文室水通
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時代 | 奈良時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 延暦9年(790年)8月8日以前 |
官位 | 正五位下・大蔵大輔 |
主君 | 称徳天皇→光仁天皇→桓武天皇 |
氏族 | 文室真人 |
文室 水通(ふんや の みを/みなみち)は、奈良時代の貴族。姓は真人。官位は正五位下・大蔵大輔。
経歴
[編集]天平宝字8年(764年)藤原仲麻呂の乱終結後に従五位下に叙爵し、相模介に任ぜられる。その後称徳朝では叙位任官の記録がなく、何らかの政変に連座して失脚していた可能性もある。
光仁朝では、典薬頭・安芸守・弾正弼を歴任する一方、宝亀7年(776年)に従五位上に昇叙されている。
桓武朝の延暦4年(785年)正五位下に叙せられ、翌延暦5年(786年)には大蔵大輔に任ぜられた。
延暦9年(790年)8月8日付の太政官符に、河内国高安郡に、「一町、元故正五位下文室真人水通位田」と見える[1]。
官歴
[編集]『続日本紀』による。
- 時期不詳:正六位上
- 天平宝字8年(764年) 10月7日:従五位下。10月20日:相模介
- 宝亀3年(772年) 4月20日:典薬頭
- 宝亀6年(775年) 10月15日:安芸守
- 宝亀7年(776年) 正月7日:従五位上
- 宝亀10年(779年) 11月28日:弾正弼
- 延暦4年(785年) 11月25日:正五位下
- 延暦5年(786年) 2月17日:大蔵大輔
脚注
[編集]- ^ 『類聚三代格』巻15「職田位田公廨田事」1