室戸 (給炭艦)
室戸 | |
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呉で病院船設備工事が完成した「室戸」(1932年3月5日)[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 三菱神戸造船所[2] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
運送船[2] → 運送艦[3](給炭艦[4]) |
級名 | 室戸型[5] |
建造費 | 約1,530,000円(試算額)[6] |
母港 |
1924年時 呉[4] 最終時 舞鶴[7] |
艦歴 | |
計画 | 大正6年度[8](臨時軍事費による[9]) |
起工 | 1918年7月4日[10][11] |
進水 | 1918年10月23日[10][12] |
竣工 | 1918年12月7日[10][13] |
最期 | 1944年10月22日沈没 |
除籍 | 1944年12月10日[7][注釈 1] |
要目 | |
基準排水量 | 公表値 8,215トン[10] |
常備排水量 | 公表値 8,751トン[10][注釈 2] |
軽荷排水量 | 2,450トン[4] |
総トン数 | 3,810総トン[4][14] |
全長 | 358 ft 1+1⁄2 in (109.16 m)[4] |
垂線間長 | 345 ft 0 in (105.16 m)[4][15] |
最大幅 | 50 ft 2.72 in (15.31 m)[4][14] |
水線幅 | 50 ft 0 in (15.24 m)[15] |
深さ | 29 ft 1 in (8.86 m)[14] |
吃水 |
計画 23 ft 2 in (7.06 m)[16] 軽荷 7 ft 4+1⁄2 in (2.25 m)[17] 満載 23 ft 11 in (7.29 m)[4][注釈 3] |
ボイラー | 片面円缶2基[4][18] |
主機 | 直立3気筒3段膨張レシプロ1基[18] |
推進 | 1軸[4] |
出力 |
2,639馬力[4] 1938年時 2,200馬力[18] |
速力 |
12.916ノット(強圧通風)[14][注釈 4] 1938年時 12ノット[18] |
燃料 | 石炭満載580トン+缶前10トン[4] |
航続距離 | 4,162カイリ / 8ノット[4] |
乗員 | 竣工時定員 124名[10][19] |
搭載能力 |
載貨トン数 6,381立方フィート[4][注釈 5] 石炭 5,800トン[4] 缶水754トン、雑用清水26トン、飲水42トン[4] 獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[4] |
兵装 |
45口径三年式12cm砲 単装2門(平時は陸上保管)[4] 40口径三年式8cm高角砲 単装2門(1932年以降) |
搭載艇 | 3隻[16] または内火艇1隻、カッター2隻、通船1隻[4] |
その他 |
前部10トンデリック2本、同6トン2本[4] 後部6トン4本、同2.5トン2本[4] 便乗者用寝台86床、釣床744床[4] 病院設備(1932年以降)[1] |
トンは英トン 計画要目は室戸型給炭艦の要目を参照 |
室戸(むろと)は日本海軍の給炭艦で、室戸型給炭艦の1番艦。艦名は室戸岬による[20]。1944年に潜水艦の雷撃により沈没。
艦歴
[編集]1917年(大正6年)度の臨時軍事費で建造され、1918年(大正7年)12月7日に三菱神戸造船所で竣工、舞鶴鎮守府籍とする。竣工当初は運送船に類別されたが1920年(大正9年)4月1日に運送艦(給炭)となった。
1932年(昭和7年)の第一次上海事変に際し、2月23日から3月5日に呉海軍工廠で臨時に病院設備を設置した。ただし病院船の登録には万国赤十字の承認、船体の白色塗装、無武装とするなどの必要があり、また軍需物資の輸送もできないので病院船として申請はせず、運送艦籍のまま支那方面へ進出した。この時の改装では船橋楼甲板を後方に延長し、同型艦「野島」とは艦型に違いが生じた。
本艦は1937年(昭和12年)からの日華事変にも病院船任務として従軍した。
太平洋戦争開戦時には連合艦隊付属としてカムラン湾に進出、シンガポール陥落後の1942年(昭和17年)3月には同地に進出し病院船任務に就き「室戸病院」と呼ばれた。同時期にスマトラへの給炭や真水の補給なども実施している。その後も実質上の病院船として、また軍需品の輸送にと活躍した。
1942年(昭和17年)6月に横須賀港に一旦帰港、以後1943年(昭和18年)3月まで大湊などの北方方面で治療任務などに従事する。1942年10月25日から11月6日にかけて、推進軸を折損して航行不能となっていた駆逐艦「初春」を幌筵島から舞鶴まで曳航した[21]。
1943年6月以降は上海、三亜、香港方面の軍需品輸送に従事する。1944年(昭和19年)8月からは沖縄輸送に2回従事した。
同年10月21日にカタ916船団の1隻として鹿児島港を出港するが翌22日に奄美大島の北方で米潜水艦「シードッグ」の雷撃を受け沈没した。
歴代特務艦長
[編集]※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」に基づく。階級は就任時のもの。
- 七田今朝一 大佐:1921年4月6日 - 9月17日
- 宮村吉通 中佐:1921年9月17日[22] - 1922年11月10日[23]
- 安野康 中佐:1922年11月10日[23] - 1923年2月20日[24]
- 野崎直吉 中佐:1923年2月20日[24] - 1923年6月11日[25]
- 加藤哲平 中佐:1923年6月11日[25] - 1923年11月10日[26]
- 大野寛 中佐:1923年11月10日 - 1924年12月1日
- 林李樹 中佐:1924年12月1日[27] - 1925年4月15日[28]
- (兼)青木國太郎 大佐:1925年4月15日[28] - 1925年7月10日[29] (本職:多摩艦長)
- (兼)青木國太郎 大佐:1925年7月10日[29] - 1925年8月1日[30] (本職:木曾艦長)
- 小林晋 中佐:1925年8月1日[30] - 1926年4月1日[31]
- 藤澤宅雄 中佐:1926年4月1日[31] - 1926年10月20日[32]
- 林義寛 大佐:1926年10月20日[32] - 1927年4月20日[33]
- 名古屋十郎 中佐/大佐:1927年4月20日 - 1927年12月1日[34]
- 和田専三 大佐:1927年12月1日 - 1928年10月29日
- 山縣少介 中佐:1928年10月29日[35] - 12月5日[36]
- 三好七郎 中佐:1928年12月5日[36] - 1929年3月10日[37]
- 荒木貞亮 大佐:1929年3月10日 - 11月30日
- 高橋頴雄 中佐:1929年11月30日 - 1930年5月1日
- 藤永三郎 中佐:1930年5月1日[38] - 1930年11月1日[39]
- 角田貞雄 中佐:1930年11月1日[39] - 1931年11月2日[40]
- 渡邊鐐一 中佐:1931年11月2日[40] - 1932年2月1日[41]
- 山田満 中佐:1932年2月1日 - 10月20日
- 平岡粂一 中佐:1932年10月20日 - 1933年8月25日
- 岸福治 中佐/大佐:1933年8月25日 - 1934年10月20日
- 堀内馨 中佐:1934年10月20日[42] - 1935年10月10日[43]
- 山田敏世 中佐:1935年10月10日[43] - 1936年11月2日[44]
- 森良造 中佐/大佐:1936年11月2日[44] - 1938年12月15日[45]
- 駒沢克己 大佐:1938年12月15日 - 1939年11月15日
- 兄部勇次 大佐:1939年11月15日 - 1940年3月20日
- 三浦友三郎 大佐:1940年3月10日 - 1940年11月15日
- 山高松次郎 大佐:1940年11月15日 - 1941年4月17日
- 板倉得止 大佐:1941年4月17日 - 5月1日
- 東郷實 大佐:1941年5月1日 - 10月28日
- 岸良幸 大佐:1941年10月28日 - 1942年2月1日
- 山形政二 大佐:1942年2月1日 - 1943年8月20日
- 古谷啓次 大佐:1943年8月20日[46] - 1944年10月25日[47]
同型艦
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ #日本海軍特務艦船史p.26、中川努「主要艦艇艦歴表」#日本海軍全艦艇史資料篇p.31では1945年12月10日としている。
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三、大正9年3月調べの要目一覧では単に排水量8,750噸とある。また#T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局では満載排水量を8,751噸としている。その他#T9公文備考22/試験(2)画像15、運送船室戸重油搭載実験報告では『排水量三、六七八屯(満載)』の記載がある。
- ^ 他に満載吃水の値として#軍艦基本計画資料Sheet25では23'93(7.294m)、#T9公文備考22/試験(2)画像14-15、運送船室戸重油搭載実験報告では23'11"1/4(7.296m)としている。
- ^ #軍艦基本計画資料Sheet25では12.91ノット、#T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局では12.9ノットとしている。
- ^ #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局で載貨重量トンでは4,500トンとしているが、直後に石炭5,800トン搭載としている。
出典
[編集]- ^ a b #日本海軍全艦艇史p.856写真No.2688の解説およびp.857写真No.2689とその解説
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.398『大正六年十月二十二日(達一二七) 臨時軍事費ヲ以テ三菱合資會社神戸造船所ニ於テ製造ノ六千噸積運送船ヲ室戸<rubi>ムロト</rubi>ト命名ス』
- ^ #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表略)』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局
- ^ #海軍制度沿革巻八p.105『大正十五年十一月二十九日(内令二三九) 特務艦類別等級別表ノ通定ム(別表略)』種別:運送艦、等級:(空白)、艦型:室戸型、特務艦名:室戸、野島。
- ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像6、1917年9月15日提出の試算における運送船建造費
- ^ a b #S19.9-12秘海軍公報号外/12月(2)画像18、秘海軍公報第4879号(昭和19年12月15日)p.1609『内令第一三四〇號(中略)舞鶴鎮守府在籍 特務艦 室戸 右帝國特務艦籍ヨリ除カル 昭和十九年十二月十日 海軍大臣』
- ^ #日本海軍特務艦船史p.26
- ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.255
- ^ a b c d e f #海軍制度沿革巻十一の2pp.1057-1087、昭和3年2月14日附内令第43号、艦船要目公表範囲。うちpp.1084-1085。
- ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像45『新船第七七號四一四 大正七年七月四日 三菱造船株式會社神戸造船所長代 永康○○○ 海軍省艦政局長中野直枝殿 特務艦室戸起工式の件 本日午前拾時駐在監督官乃立會ノ上頭○特務艦室戸起工式施行無事終了仕候○○○○○○○○○○乃届申上候也』
- ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像63『大正七年十月廿三日 神戸三菱造舩所 艦政局長宛 室戸今朝無事進水御届ス (終)』
- ^ #T7公文備考20/特務艦製造画像59、電報着信紙『室戸本日受領船長ヘ引渡ヲ了ス 十二月七日 呉鎮長官』○○7.12.10受付印、艦政7.12.12受付印
- ^ a b c d #T9公文備考22/試験(2)画像14-15、運送船室戸重油搭載実験報告
- ^ a b #軍艦基本計画資料Sheet25
- ^ a b #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
- ^ #T14公文備考42/特務艦要目画像5-18、特務艦要目表(大正13年11月調)海軍省軍務局。前部6ft、後部8ft-9in
- ^ a b c d #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
- ^ #海軍制度沿革巻十の1p.575『大正七年十二月七日(内令四〇七) 海軍定員令中左ノ通改正セラル 附表ノ通運送船定員表其二ヲ加フ | 第六十四表 | 運送船定員表 其二 | | 室戸 | (詳細備考略)』計將校、機關將校、將校相當官10人、特務士官、准士官5人、下士23人、兵86人。
- ^ #日本海軍艦船名考p.214
- ^ 戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦、339ページ
- ^ 『官報』第2741号、大正10年9月19日。
- ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
- ^ a b 大正12年2月21日付 官報第3166号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955288 で閲覧可能。
- ^ a b 大正12年6月12日付 官報第3259号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955382 で閲覧可能。
- ^ 大正12年11月12日付 官報第3367号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2955514 で閲覧可能。
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
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- ^ a b 『官報』第4080号、大正15年4月2日。
- ^ a b 大正15年10月21日付 官報第4249号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956399 で閲覧可能。
- ^ 昭和2年4月21日付 官報第91号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956550 で閲覧可能。
- ^ 昭和2年12月2日付 官報第279号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2956739 で閲覧可能。
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- ^ a b 『官報』第583号、昭和3年12月6日。
- ^ 『官報』第657号、昭和4年3月11日。
- ^ 昭和5年5月2日付 官報第999号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957466 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和5年11月4日付 官報第1155号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957622 で閲覧可能。
- ^ a b 昭和6年11月4日付 官報第1455号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957923 で閲覧可能。
- ^ 昭和7年2月2日付 官報第1525号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2957995 で閲覧可能。
- ^ 昭和9年10月22日付 官報第2343号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2958819 で閲覧可能。
- ^ a b 『官報』第2634号、昭和10年10月11日。
- ^ a b 昭和11年11月4日付 官報第2953号。国立国会図書館デジタルコレクション 永続的識別子 info:ndljp/pid/2959435 で閲覧可能。
- ^ 「昭和13年12月15日付 海軍辞令公報 (部内限) 号外 第273号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ 「昭和18年8月21日付 海軍辞令公報 (部内限) 第1196号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072092500
- ^ 「昭和19年10月28日付 秘海軍辞令公報 甲 第1630号」 アジア歴史資料センター Ref.C13072101700
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/特務艦製造』。Ref.C08021104600。
- 『大正9年 公文備考 巻22 艦船2/試験(2)』。Ref.C08021559400。
- 『昭和19年9月~12月 秘海軍公報 号外/12月(2)』。Ref.C12070498200。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十一の2』 明治百年史叢書 第185巻、原書房、1972年5月(原著1941年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
- 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
- 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 福田啓二 編『軍艦基本計画資料』今日の話題社、1989年5月。ISBN 4-87565-207-0。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。 ISBN 4-7698-0463-6
- 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書第29巻 北東方面海軍作戦』朝雲新聞社