高崎 (運送艦)
高崎 | |
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1915年から1918年の横須賀と推定される「高崎」[1] | |
基本情報 | |
建造所 | 英ロバート・ダンカン社[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 |
運送船[2] 運送艦[3](給炭艦[4]) |
母港 |
佐世保(1905年9月1日)[5] 呉(1907年3月26日)[6] |
艦歴 | |
起工 | 1902年[要出典] |
進水 | 1902年4月[7] |
就役 | 1904年1月12日拿捕[8] |
除籍 | 1932年4月1日[1] |
その後 |
1933年2月27日陸軍省移管[9] 1944年処分[9] |
改名 | ローズリー → 高崎丸(1905年2月14日)[10][5] → 高崎(1915年8月23日)[11] |
要目 | |
基準排水量 | 5,181英トン[12] |
常備排水量 | 5,987英トン[13][12] |
満載排水量 | 9,835トン[4] |
総トン数 |
1911年 4746.84総トン[14] 1924年 4,370総トン[4] |
全長 | 390 ft 0 in (118.87 m)[4] |
水線長 | 374 ft 8+1⁄2 in (114.21 m)[14] |
垂線間長 | 375 ft 0 in (114.30 m)[13] |
最大幅 |
48 ft 1+1⁄4 in (14.66 m)[14] または 47 ft 11 in (14.61 m)[13] |
深さ | 31 ft 10 in (9.70 m)[14] |
吃水 |
15 ft 9 in (4.80 m)[13] 満載平均 24 ft 3+1⁄2 in (7.40 m)[15] |
ボイラー |
1911年 単面円缶3基[14] 1920年 宮原式端面缶3基[13][4] |
主機 | 直立3段レシプロ[13]1基[14] |
推進 | 1軸[13] |
出力 | 1,850実馬力[14][13] |
速力 | 10.9ノット(9/10全力)[4] |
燃料 | 石炭庫満載806トン + 庫外193トン[4] |
航続距離 |
6,912カイリ / 8ノット[4] 4,830カイリ / 10ノット[4] |
乗員 | 定員 114名[2][13] |
搭載能力 |
石炭 3,000トン[4] 雑用清水 803トン[4] 獣肉、魚肉、野菜、氷の各冷蔵庫[4] |
兵装 | 40口径安式8cm単装砲2門(戦時搭載)[4] |
搭載艇 |
1911年 4隻[14] 1920年 7隻[13] 1924年 内火艇1隻、カッター2隻、通船2隻[4] |
その他 |
2トン・デリック7本[4] 便乗者用寝台 准士官以上20、下士官兵300[4] |
高崎(たかさき)[11][注釈 1]は、日本海軍の特務艦(運送艦)。類別は運送艦であるが1915年より水上機を搭載し水上機母艦として艦隊演習に参加した。また艤装も水上機母艦「若宮」と同様の改装を受けている。
艦名は初代。浅井将秀『日本海軍艦船名考』によると対馬舟志湾内の高崎鼻による[16][注釈 2]。
艦歴
[編集]元は1902年(明治35年)4月に、イギリス、グラスゴー、ロバート・ダンカン社で進水したイギリス船籍の貨物船「ローズリー Roseley」[8]。
日露戦争開戦時の1905年(明治38年)1月12日に拿捕される[8]。4月10日、佐世保捕獲審検所の検定で「没収」と判決され[17]、8月8日の高等捕獲審検所での検定でもウヰリアム・ロバート・リー船長[18]らの抗議を棄却し[19]、積荷の石炭6,462トン[20]とともに正式に「没収」とされた。
日本海軍は同年2月14日に部内限りで「高崎丸」と仮命名[21]し、高等捕獲審検所での検定後の9月1日に「高崎丸」と正式命名、本籍を佐世保鎮守府と定め[22]、日本海軍の運送船とした。
1907年(明治40年)3月21日日本郵船に引渡して[8]運行を委任、本船など7隻は海軍指定の航路に就き、貨物の一部を海軍専用として使用した[23]。
1911年(明治44年)5月16日、日本海軍に返還され[24]、横須賀を発着し呉、佐世保、竹敷、鎮海、旅順を結ぶ旅順線[25]と、横須賀を発着し呉、佐世保、基隆、馬公を結ぶ台湾線とを交互に運行を予定し[26]、同年9月18日横須賀発、旅順線から運行を開始した[27]。
この間1912年(明治45年)2月には川崎造船所で建造中の「平戸」の兵器、乗員輸送の為に呉から神戸に寄港するなど、随時航路は変更された[28]。
1915年(大正4年)8月23日に「高崎」と改名[11]、その年4月に飛行機搭載設備を仮設し、大演習では臨時に水上機を搭載して参加した[9]。1920年(大正9年)4月1日、特務艦に編入し運送艦に類別された[3]が、その後も1924年(大正13年)頃まで水上機用母艦として使用した。1925年(大正14年)1月に航空機搭載設備を撤去[9]、以降は本来の輸送任務に復帰した。
1930年(昭和5年)に機関が破損したため1932年(昭和7年)4月1日に除籍[1]、1933年(昭和8年)2月27日陸軍省へ移管した[9]。その後は1944年(昭和19年)まで陸軍で使用され、12月に特攻艇の標的として爆破処分された[1][9]。
艦長
[編集]※脚注無き限り『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。階級は就任時のもの。
指揮官
[編集]- 奥田貞吉 中佐:1911年5月9日 - 1911年12月1日
- 松永光敬 中佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
- 伊東祐保 中佐:1912年12月1日 - 1913年12月1日
- 渡辺仁太郎 中佐/大佐:1913年12月1日 - 1915年2月1日[29]
- 福地嘉太郎 中佐:1915年2月1日[29] - 1915年12月13日
- 原田正作 中佐:1915年12月13日 - 1916年8月24日
- 足立六蔵 中佐:1916年8月24日 - 1916年12月1日
- 上田吉次 中佐:1916年12月1日 - 1917年12月1日
- 秋元秀太郎 中佐:1917年12月1日[30] - 1918年6月26日[31]
- 高橋節雄 中佐:1918年6月26日 - 1918年12月1日
- 内倉利吉 中佐:1918年12月1日[32] - 1919年12月1日[33]
- 秋吉照一 中佐:1919年12月1日[33] - 1920年4月1日
特務艦長
[編集]- 秋吉照一 中佐:1920年4月1日 - 1920年7月1日[34]
- 樺山信之 中佐:1920年7月1日[34] - 1920年11月12日[35]
- 永野永三 中佐:1920年11月12日[35] - 1921年11月20日[36]
- 岩沢安五郎 中佐:1921年11月20日[36] - 1922年8月1日[37]
- 鳥山貞美 中佐:1922年8月1日[37] - 1922年11月10日[38]
- 海津良太郎 中佐:1922年11月10日[38] - 1923年12月1日[39]
- 白木豊 中佐:1923年12月1日[39] - 1924年3月8日[40]
- 吉武純蔵 中佐:1924年3月8日 - 1924年11月20日[41]
- 鈴木勇 中佐:1924年11月20日[41] - 1925年12月1日[42]
- 高原昌平 中佐:1925年12月1日[42] - 1926年1月9日[43]
- 高橋為次郎 中佐:1926年1月9日[43] - 1926年8月1日[44]
- 入江淵平 中佐:1926年8月1日[44] - 1927年3月1日[45]
- 宇野積蔵 中佐:1927年3月1日 - 1927年12月1日
- 波多野二郎 中佐:1927年12月1日[46] - 1928年12月10日[47]
- 佐藤康逸 中佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
- 庄司弥一 中佐:1929年11月30日[48] - 1930年5月1日[49]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e #日本海軍特務艦船史p.34
- ^ a b #海軍制度沿革巻十の1p.509、『明治四十五年三月九日(内令五二) 海軍定員令別表運送船定員表ヲ附表ノ通改正セラル | 船第二表 | 運送船定員表 | 高崎丸 | 若宮丸 | (詳細備考略) |』将校同相当官10人、兵曹長同相当官、准士官4人、下士21人、卒79人。
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.103『大正九年四月一日(達四〇) 特務艦類別等級表別表ノ通定ム (別表略)』
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p #特務艦要目画像5-18『特務艦要目表 (大正十三年十一月調) 海軍省軍務局』
- ^ a b #海軍制度沿革巻八p.394『明治三十八年九月一日(達一二〇) 捕獲汽船「レシントン」他六隻ノ船名及本籍鎮守府ヲ定ムルコト左ノ如シ | 原名 船名 本籍 | 「レシントン」 若宮(ワカミヤ)丸 佐世保鎮守府 | 「ローズリー」 高崎丸 佐世保鎮守府 | (以下略)』
- ^ #明治40年達完/3月(3)画像4『達第二十三號 佐世保鎮守府在籍 汽船若宮丸 汽船高崎丸 汽船辨天丸 横須賀鎮守府在籍 汽船烏帽子丸 舞鶴鎮守府在籍 汽船藻寄丸 右本籍ヲ呉鎮守府ニ改ム 明治四十年三月二十六日 海軍大臣 齋藤實』
- ^ #聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)pp.589-590
- ^ a b c d #海軍制度沿革巻八pp.15-18『拿捕船處分一覧表 明治四十年六月七日調』
- ^ a b c d e f #日本海軍史第7巻pp.454-455
- ^ #海軍制度沿革巻八p.392『明治三十八年二月十四日(内令一一九) 拿捕汽船「ローズリー」他二艘ヲ仮ニ左ノ通命名シ部内限リ適用スルコトヲ得ル儀ト心得ヘシ(以下略)』。但し、高崎丸と沖ノ島丸(後の若宮丸)が逆に間違えられており、3月5日に「ローズリー」を「高崎丸」にする旨訂正されている(#聯合艦隊軍艦銘銘伝(普)p.590)。
- ^ a b c #海軍制度沿革巻八p.397『大正四年八月二十三日(達一一〇) 運送船「高崎丸」ヲ「高崎」ニ同「志自岐丸」ヲ「志自岐」ニ工作船「關東丸」ヲ「關東」ニ改ム』
- ^ a b #倫敦会議7巻/資料(1)分割3画像15
- ^ a b c d e f g h i j #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第一その三「大正九年三月調艦艇要目等一覧表 その三 潜水艦、水雷艇、特務船」
- ^ a b c d e f g h #M44公文備考巻42/若宮丸一件(2)画像63
- ^ #特務艦要目画像5-18、前部吃水 22呎3吋1/2、後部 26呎3吋1/2
- ^ #日本海軍艦船名考p.134
- ^ 明治38年4月10日付 佐世保捕獲審検所 第22号 「ローズリー号事件」検定書。
- ^ 「ヰ」の字は、当時の検定書の表記による。
- ^ 明治38年8月8日付 高等捕獲審検所 「第55号事件」検定書。
- ^ 明治38年8月8日付 高等捕獲審検所 「第56号事件」検定書。
- ^ 明治38年2月14日付 内令第119号。
- ^ 明治38年9月1日付 達第120号。
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(2)画像24-27『命令書 (四十二年四月十三日改正) 日本郵船株式會社 海軍大臣ハ若宮丸外六隻ノ使用ニ関シ日本郵船株式會社ニ命令ヲ為スコト右ノ如シ 第一條 海軍大臣ハ其ノ會社ヲシテ左記ノ汽船ヲ維持使用セシム 若宮丸 髙崎丸 烏帽子丸 藻寄丸 澤捉丸 辨天丸 済州丸(中略)第三條 其ノ會社ハ別紙指定航路ニ依リ航海ヲ為シ常ニ約千噸以上四千噸未満ノ容積ヲ海軍専用ニ供給スルモノトス 此ノ供給ニ對シ毎年度定ムル予算ノ範囲内ニ於テ一箇月一噸ニ付参円以内ヲ海軍省ヨリ仕拂フモノトス 但シ端日数ハ其ノ月ノ現日数ニ依リ計算ス 前項ノ指定航路中臺湾線元山線航路ハ必要ニ應シ変更スルコトアルヘシ(以下略) 明治四十年二月廿七日 海軍大臣』
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(1)画像30-31
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(4)画像5-6、『髙崎丸旅順線航路表(台湾線ト交互ニ発航ス)』
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(4)画像7-8、『髙崎丸台湾線航路表(旅順線ト交互ニ発航ス)』
- ^ #M44公文備考巻42/若宮丸一件(4)画像19
- ^ #T1公文備考37/船舶任務修理及航路予定(1)画像37『電案 明治四十五年二月十九日 髙崎丸指揮官宛 貴船ハ今回横須賀ニ帰港ノ途軍艦平戸ノ乗員及兵器ヲ呉ヨリ神戸ヘ輸送セラルヘシ依○』
- ^ a b 大正4年2月2日付 海軍辞令公報 (部外秘) 第89号。
- ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
- ^ 『官報』第1770号、大正7年6月27日。
- ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
- ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2375号、大正9年7月2日。
- ^ a b 『官報』第2486号、大正9年11月13日。
- ^ a b 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
- ^ a b 『官報』第3001号、大正11年8月2日。
- ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
- ^ a b 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
- ^ 『官報』第3461号、大正13年3月10日。
- ^ a b 『官報』第3675号、大正13年11月21日。
- ^ a b 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ a b 『官報』第4011号、大正15年1月11日。
- ^ a b 『官報』第4182号、大正15年8月2日。
- ^ 『官報』第49号、昭和2年3月2日。
- ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
- ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
- ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
- ^ 『官報』第999号、昭和5年5月2日。
参考文献
[編集]- アジア歴史資料センター(公式)(外務省外交史料館、防衛省防衛研究所)
- 『倫敦海軍会議一件 第七巻/資料(一)(艦船要目、艦船表、その他) 分割3』。Ref.B04122588300。
- 『明治44年/「公文備考 艦船26 巻42」/若宮丸一件(1)』。Ref.C07090160100。
- 『明治44年/「公文備考 艦船26 巻42」/若宮丸一件(2)』。Ref.C07090160200。
- 『明治44年/「公文備考 艦船26 巻42」/若宮丸一件(4)』。Ref.C07090160400。
- 『明治45年~大正1年 公文備考 巻37 艦船11/船舶任務修理及航路予定(1)』。Ref.C08020052900。
- 『大正14 公文備考 巻42 艦船止/特務艦要目』。Ref.C08051419000。
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
- 海軍省 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』 第7巻、第9巻、第10巻、海軍歴史保存会、1995年11月。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 『日本海軍特務艦船史』 世界の艦船 1997年3月号増刊 第522集(増刊第47集)、海人社、1997年3月。
- 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。
- 雑誌『丸』編集部 編『写真日本の軍艦 第4巻 空母II』光人社、1989年10月。ISBN 4-7698-0454-7。
- 『官報』