膠州 (測量艦)
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膠州 | |
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基本情報 | |
建造所 | (ドイツ) [1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
運送船[1] (運送艦) → 測量艦 |
母港 | 呉 (1920年時[1]) |
艦歴 | |
進水 | 1904年[1] |
就役 | 1915年8月23日 (日本海軍籍に編入) |
除籍 | 1940年4月1日 |
その後 | 解体 |
要目(1920年調) | |
排水量 | 2,270ロングトン (2,306 t) |
垂線間長 | 251 ft 1 in (76.53 m) |
最大幅 | 36 ft 1 in (11.00 m) |
吃水 | 12 ft 3 in (3.73 m) |
ボイラー | 宮原式缶 2基 |
主機 | 直立3段膨張レシプロ |
推進 | 1軸 |
出力 | 966 ihp (720 kW) |
速力 | 10.3ノット (19 km/h) |
燃料 | 石炭:250ロングトン (254 t) |
乗員 | 101名 |
兵装 | 40口径安式8cm単装砲 2門 |
その他 | 船材:鋼 |
出典の無い要目は[1]による。 |
膠州(こうしゅう)は、日本海軍の測量艦。艦名は中国の地名の膠州湾に由来する。ドイツの租借地で湾入口の半島が捕獲地青島である。
艦歴
[編集]元は独ホヴァルツヴェルゲ社建造の貨物船ミヒャエル・イェブセン(Michael Jabsen)で第一次世界大戦時に青島で自沈していたのを日本海軍が1914年(大正3年)11月7日捕獲し翌1915年(大正4年)7月16日に浮揚、8月23日に日本海軍籍に入籍、「膠州」と命名し運送艦に類別した。その後の整備で測量設備も装備し、1921年(大正10年)から北方の、1926年(大正15年)からは南洋方面の測量に従事する。1922年(大正11年)4月1日に測量艦へ類別変更、1940年(昭和15年)4月1日に老齢のため除籍、解体された。
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 指揮官
- 三宅大太郎 中佐:1916年7月1日 - 1916年12月1日
- 平岡善之丞 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日[2]
- 田中吉太郎 中佐:1917年12月1日[2] - 1918年5月31日[3]
- (兼)加々良乙比古 中佐:1918年5月31日 - 1918年6月26日
- 関干城 中佐:1918年6月26日 - 1918年11月10日
- 石渡武章 中佐:1918年11月10日[4] -
- 原道太 中佐:1919年12月1日[5] -
- 特務艦長
- 原道太 中佐:不詳 - 1920年11月20日[6]
- 木村豊樹 中佐:1920年11月20日[6] - 1921年12月1日[7]
- 内藤省一 中佐:1921年12月1日[7] -
- 藤吉晙 中佐:1922年12月1日 - 1923年10月20日[8]
- 福島貫三 中佐:1923年10月20日[8] - 1924年12月1日[9]
- 井上繁則 中佐:1924年12月1日[9] - 1925年6月15日[10]
- (兼)井上繁則 中佐:1925年6月15日[10] - 1925年12月1日[11]
- 伴次郎 中佐:1925年12月1日 - 1926年12月1日
- 北正一郎 中佐:1926年12月1日[12] - 1927年12月1日[13]
- 川名彪雄 中佐:1927年12月1日 - 1928年12月4日
- 坂本正 中佐:1928年12月4日[14] - 1929年11月30日[15]
- 本橋政光 中佐:1929年11月30日[15] - 1930年12月1日[16]
- 相浦小七 中佐:1930年12月1日[16] - 1931年12月1日[17]
- 小熊文雄 中佐:1931年12月1日[17] - 1932年12月1日[18]
- 小西干比古 中佐:1932年12月1日[18] - 1934年2月20日[19]
- 脇坂乗平 中佐:1934年2月20日 - 1934年11月1日
- 石川茂 中佐:1934年11月1日 - 1935年11月15日
- 高木伴治郎 中佐:1935年11月15日[20] - 1938年2月21日[21]
- 土井高 中佐:1938年2月21日 - 1939年4月20日
脚注
[編集]- ^ a b c d e #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
- ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ 『官報』第1748号、大正7年6月1日。
- ^ 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
- ^ 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
- ^ a b 『官報』第2801号、大正10年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3350号、大正12年10月22日。
- ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3843号、大正14年6月16日。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第581号、昭和3年12月4日。
- ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
- ^ a b 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
- ^ 『官報』第2141号、昭和9年2月22日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ 「海軍辞令公報 号外 第140号 昭和13年2月21日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400
参考文献
[編集]- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』(光人社、1993年) ISBN 4-7698-0386-9
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 『世界の艦船 増刊第47集 日本海軍特務艦艇史』(海人社、1997年3月号増刊No522)
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 31巻、朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1969年。
- 『官報』