斎藤元助
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 不詳 |
死没 | 寛永15年12月4日(1639年1月7日) |
改名 | 寅菊元助→斎藤元助→斎藤自裁(号) |
別名 | 通称:彦四郎→次右衛門尉(治右衛門尉) |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 寅菊氏→斎藤氏 |
父母 | 父:寅菊松斎 |
子 | 就実 |
斎藤 元助(さいとう もとすけ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。父は寅菊松斎。
生涯
[編集]寅菊松斎の子として生まれ、毛利輝元、秀就の二代に仕えた。元助が輝元に仕官した際に、父・松斎の厳島の屋敷2間と抱分3間の公役が免除されている。
慶長2年(1597年)12月13日、「治右衛門尉」の百官名と「元」の偏諱を与えられて「寅菊元助」と名乗り、後に「斎藤元助」へと苗字を改めた。
寛永2年(1625年)8月13日、長門国大津郡俵山の内に200石を与えられる。
寛永4年(1627年)12月4日に嫡男・就実が死去したため、寛永9年(1632年)9月13日、元助の当知行200石の地について、嫡孫の孫市(後の就幸)が18歳になるまでは斎藤就豊(六左衛門尉)が代役を務め、就幸が18歳になった時に200石後を渡すように秀就に命じられた。また、就豊の扶持方切銭については、元助の隠居分を与える事とされた。
参考文献
[編集]- 『萩藩閥閲録』巻68「斎藤浪江」