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斎藤勇 (労働運動家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

斎藤 勇(さいとう いさむ、1903年10月27日 - 1987年8月31日)は、昭和時代の労働運動家[1]全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)初代書記長[2]。名字は斉藤[2][3]齋藤[4]とも表記される。

経歴

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長野県西筑摩郡日義村(現木曽郡木曽町)生まれ。1920年に旧制立教中学を4年で中退。名古屋の紡績会社の職工、郷里の小学校教員を経て、1927年兄健一のいる総同盟の神奈川県連合会書記。1934年総同盟関東同盟執行委員、1936年同神奈川県連主事。1946年日本労働組合総同盟(総同盟)、全国繊維産業労働組合同盟(全繊同盟)の結成に参加、全繊同盟主事。1950年全繊同盟書記長[5]。1951年9月星加要古賀専滝田実らと民主労働運動研究会(民労研)を結成[6]、同会幹事[7]。同年12月民主社会主義連盟(民社連)評議員[8]。1961年全繊同盟書記長を退任、のち同顧問、OB友の会会長[5]。著書に『東風西風』(小川書店、1961年)。

脚注

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  1. ^ 20世紀日本人名事典の解説 コトバンク。
  2. ^ a b 総同盟(戦前)の論客・齋藤健一とはどのような人物か! 友愛労働歴史館(2016年6月14日)
  3. ^ 落合清四「宇佐美さんへの追悼の言葉 (PDF) 」UAゼンセン
  4. ^ CiNii 図書 - 東風西風
  5. ^ a b 塩田庄兵衛編集代表『日本社会運動人名辞典』青木書店、1979年、261-262頁
  6. ^ 愛知県編『愛知県労働運動史 第2巻(昭和26~30年)』第一法規出版、1983年
  7. ^ 法政大学大原社会問題研究所編『日本労働年鑑 第25集(1953年版)』時事通信社、1952年
  8. ^ 日本労働年鑑 第25集 1953年版 (PDF) 法政大学大原社会問題研究所

関連文献

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  • 細川修『工女の道・野麦街道』(銀河書房、1982年)