石黒慶之助
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石黒 慶之助 | |
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生誕 |
1913年6月1日 山形県西田川郡鶴岡町 |
死没 |
1998年1月19日(84歳没) 山形県鶴岡市 |
所属組織 | 大日本帝国海軍 |
軍歴 | 1944 - 1945 |
最終階級 | 海軍歯科医大尉 |
除隊後 | 歯科医師 |
石黒 慶之助(いしぐろ けいのすけ、1913年(大正2年)6月1日 - 1998年(平成10年)1月19日)は、日本の歯科医師、海軍軍人、歯科医大尉、歯学士、医学博士、開業歯科医、(社)鶴岡地区歯科医師会会長、(社)山形県歯科医師会理事、山形県歯科医師政治連盟顧問、栄典は正五位・勲五等・双光旭日章。
略歴
[編集]- 1913年(大正2年) - 山形県西田川郡鶴岡(現・鶴岡市)に石黒慶蔵の長男として生れる。
- 山形県立鶴岡中学校(現・山形県立鶴岡南高等学校)卒業
- 1935年(昭和10年) - 日本歯科医学専門学校(現・日本歯科大学)卒業
- 北海道帝国大学医学部細菌学教室及び同付属病院で約4年間に渡り研究を重ねる。
- 1943年(昭和18年)1月7日 - 医学博士号(北海道帝国大学)取得 論文の題は 「凍結乾燥による補体の保存に就て(英文)」[1]。
- 日本歯科大学講師
- 木更津の海軍病院に勤務し初代歯科医長 就任
- 1944年(昭和19年)7月 - 海軍に志願して歯科医大尉 任官
- 1945年(昭和20年)8月6日 - 海軍潜水学校で診療中に、広島市に原子爆弾が投下され、その爆心地から8キロメートルほど離れた厳島越しにキノコ雲を見る。すぐに被爆者の医療に向かう。
- 11月 - 父に五日町の医院の経営を任される。(社)山形県歯科医師会 入会、鶴岡地区歯科医師会 入会
- 1946年(昭和21年)1月 - 鶴岡歯科医師会は、勤労報国促進特技隊として日本軍に協力したとして、全ての役員がGHQより公職追放させられ事実上解散する。
- 1947年(昭和22年)8月 - (社)鶴岡地区歯科医師会が新たに設立され会員となる。弟の進之助は理事に就任した。
- 1949年(昭和24年) - 鶴岡地区歯科医師会理事 就任(1950年(昭和25年)3月まで)
- 1950年(昭和25年)4月 - 鶴岡地区歯科医師会専務理事 就任(1953年(昭和28年)3月まで)
- 1953年(昭和28年)4月 - 山形県歯科医師会代議員 就任(1963年(昭和38年)3月まで)
- 4月 - 鶴岡地区歯科医師会副会長 就任(1966年(昭和41年)3月まで)
- 1960年(昭和35年)4月1日 - 山形県歯科医師政治連盟理事 就任(1965年(昭和40年)12月31日まで)
- 1962年(昭和37年)11月 - 鶴岡ロータリークラブ 入会
- 1963年(昭和38年)1月1日 - 鶴岡地区歯科医師会納税貯蓄組合 創立 副会長 就任
- 1964年(昭和39年)4月 - 山形県歯科医師会理事 就任(1973年(昭和48年)3月まで)
- 1966年(昭和41年)1月1日 - 山形県歯科医師政治連盟副会長 就任(1972年(昭和47年)3月31日まで)
- 4月1日 - 鶴岡地区歯科医師会会長 就任(1971年(昭和46年)3月31日まで)
- 1968年(昭和43年) - 鶴岡ロータリークラブ会長 就任(1969年(昭和44年)まで)
- 1969年(昭和44年)3月 - 鶴岡地区歯科医師青色申告会 創立 初代会長 就任(1972年(昭和47年)4月まで)
- 1971年(昭和46年)4月1日 - 山形県歯科医師政治連盟副顧問 就任(1980年(昭和55年)3月31日まで)
- 1972年(昭和47年)4月 - 鶴岡地区歯科医師会・会史編纂委員長 就任
- 1973年(昭和48年)6月 - 山形県日本歯科大学校校友会会長 就任
- 1976年(昭和51年) - この年度の歯科医の高額所得番付では、鶴岡区域で7番目だった。
- 1982年(昭和57年) - 国際ロータリー第235地区ガバナー 就任
- 国際ロータリー第2800地区パストガバナー顧問委員
- 1998年(平成10年) - 死去。84歳、鶴岡市の光明寺に墓がある。
受賞歴
[編集]- 1971年(昭和46年)11月4日 - 山形県教育功労者表彰
- 1973年(昭和48年)10月23日 - 日本歯科医師会会長表彰
- 1974年(昭和49年)4月21日 - 山形県歯科医師会功労会員表彰
- 1975年(昭和50年)12月14日 - 山形県歯科医師会功労会員表彰
- 1977年(昭和52年)5月14日 - 山形県歯科医師会功労会員表彰
- 1980年(昭和55年)4月20日 - 山形県歯科医師会功労会員表彰
- 1989年(平成元年)9月20日 - 厚生労働大臣表彰
- 1990年(平成2年)12月8日 - 山形県歯科医師会功労会員表彰
- 1991年(平成3年)6月20日 - 日本学校歯科医会会長表彰
- 1998年(平成10年)2月17日 - 正五位勲五等双光旭日章 追贈
著作物
[編集]著書
[編集]- 1980年(昭和55年) - 『庄歯会創立50周年に想う』 自費出版
寄稿
[編集]- 『長生き恥多し 目出度くもあり 目出度くもなし』 (「けやき」10号に収録)
- 『先代を語る』 (「けやき」19号に収録)
- 1970年(昭和45年) - 『僕は原爆雲を見た』(形歯会報に収録)
- 1985年(昭和60年) - 『年寄りの冷や水』(形歯会報に収録)
博士論文
[編集]家族親族
[編集]- 曾祖父:斎藤墨湖 - 画家
- 祖父:石黒慶助 - 『石黒工場』(羽二重織物工場)経営者
- 従伯父:斎藤外市 - 発明家
- 叔父:石黒岩太 - 陸軍少将
- 父:石黒慶蔵 - 歯科医師、歯科医療器具発明家
- 弟:石黒進之助 - 歯科医師
- 長男:石黒慶一 - 歯科医師、歯学博士
- 孫:石黒慶史 - 歯科医師、歯学博士
- 甥:石黒豊 - 歯科医師
脚注
[編集]- ^ 博士論文書誌データベース