文帝
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「文」は諡号に使われる佳字の中でも最も高徳なものとみなされており、内政での治績を挙げた皇帝に贈られることが多いほか、追尊としての追諡の例も見られる。
王朝 | 姓名 | 廟号 | 諡号 | 代 | 在位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
前漢 | 劉恒 | 太宗 | 孝文皇帝 | 第5代 | 前180年–前157年 | |
三国 魏 | 曹丕 | 高祖 | 文皇帝 | 初代 | 220年–226年 | |
三国 呉 | 孫和 | 文皇帝 | 第4代末帝による追尊 | |||
西晋 | 司馬昭 | 太祖 | 文皇帝 | 初代武帝による追尊 | ||
南朝 宋 | 劉義隆 | 太祖 | 文皇帝 | 第3代 | 424年–453年 | |
南朝 斉 | 蕭長懋 | 世宗 | 文皇帝 | 第3代廃帝鬱林王による追尊 | ||
南朝 梁 | 蕭順之 | 太祖 | 文皇帝 | 初代武帝による追尊 | ||
南朝 陳 | 陳蒨 | 世祖 | 文皇帝 | 第2代 | 559年–566年 | |
北朝 北魏 | 拓跋沙漠汗 | 文皇帝 | 初代道武帝による追尊 | |||
北朝 西魏 | 元宝炬 | 文皇帝 | 初代 | 535年–551年 | ||
北朝 北周 | 宇文泰 | 太祖 | 文皇帝 | 初代孝閔帝による追尊 | ||
隋 | 楊堅 | 高祖 | 文皇帝 | 初代 | 581年–604年 | |
唐 | 李世民 | 太宗 | 文皇帝 | 第2代 | 626年–649年 | 「文皇帝」は初諡 最終的な諡号は「文武大聖大広孝皇帝」 |
十国 南漢 | 劉安仁 | 太祖 | 文皇帝 | 初代高祖による追尊[1] | ||
遼 | 耶律洪基 | 道宗 | 孝文皇帝 | 第8代 | 1055年–1101年 | |
明 | 朱棣 | 成祖 | 啓天弘道高明肇運聖武神功 純仁至孝文皇帝 |
第3代 | 1402年–1424年 | 文帝と簡称される用例がある[2][3] |
清 | 愛新覚羅皇太極 | 太宗 | 応天興国弘徳彰武寛温仁聖 睿孝敬敏昭定隆道顕功文皇帝 |
第2代 | 1626年–1643年 | 文皇帝と簡称される[4][5][6] |
脚注
[編集]- ^ 『新五代史』巻65 南漢世家第5「貞明三年、龑即皇帝位、國號大越、改元曰乾亨。追尊安仁文皇帝、謙聖武皇帝、隠襄皇帝、立三廟。」
- ^ 『明史』巻91 志第67 兵3「建文元年、文帝起兵、襲陷大寧、以寧王權及諸軍歸。」
- ^ 『明史』巻92 志第68 兵4「文帝勤遠略、遣使絶域。外國來朝者甚衆、然所急者不在馬。」
- ^ 『清実録』太宗文皇帝実録 首巻2 康熙朝進實録表「遂歴歳時、恭成太宗文皇帝實録。」
- ^ 『清史稿』巻4 本紀4 世祖本紀1 順治元年秋七月「壬子、奉安太祖武皇帝・孝慈武皇后・太宗文皇帝神主於太廟。」
- ^ 『清史稿』卷104 志79 輿服3「我太宗文皇帝時、獲蒙古所傳元帝國寶、容而納之、初不藉以為受命之符。由今思之、文皇帝之臣服函夏、垂統萬世、在徳耶、在寶耶。」
関連項目
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