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数山英一

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数山英一

数山 英一(かずやま えいいち、1908年明治41年〉1月18日[1] - 没年不明)は、昭和時代の台湾総督府官僚

経歴

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数山定太郎の二男として山口県下関市に生まれる[1]広島高等学校を卒業[2]1930年(昭和5年)4月、東京帝国大学法学部法律科(英法)を卒業し、同年10月[2]高等試験行政科および司法科に合格[1]。同大大学院に進んだのち、1932年(昭和7年)6月に台湾総督府に奉職する[1]文教局学務課勤務を経て、1936年(昭和11年)10月、地方理事官に進み、台北州羅東郡守に就任した[3]

ついで支那に転じ、興亜院調査官廈門連絡部勤務を経て、1942年(昭和17年)11月、大使館三等書記官となった[4]

戦後、丸善化成監査役を務めた[5]

脚注

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  1. ^ a b c d 台湾新民報社 1937, 56頁.
  2. ^ a b 『日本官僚制総合事典1868-2000』286頁。
  3. ^ 台湾新民報社 1937, 56-57頁.
  4. ^ 帝国秘密探偵社 1943, 支那33頁.
  5. ^ 中国新聞社 1973, 568頁.

参考文献

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