新井克太郎
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県戸田市 |
生年月日 | 1959年10月22日(65歳) |
身長 体重 |
180 cm 72 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1977年 ドラフト外 |
初出場 | 1981年4月8日 |
最終出場 | 1981年10月4日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
新井 克太郎(あらい かつたろう、1959年10月22日 - )は、埼玉県戸田市[1]出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]大宮工業高時代は、1年次の夏前に野球部を退部する[2]。以降は、知り合いが所属する軟式野球チームで遊びでプレーするだけであった[2]。
3年次に、たまたま新聞で見た大洋ホエールズの新人入団テストを腕試しに受験する。200人の中から新井を含めた2人が合格し、1977年オフにドラフト外として入団した[2]。
4年目の1981年に、一軍初登板を果たす。通算6試合目となった8月31日の対中日ドラゴンズ戦で初先発を果たし、149球を投げ5安打1失点でプロ初完投初勝利を記録した[2]。しかし、2度目の先発となった9月6日の対中日ドラゴンズ戦では早々に打込まれ降板。初勝利の試合は辻恭彦がリードしたが、次の先発時は別の捕手であったことが辻にとっては悔やまれたという[3]。その後は伸び悩み、勝ち星は前述1勝のみに終わり1983年限りで現役を引退した。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1981 | 大洋 | 14 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 159 | 36.0 | 47 | 8 | 10 | 1 | 1 | 18 | 1 | 0 | 23 | 20 | 5.00 | 1.58 |
通算:1年 | 14 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 159 | 36.0 | 47 | 8 | 10 | 1 | 1 | 18 | 1 | 0 | 23 | 20 | 5.00 | 1.58 |
記録
[編集]- 初登板:1981年4月8日、読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)、6回2死から5番手で救援登板、1/3回無失点
- 初完投・初勝利:1981年8月31日、中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)、被安打5 奪三振2 四死球5 1失点
背番号
[編集]- 68 (1978年 - 1983年)
脚注
[編集]- ^ プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、18ページ
- ^ a b c d “【8月31日】 1981年(昭56)高校1年で野球部退部 テスト生 新井克太郎 23年ぶり快挙”. スポニチ (2011年8月31日). 2017年10月9日閲覧。
- ^ “もったいなかった大洋の新井克太郎【ダンプ辻のキャッチャーはつらいよ】ダンプ辻コラム”. 週刊ベースボールONLINE (2022年9月15日). 2024年1月13日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 新井克太郎 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)