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山陽丸 (特設水上機母艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山陽丸
基本情報
船種 貨物船
クラス 畿内丸型貨物船
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 大阪商船
運用者 大阪商船
 大日本帝国海軍
建造所 三菱造船長崎造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 6隻
信号符字 VHMG
JJLC
IMO番号 36117(※船舶番号)
建造期間 294日
就航期間 4,973日
経歴
起工 1929年12月26日[1]
進水 1930年7月11日[2]
竣工 1930年10月31日[3]
除籍 1944年7月10日
最後 1944年5月26日被雷沈没
要目
総トン数 8,365トン(1930年)
8,360トン(1933年)[2]
純トン数 5,046トン(1930年)
5,047トン(1933年)
5,040トン(1939年)
載貨重量 10,272トン[2]
排水量 不明
全長 135.94 m[2]
垂線間長 135.64m[1]
型幅 18.44m[2]
深さ 12.19m
型深さ 12.42m[2]
高さ 25.29m(水面から1番・4番マスト最上端まで)
14.93m(水面から2番・3番マスト最上端まで)
10.05m(水面から船橋直前部デリックポスト最上端まで)
15.54m(水面から煙突最上端まで)
喫水 3.54m[2]
満載喫水 8.59m[2]
主機関 三菱ズルツァーディーゼル機関 2基[2]
推進器 2軸[2]
最大出力 8,635BHP[2]
定格出力 7,200BHP[2]
最大速力 18.6ノット[2]
航海速力 16.0ノット[2]
航続距離 16ノットで38,500海里
乗組員 60名[2]
関東級貨物船は準姉妹船
1941年8月6日徴用。
高さは米海軍識別表[4]より(フィート表記)。
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山陽丸
トラック泊地で応急修理中の水上機母艦山陽丸(右から3隻目)
基本情報
艦種 特設水上機母艦
特設運送船
艦歴
就役 1941年8月15日(海軍籍に編入時)
連合艦隊第三艦隊第十二航空戦隊/佐世保鎮守府所管
要目
兵装 特設巡洋艦時
四一式15cm砲2門
五年式短8cm砲2門
九六式25mm連装機銃2基4門
九二式7.7mm機銃2基2門
110cm探照灯1基
特設運送船時
12cm砲2門
九六式25mm機銃2基2門
九二式7.7mm機銃2基2門
装甲 なし
搭載機 特設水上機母艦時[5]
零式水上偵察機2機(補用1機)
零式観測機6機(補用2機)
呉式2号5型射出機1基
特設運送船時
なし
徴用に際し変更された要目のみ表記。
テンプレートを表示

山陽丸(さんようまる)は、大阪商船(現・商船三井)の畿内丸型貨物船の三番船[1][5]太平洋戦争では日本海軍に徴傭されて特設水上機母艦、特設運送船として運用された。

船歴

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「山陽丸」は三菱重工業長崎造船所で建造され、1930年(昭和5年)10月31日に竣工後、翌11月に処女航海を行いニューヨーク航路に就航する[5]。航路の主要搭載品は生糸であったが[6]、冷凍マグロを搭載する事もあった[7]。後にはヨーロッパ航路にも配船され[8]第二次世界大戦勃発後も引き続き就航するが、イギリスによる拿捕の危機をはらみつつドイツからの貨物を搭載して日本に帰国する事もあった[9][10]1941年(昭和16年)5月2日に神戸を出港した航海が最後の商業航海であり[5]、帰国後の8月6日に日本海軍に徴傭され横須賀鎮守府籍となる[3]。8月15日に特設水上機母艦として入籍後、艤装工事を受けた[3]。9月30日、第十二航空戦隊に編入[11]。11月22日に第十二航空戦隊は佐世保を出港し、11月27日に三亞に到着[11]

太平洋戦争緒戦では第十二航空戦隊の「山陽丸」、「神川丸」と第九根拠地隊の「相良丸」で馬来部隊の第二航空部隊を編成し、マレー半島への上陸作戦に参加した[12]。その任務は船団の護衛、泊地の警戒および陸戦の支援であった[11]。「山陽丸」はリエム湾[13]へ進出し、その水上機は船団の護衛や索敵に従事した[14]。12月9日、「山陽丸」はプロコンドル島へ向かった[15]マレー沖海戦のあった12月10日、カムラン湾から「山陽丸」と「神川丸」の水上機が索敵を行い、プロコンドル島に到着した「山陽丸」もその搭載機を索敵に向かわせていたが、これらはイギリス艦隊は発見できなかった[16]

1942年(昭和17年)に入ってからは「神川丸」とともに蘭印作戦に転じ、1月はタラカン島およびバリクパパン攻略戦の支援にあたる[17]。2月にはジャワ島西部に上陸する第十六軍今村均中将)主力の援護を務め[18]、3月下旬にはメルギー英語版を拠点として水上機基地設営、マラッカ海峡警戒およびアンダマン諸島攻略作戦の援護を行った[19]。5月、小スンダ列島戡定作戦に参加。7月下旬のタニンバル諸島平定戦に協力した後[20]、「山陽丸」はガダルカナル島の戦いが始まったのをきっかけにソロモン諸島方面へと転戦する。

「山陽丸」はショートランドに到着の後、ガダルカナル島方面の航空作戦の支援を行うが、11月21日未明にトラック諸島へ向けてショートランドを出港した直後[21]、アメリカ潜水艦スティングレイ (USS Stingray, SS-186) に発見された。スティングレイは魚雷を4本発射し[22]、3本は回避したものの残る1本が船体後部に命中して航行不能となる[23]。「山陽丸」は駆逐艦高波天霧」、特設水上機母艦「讃岐丸」(日本郵船、9,246トン)などの支援を受けてショートランドに引き返し[24][25]、応急修理が開始された。しかし、度重なる空襲の影響で避泊地をしばしば変更し、12月21日には爆撃によって船体後部構造物に被弾し損傷する[26]1943年(昭和18年)1月9日、「山陽丸」は特務艦「鶴見」に曳航されてショートランドを出港し、1月17日にトラックに到着[27]工作艦明石」による修理を受けた後[28]、特設給兵船「興業丸」(岡田商船、6,353トン)に曳航されてに帰投[29]。本格的な修理に入る。その後、10月1日付で特設運送船(雑用甲)に類別変更された[3]

特設運送船となった「山陽丸」は、トラックおよびマリアナ諸島方面への輸送任務に就く。1944年(昭和19年)3月20日、東松三号特船団に加わって館山を出港し、3月28日にトラックに到着[30][31]。4月に入り、「山陽丸」はサイパン島メレヨン島への輸送を行う。この間の護衛は駆逐艦「」が務めたが、「雷」は4月13日午後にアメリカ潜水艦「ハーダー」 (USS Harder, SS-257) の雷撃により沈没した[32]。サイパン島経由で4月26日に横浜に帰投後[33]、5月13日、「山陽丸」はヒ63船団に加入して門司を出港[34]。5月18日にマニラに到着後にヒ63船団と分離し、軍需品を搭載してハルマヘラ島へ向かう[35][36]セブに寄港の後、ハルマヘラ島カウ湾に向けて航行中の5月26日16時25分、北緯02度46分 東経124度21分 / 北緯2.767度 東経124.350度 / 2.767; 124.350[36]マナド北方海域でアメリカ潜水艦カブリラ (USS Cabrilla, SS-288) の魚雷攻撃を受けた。カブリラは魚雷を6本発射し[37]、うち2本が4番船倉と6番船倉(右舷艦尾・機関部とも)付近に命中、航行不能となった[38][39]。「山陽丸」は船尾から徐々に沈みはじめ、下士官兵達は酒保からサイダー菓子を持ちだして最後の宴会を開いたという[40]。その頃になって応急処置命令が出されるが既に右舷へ45度傾斜しており、手遅れであったという[41]。「山陽丸」は19時40分に沈没した[42]。7月10日に除籍および解傭された[3]

艦長等

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艦長
  • 藤沢孝政 大佐:1941年8月15日[43] - 1942年6月16日
  • 市來政章 大佐:1942年6月16日[44] - 1943年8月5日
  • (兼)毛利良 大佐:1943年8月5日 - 12月15日[45]
指揮官
  • (兼)毛利良 大佐:1943年12月15日[45] -

姉妹船

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畿内丸型貨物船

脚注

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注釈

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出典

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  1. ^ a b c なつかしい日本の汽船 三菱造船株式会社長崎造船所 大正期・昭和初期”. 長澤文雄. 2018年4月24日閲覧。[リンク切れ]
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o #日本汽船名簿
  3. ^ a b c d e #特設原簿p.103
  4. ^ Kinai_Maru_class
  5. ^ a b c d #野間p.275
  6. ^ #野間p.103
  7. ^ #神戸310526
  8. ^ #神戸380426
  9. ^ #独産品積出問題pp.6-7
  10. ^ #神戸391208
  11. ^ a b c 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、369ページ
  12. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、358-359、368-369ページ
  13. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦の付図六によればシアヌークビルあたりに位置する
  14. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、382、385、392-393、420-421ページ
  15. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、429ページ
  16. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、458、460-461ページ
  17. ^ #山陽丸(2)pp.4-5
  18. ^ #山陽丸(3)p.20
  19. ^ #山陽丸(4)p.3
  20. ^ #山陽丸(5)p.3
  21. ^ #山陽丸(6)p.3
  22. ^ #SS-186, USS STINGRAYp.122
  23. ^ #山陽丸(6)pp.6-8, p.14
  24. ^ #山陽丸(6)p.11
  25. ^ #讃岐丸pp.3-11
  26. ^ #山陽丸(7)p.5,13
  27. ^ #山陽丸(8)p.5, p.12-13
  28. ^ #山陽丸(8)p.5,14
  29. ^ #呉防戦1807p.26
  30. ^ #山陽丸(9)p.58
  31. ^ #駒宮p.153
  32. ^ #木俣水雷p.432
  33. ^ #山陽丸(9)p.61
  34. ^ #駒宮p.173
  35. ^ #山陽丸(9)p.63
  36. ^ a b #山陽丸(10)p.68
  37. ^ #SS-288, USS CABRILLAp.155
  38. ^ #海軍工作兵戦記141頁
  39. ^ #山陽丸(10)p.69
  40. ^ #海軍工作兵戦記143頁
  41. ^ #海軍工作兵戦記144頁
  42. ^ #山陽丸(10)p.70
  43. ^ 海軍辞令公報(部内限)第691号 昭和16年8月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081700 
  44. ^ 海軍辞令公報(部内限)第881号 昭和17年6月16日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072085800 
  45. ^ a b 『日本海軍史』第10巻、502頁。
  46. ^ a b #野間p.42,120

参考文献

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  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • Ref.C08050073100『昭和十四年版 日本汽船名簿 内地 朝鮮 台湾 関東州 其一』、50頁。 
    • Ref.B02032395500『英国ノ対独通商報復令実施ニ伴フ独産品積出問題』。 
    • Ref.C08030661600『馬来部隊 第二航空部隊山陽丸戦闘詳報 第一号』。 
    • Ref.C08030661700『蘭印部隊 第一航空部隊山陽丸戦闘詳報 第一号』。 
    • Ref.C08030661900『蘭印部隊 第一航空部隊山陽丸戦闘詳報 第三号』。 
    • Ref.C08030662000『馬来部隊 山陽丸(主隊)戦闘詳報 第二号』。 
    • Ref.C08030662300『特設水上機母艦山陽丸(主隊)戦闘詳報』。 
    • Ref.C08030662800『特設水上機母艦山陽丸戦闘詳報 「カ」号作戦中 昭和十七年十一月二十一日』。 
    • Ref.C08030659600『昭和十七年十二月二十日 讃岐丸戦闘詳報 第十八号』。 
    • Ref.C08030660700『自昭和十七年十二月一日至同年十二月三十一日 特設水上機母艦山陽丸戦時日誌』。 
    • Ref.C08030661000『自昭和十八年一月一日至同年一月三十一日 特設水上機母艦山陽丸戦時日誌』。 
    • Ref.C08030368300『自昭和十八年七月一日至昭和十八年七月三十一日 呉防備戦隊戦時日誌』。 
    • Ref.C08030661300『自昭和十九年二月一日至同五月二十六日 特設運送船(甲)山陽丸戦時日誌』、49-65頁。 
    • Ref.C08030661300『特設運送船山陽丸戦闘詳報(第一号)』、66-72頁。 
  • 新聞記事文庫(神戸大学附属図書館デジタルアーカイブ)
  • (Issuu) SS-186, USS STINGRAY. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-186_stingray 
  • (Issuu) SS-288, USS CABRILLA. Historic Naval Ships Association. https://issuu.com/hnsa/docs/ss-288_cabrilla 
  • Roscoe, Theodore. United States Submarine Operetions in World War II. Annapolis, Maryland: Naval Institute press. ISBN 0-87021-731-3 
  • 財団法人海上労働協会(編)『復刻版 日本商船隊戦時遭難史』財団法人海上労働協会/成山堂書店、2007年(原著1962年)。ISBN 978-4-425-30336-6 
  • 山高五郎『図説 日の丸船隊史話(図説日本海事史話叢書4)』至誠堂、1981年。 
  • 木俣滋郎『日本水雷戦史』図書出版社、1986年。 
  • 駒宮真七郎『戦時輸送船団史』出版協同社、1987年。ISBN 4-87970-047-9 
  • 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦4 空母II』光人社、1989年。ISBN 4-7698-0454-7 
  • 野間恒『商船が語る太平洋戦争 商船三井戦時船史』野間恒(私家版)、2004年。 
  • 林寛司(作表)、戦前船舶研究会(資料提供)『戦前船舶 第104号・特設艦船原簿/日本海軍徴用船舶原簿』戦前船舶研究会、2004年。 
  • 松井邦夫『日本商船・船名考』海文堂出版、2006年。ISBN 4-303-12330-7 
  • 木村勢舟「第四章 南海の死闘」『海軍工作兵戦記 苛酷なる水兵生活三年の記録』光人社NF文庫、2006年2月(原著2004年)。ISBN 4-7698-2482-3  昭和19年1月~沈没まで山陽丸工作科勤務。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社

関連項目

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座標: 北緯02度46分 東経124度21分 / 北緯2.767度 東経124.350度 / 2.767; 124.350