画像6、前部吃水4ft8in9/16、後部吃水9ft6in1/4
  17. ^ #特務艦要目画像6、前部吃水18ft9in3/8、後部吃水14ft4in7/16
  18. ^ #海軍制度沿革巻十の1pp.569-570『大正六年九月一日(内令一九九) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 運送艦定員表ヲ附表ノ通改ム(附表略)』將校、機關将校、將校相富官10人、特務士官、准士官4人、下士20人、卒64人
  19. ^ #日本補助艦艇物語p.221
  20. ^ a b c d #日本海軍特務艦船史p.15
  21. ^ a b c d e #大正5年公文備考巻24/製造(雑船)(2)画像1-2、千百噸積給油船製造ノ件
  22. ^ #T6公文備考21/竣工画像12-15、大正6年2月17日附呉鎮第321号の上申と同年2月24日附官房第524号の2の認許
  23. ^ #T6公文備考21/竣工画像16-18、大正6年月日附呉鎮第321号の3の上申と同年5月4日附官房第524号の4の認許
  24. ^ #T7公文備考22/起工、竣工画像49-54、大正6年8月8日附呉鎮第321号の4の上申と同年9月13日附官房第2485号の2の認許
  25. ^ a b #帝国海軍機関史下巻p.511(四二九頁)
  26. ^ #画像25-26『官房第二八八九號 大正五年九月廿六日 大臣 呉鎮長官宛 千百噸積給油舩主機械の件』(本文略)『(理由)技本機密第一〇五四號技術会議決議ニ依ル 艦政局長ヨリノ通牒ハ「アト」ヨリ』
  27. ^ #給油船剣埼要目改正の件画像2-3『官房第一三三一號 大正六年四月廿六日 呉鎮司令長官アテ 給油舩剣埼要目改正ノ件 大正五年官房第一七一七號製造訓令給油舩剣埼要目ヲ別紙ノ通改正ス 右訓令ス (別紙壱添) (終) 備考.大正五年官房第二八八九号訓令蒸汽単軸機ヲ重油双軸機ニ変更ノ結果ナリ』
  28. ^ a b c #帝国海軍機関史下巻pp.512-513(四三〇~四三一頁)、『一 新造受領後の状況』
  29. ^ #帝国海軍機関史下巻p.513(四三一頁)、『終ニ本府長官ノ訓令ニ基キ七年三月初旬機関修理ノタメ横須賀工廠ニ回航ノコトナレリ』。同書p.514(四三二頁)、『三 修理後ノ成績 大正七年五月末修理完成シ試運転ヲ行ヒタル結果良好ナリシヲ以テ直ニ就役シ(以下略)』
  30. ^ a b #帝国海軍機関史下巻pp.513-514(四三一~四三二頁)、『二 修理ノ概要』
  31. ^ #帝国海軍機関史下巻p.514(四三二頁)、三 修理後の成績。
  32. ^ #帝国海軍機関史下巻pp.514-516(四三二~四三四頁)、『大正七年十二月二日小濱技術本部々員ヨリ中島部長宛劍崎機關部調査報告概要』
  33. ^ #横須賀海軍工廠史3p.171
  34. ^ #海軍制度沿革巻八p.57、大正9年4月1日附達第39号
  35. ^ 『日本海軍史』第9巻、157頁。
  36. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  37. ^ a b 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  38. ^ a b 『官報』第2486号、大正9年11月13日。
  39. ^ a b 『官報』第2692号、大正10年7月21日。
  40. ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
  41. ^ a b 『官報』第2898号、大正11年4月4日。
  42. ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  43. ^ a b 『官報』第3166号、大正12年2月21日。
  44. ^ 『官報』第3347号、大正12年10月18日。
  45. ^ 『日本海軍史』第10巻、104頁。
  46. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  47. ^ a b 『官報』第3883号、大正14年8月3日。
  48. ^ 『官報』第4046号、大正15年2月22日。
  49. ^ 昭和20年1月10日付 秘海軍辞令公報 甲 第1689号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072102800 
  50. ^ 昭和20年5月22日付 秘海軍辞令公報 甲 第1806号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072105000 

参考文献

[編集]
  • アジア歴史資料センター(公式)(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所)
    • 『倫敦海軍会議一件 第七巻/資料(一)(艦船要目、艦船表、その他) 分割3』。Ref.B04122588300。 
    • 『大正5年 公文備考 巻24 艦船1/製造(雑船)(2)』。Ref.C08020761400。 
    • 『大正5年 公文備考 巻24 艦船1/製造(雑船)(3)』。Ref.C08020761500。 
    • 『大正6年 公文備考 巻19 艦船1/雑船(2)』。Ref.C08020923500。 
    • 『大正6年 公文備考 巻21 艦船3/竣工』。Ref.C08020927500。 
    • 『大正6年 公文備考 巻22 艦船4/給油船剣埼要目改正の件』。Ref.C08020929400。 
    • 『大正7年 公文備考 巻22 艦船3/起工、竣工』。Ref.C08021108300。 
    • 『大正14 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。 
  • 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
  • 呉市海事歴史科学館 編『日本海軍艦艇写真集 巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。ISBN 4-478-95059-8 
  • 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年3月。 
  • (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月。ISBN 4-7698-0658-2 
  • 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X 

関連項目

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