斎藤墨湖
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斎藤 墨湖(さいとう ぼっこ、1772年(安永元年) - 1874年(明治7年)3月1日)は、日本の画家、茶人。名は仙将、通称は久作。後年は出身地松嶺町の旧称中山をとって中山墨湖と名乗った[1]。隠居後に画業に専念し、100歳を超えてもなお作品づくりに取り組んだ。
略歴
[編集]- 1772年(安永元年) - 松山藩 御茶道役・斎藤清賀の子として生れる。
- 酒井忠礼の命令で春木南湖(谷文晁の弟子)に師事して画を学ぶ。
- 1814年(文化11年) - 松山藩御茶道役 就任
- 1816年(文化13年) - 同職退任、勘定組となる。
- 隠居後に造り酒屋を経営する。
- 造り酒屋をやめた後は、画業に励む。
- 1874年(明治7年) - 死去。享年103
- 最後の言葉は『長生き恥多し 目出度くもあり 目出度くもなし』であった。
作品
[編集]- 『夫婦鶴』 出羽三山神社・三神合祭殿蔵
- 『琉球人物図』
弟子
[編集]- 田中静居 - 画家
親族
[編集]- 義孫:石黒慶蔵 - 歯科医師、歯科医療器具発明家
- 義孫:石黒岩太 - 陸軍少将
- 曾孫:石黒慶之助 - 歯科医師、医学博士
- 曾孫:石黒進之助 - 歯科医師
- 玄孫:石黒慶一 - 歯科医師、歯学博士
- 玄孫:石黒豊 - 歯科医師
参考文献
[編集]脚注
[編集]- ^ 郷土の先人・先覚 中山墨湖荘内日報社