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数住岸子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
数住 岸子
生誕 (1952-03-23) 1952年3月23日
出身地 福岡県 大牟田市
死没 (1997-06-02) 1997年6月2日(45歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト

数住 岸子(すずみ きしこ、Kishiko Suzumi、1952年3月23日[1] - 1997年6月2日)は、日本ヴァイオリニストである。

経歴

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大学進学まで

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福岡県大牟田市生まれ。1963年、小学校6年生の時、全日本学生音楽コンクール西日本大会小学生の部で第1位を受賞[1][注釈 1]1967年、中学校卒業後、上京して桐朋女子高等学校音楽科に入学し、斎藤秀雄前橋汀子江藤俊哉に師事。1970年桐朋学園大学に進んだ[1]

アメリカ留学

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1971年、大学を1年で中退し、ジュリアード音楽院に全額スカラーシップを受けて留学、ドロシー・ディレイアレキサンダー・シュナイダーミシェル・シュヴァルベに師事[1] 。同年、ニューヨークでデビュー、1973年カーネギーホールでリサイタルを開催[1] 。以後、リサイタル活動やアメリカの主要オーケストラとの共演などの演奏活動を行う。1973年カザルス音楽祭アスペン音楽祭にソリストとして参加した[1]

帰国後

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1975年、東京でデビューリサイタルを開いた[1]1982年NHK交響楽団定期演奏会でのレコーディングでレコードアカデミー賞を受賞。1984年東京フィルハーモニー交響楽団のヨーロッパ公演にソリストとして同行。1987年には小松一彦指揮東京都交響楽団とともに貴志康一生誕80周年記念コンサートにおいて貴志のヴァイオリン協奏曲を復活演奏した[3]

NADA

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1986年原田幸一郎らとアンサンブル「NADA(ナーダ)」結成[4]

響ホール

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1993年北九州市立響ホールの音楽監督に就任し[5]1997年北九州国際音楽祭の一環として開催が予定された「響ホール現代音楽の国際音楽祭」の総責任者となったが、開催直前に肺癌のため45歳で急逝した[6]。音楽祭は高橋悠治が引き継いで開催された。

レコーディング

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  • 貴志康一生誕80周年記念コンサート(1990年9月、ビクター)[7]
  • 三善晃:ヴァイオリン協奏曲(1982年、CBSソニー)
指揮:外山雄三
管弦楽:NHK交響楽団
ピアノ:野島稔
ヴァイオリン:数住岸子原田幸一郎小栗まち絵
ヴィオラ:豊嶋泰嗣、数住岸子、原田幸一郎
チェロ:安田謙一郎上村昇
ピアノ:藤井一興
チェロ:上村昇
  • 響ホールの数住岸子(追悼盤、1998年6月)[9]
柴田南雄:歌仙一巻「狂句こがらしの」
メンデルスゾーン:ピアノ三重奏曲第1番ニ短調
高橋悠治:表しえぬものと、ひたすら見合ったままで

脚注

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注釈

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  1. ^ このコンクールで3位だったのがシンガー・ソングライターのさだまさしである[2]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 演奏家大事典 第Ⅱ巻 1982, p. 575-576 Suzumi,Kishiko 数住岸子.
  2. ^ [時代の証言者]現代の吟遊詩人 さだまさし<4>バイオリン 3歳から”. 讀賣新聞 オンライン. 企画・連載. 2024年12月24日閲覧。
  3. ^ 交響組曲「日本スケッチ」◎ヴァイオリン協奏曲~貴志康一 生誕80周年記念コンサート~”. AMAZON. 2024年12月5日閲覧。
  4. ^ 指揮者 原田幸一郎”. 東京大学フォイヤーヴェルク管弦楽団. 2024年12月5日閲覧。
  5. ^ 北九州市立響ホール 30年の歩み”. ぶらあぼ. 特集:北九州市立響ホール. 2024年12月4日閲覧。
  6. ^ 数住岸子さん(バイオリン奏者、北九州市立響ホール音楽監督)死去 読売新聞 1997年6月3日 朝刊27ページ
  7. ^ KISHIKO SUZUMI / 数住岸子”. diskunion. 2024年12月4日閲覧。
  8. ^ Kishiko Suzumi (数住岸子)”. Musician Clippy. ヴァイオリニスト. 2024年12月4日閲覧。
  9. ^ 響ホールの数住岸子 IN MEMORIAL”. fan fan. 2024年12月4日閲覧。

参考文献

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  • 『演奏家大事典 第Ⅱ巻』財団法人 音楽鑑賞教育振興会、1982年。 

外部リンク

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