若宮 (水上機母艦)
若宮 | |
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1915年6月の「若宮」[1] | |
基本情報 | |
建造所 | ロバート・ダンカン社(イギリス・グラスゴー)[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
運送船[3] 二等海防艦(1915年6月1日)[4] 航空母艦(1920年4月1日)[5] |
母港 |
佐世保(1905年9月1日)[6] 呉(1907年3月26日)[7] 横須賀(1920年時)[8] 佐世保(1931年時)[2] |
艦歴 | |
進水 | 1901年[8] |
竣工 | 1901年10月 |
除籍 | 1931年4月1日 |
その後 | 1932年解体 |
改名 | レシントン[9] → 沖ノ島丸(仮名)[9] → 若宮丸[6] → 若宮[3] |
要目(主に1920年) | |
排水量 | 7,600英トン[8] |
基準排水量 | 5,180英トン(1927年)[10] |
常備排水量 | 5,895英トン(1927年)[10] |
総トン数 |
4,421総トン(拿捕時)[11] 4,723.42総トン(1910年)[12] |
垂線間長 | 365 ft 0 in (111.25 m)[8] |
水線幅 | 48 ft 2 in (14.68 m)[8] |
吃水 | 18 ft 11+11⁄32 in (5.77 m)[8] |
ボイラー | 円缶3基[8][注釈 1] |
主機 | 直立3気筒三段膨張1基[8][13][注釈 2] |
推進 | 1軸[8] |
出力 | 1,591hp[14] または1,600hp[8] |
速力 | 11ノット(1927年)[10] または10ノット[14] |
燃料 | 石炭庫容量 851トン[8] |
乗員 |
1920年8月1日附定員 140名[15] #乗員も参照 |
兵装 |
40口径1号8cm単装砲2門[8] 5cm単装高角砲2門[8] |
搭載艇 |
8隻(1910年)[12] 7隻(1920年)[8] |
搭載機 |
1914年 ファルマン水上機4機[16] 1915年 ファルマン70馬力水上機 常用1機+補用3機、100馬力機 常用1機、計5機[17] |
若宮 (わかみや)は、日本海軍の水上機母艦。日本海軍初の水上機母艦であり、第一次世界大戦において日本初の航空作戦を実施している。艦名は壱岐国(長崎県壱岐諸島[18])若宮島から採る[19]。若宮は青島の戦いで世界初の海上空襲を行った(1914年9月5日)。これは第一次世界大戦の最初の数ヶ月だった。[20][21]
艦歴
[編集]元英貨物船レシントン(Lethington)。1905年(明治38年)1月、日露戦争時において香港からウラジオストクに向かっている途中の対馬海峡で鹵獲され没収、2月14日に沖ノ島丸と命名された。同年9月1日、若宮丸と正式命名、日本海軍の輸送船として活動した。
1913年(大正2年)に臨時に水偵機3機を搭載して演習に参加、翌年水上機母艦への改装工事を受けた。前部船倉に航空機格納所や弾火薬庫、後部船倉に兵員室を設け甲板上にキャンパス製の天蓋をつけた簡単な改装だった。航空機は前後甲板上に各1機、格納所には分解して2機の計4機を搭載でき、航空機の発進は海上に下ろす形だった。
日英同盟を締結していた当時、第一次世界大戦勃発と共に日本はドイツに宣戦、本艦も青島攻略戦に参加し、日本で初めて航空作戦を実施した。その後も1925年(大正14年)まで艦隊にあり、航空戦力として演習等に参加した。
1915年(大正4年)に軍艦(二等海防艦)に編入、若宮と改名。
1920年(大正9年)4月1日には類別変更され新設された航空母艦に日本で初めて籍を置いた。が、もちろん実質は水上機母艦であった。
1920年(大正9年)、仮設の滑走台を設け陸上機の発艦実験をしている。
1925年まで艦隊へ配属、その後は佐世保鎮守府警備艦。
1931年(昭和6年)4月1日に除籍され、後に売却解体された。
乗員
[編集]海軍制度沿革に記載の定員の変遷は以下の通り。
- 1912年(明治45年)3月9日、運送船定員表 114名[22]
- 1915年(大正4年)6月1日、二等海防艦定員表 138名[23]
- 1916年(大正5年)8月1日、二等海防艦定員表 140名[24]
- 1923年(大正9年)8月1日、航空母艦定員表 140名[15]
- 1931年(昭和6年)4月1日定員表削除[25]
また軍極秘海軍省年報の要目等一覧表での乗員数は、1920年(大正9年)3月で124名[8]、1923年(大正12年)3月で114名[13]となっている[注釈 3]。
年譜
[編集]- 1901年10月 英ロバート・ダンカン社(グラスゴー)にて竣工
- 1905年1月12日 日露戦争において拿捕没収
- 2月14日 沖ノ島丸となる
- 9月1日 若宮丸と正式命名、海軍運送船として使用
- 1907-1912年 日本郵船に貸与
- 1912年3月9日 艦籍編入 運送船に類別
- 1913年 水上機搭載のテスト
- 1914年8月 水上機母艦への改装工事を横須賀工廠で実施
- 1915年6月1日 二等海防艦となり若宮と改名
- 1920年 陸上機の発艦実験実施。航空母艦へ類別変更
- 1926年? 佐世保鎮守府警備艦となり数年間佐世保に繋留
- 1931年4月1日 除籍
- 11月26日 売却
- 1932年 解体
艦長
[編集]※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
- 若宮丸船長
- 若宮丸指揮官
- 若宮艦長
- 山内四郎 大佐:1915年6月1日 - 1915年7月10日
- 足立六蔵 中佐:1915年7月10日[28] - 1916年8月24日
- 原田正作 中佐:1916年8月24日 - 1917年12月1日
- 花房太郎 大佐:1917年12月1日 - 1918年12月1日
- 志賀巳之治 大佐:1918年12月1日[29] - 1919年4月24日[30]
- 秋元秀太郎 大佐:1919年4月24日[30] - 1920年10月5日[31]
- 豊島二郎 大佐:1920年10月5日[31] - 1921年4月4日[32]
- 福岡成一 大佐:1921年4月4日[32] - 1922年12月1日[33]
- 津留雄三 中佐:1922年12月1日[33] - 1923年10月20日[34]
- 鈴木義一 中佐:1923年10月20日 - 1924年12月1日
- 秋山虎六 中佐:1924年12月1日 - 1925年11月10日
- 津田威彦 大佐:1925年11月10日[35] - 1926年12月1日[36]
- 森繁二 中佐:1926年12月1日[36] - 1927年12月1日[37]
特務艦高崎
[編集]航空母艦籍には入らなかったが若宮と同様の改装を受け艦隊演習も同様に参加した。詳細は高崎 (運送艦)を参照のこと。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表「大正十二年三月調」では『同 三』(直前から艦本式3基の意味)だが、「昭和六年三月調」では『圓罐式 三』に戻っているなど、これ以外に艦本式としている資料は無い。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表「昭和六年三月調」では『同』とあり、直前は『直立二回膨張二気筩直動式』になっている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その一「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」では234名となっており、#日本空母物語の要目表、日本航空母艦史などで採用されている。ただ他と大きく人数が違う。
出典
[編集]- ^ #海軍艦艇史3p.208
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第三その一「昭和六年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.362『大正四年六月一日(達七六) 運送船若宮丸ヲ帝國軍艦ト定メ若宮ト命名セラル』
- ^ #海軍制度沿革巻八p.75『大正四年六月一日(達七七) 艦艇類別等級別表中海防艦ノ欄「駒橋」ノ次ニ「若宮」ヲ加フ』
- ^ #海軍制度沿革巻八p.77『大正九年四月一日(達三八) 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス(以下略)』
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.394『明治三十八年九月一日(達一二〇) 捕獲汽船「レシントン」他六隻ノ船名及本籍鎮守府ヲ定ムルコト左ノ如シ(以下略)』
- ^ #明治40年達完/3月(3)画像4『達第二十三號 佐世保鎮守府在籍 汽船若宮丸 汽船高崎丸 汽船辨天丸 横須賀鎮守府在籍 汽船烏帽子丸 舞鶴鎮守府在籍 汽船藻寄丸 右本籍ヲ呉鎮守府ニ改ム 明治四十年三月二十六日 海軍大臣 齋藤實』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その一「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.392『明治三十八年二月十四日(内令一一九) 拿捕汽船「ローズリー」他二艘ヲ仮ニ左ノ通命名シ部内限リ適用スルコトヲ得ル儀ト心得ヘシ(以下略)』但し、高崎丸と沖ノ島丸が逆に間違えられている。
- ^ a b c #倫敦会議7巻/資料(1)分割3画像5
- ^ #海軍制度沿革巻八p.16
- ^ a b #M43公文備考巻50/汽舩若宮丸一件(3)画像38、甲種船舶検査証書写
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第二その一「大正十二年三月調艦艇要目等一覧表 その一 軍艦」
- ^ a b 阿部安雄=作成 福井静夫=協力「航空母艦,水上機母艦,潜水母艦,水雷母艦要目」#海軍艦艇史3p.334
- ^ a b #海軍制度沿革巻十の1p.608『大正九年八月一日(内令二六七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル(中略)別表ヲ附表ノ通改ム(以下略)』、同書p.633『| 第五十一表 | 航空母艦定員表 | 若宮 | (詳細備考略) |』士官11人、特務士官1人、准士官4人、下士官27人、兵97人。
- ^ #世界空母物語p.81
- ^ #世界空母物語pp.82-83
- ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)p.564
- ^ #日本海軍艦船名考pp.193-194
- ^ Donko, Wilhelm M.: „Österreichs Kriegsmarine in Fernost: Alle Fahrten von Schiffen der k.(u.)k. Kriegsmarine nach Ostasien, Australien und Ozeanien von 1820 bis 1914“. (epubli, Berlin, 2013). pp. 4, 156–162, 427.
- ^ Layman, R.D. Before the Aircraft Carrier (Naval Institute Press, 1989) does not name the ships and gives the date as 27 November.
- ^ #海軍制度沿革巻十の1p.509、内令第52号、将校、機関将校、将校相当官10人、特務士官、准士官4人、下士21人、卒79人
- ^ #海軍制度沿革巻十の1pp.530-531、内令第163号、将校同相当官10人、兵曹長同相当官、准士官4人、下士27人、卒97人
- ^ #海軍制度沿革巻十の1pp.537,560、大正5年7月17日附内令第158号(8月1日施行)、将校、機関将校、将校相当官12人、特務士官、准士官4人、下士27人、卒97人
- ^ #海軍制度沿革巻十の2p.704『昭和六年四月一日(内令五四) 海軍定員令中左ノ通改正セラル二等巡洋艦定員表其一中利根及筑摩ノ欄ヲ削ル 航空母艦定員表其二 削除 敷設艦定員表其一 削除』
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(1)画像14
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(1)画像9
- ^ 「海軍辞令公報 大正4年7月」 アジア歴史資料センター Ref.C13072071400
- ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2016号、大正8年4月25日。
- ^ a b 『官報』第2454号、大正9年10月6日。
- ^ a b 『官報』第2600号、大正10年4月5日。発令月日が「3月4日」と誤っていたが、『官報』第2602号(大正10年4月7日)で「4月4日」に訂正された。
- ^ a b 『官報』第3102号、大正11年12月2日。
- ^ 『官報』第3350号、大正12年10月22日。
- ^ 『官報』第3965号、大正14年11月11日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所)
- 『倫敦海軍会議一件 第七巻/資料(一)(艦船要目、艦船表、その他) 分割3』。Ref.B04122588300。
- 『明治43年 公文備考 巻50艦船33/汽舩若宮丸一件(3)』。Ref.C06092365300。
- 『明治44年/「公文備考 艦船26 巻42」/若宮丸一件(1)』。Ref.C07090160100。
- 『明治40年 達 完/3月(3)』。Ref.C12070055700。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の2』 明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 福井静夫『海軍艦艇史 3 航空母艦、水上機母艦、水雷・潜水母艦』KKベストセラーズ、1982年4月。ISBN 4-584-17023-1。
- 福井静夫『世界空母物語』 福井静夫著作集第3巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0609-4。
- 福井静夫『日本空母物語』 福井静夫著作集第7巻、光人社、1996年8月。ISBN 4-7698-0655-8。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7。
- 『官報』