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新井潔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新井 潔
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 群馬県富岡市
生年月日 (1969-04-11) 1969年4月11日(55歳)
身長
体重
187 cm
87 kg
選手情報
投球・打席 右投両打
ポジション 内野手
プロ入り 1990年 ヤクルトスワローズドラフト4位
初出場 1993年4月16日
最終出場 2001年7月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

新井 潔(あらい きよし、1969年4月11日 - )は、群馬県富岡市出身の元プロ野球選手内野手)。

経歴

[編集]

富岡市小野中出身。東農大二高では投手から遊撃手へ転向。エース・忰田幸也を擁して2年秋の群馬県大会で優勝[1]。卒業後は本田技研に入社。5番サードに座った[1]。2年目の都市対抗野球では4番指名打者、翌年は補強選手で出場。1990年度ドラフト会議にてヤクルトスワローズから4位指名を受け、入団。社会人では田村勤西俊児と同僚であった。

1992年は1A・サリナス・スパーズに野球留学した。

遊撃手には池山隆寛がいて、主として二塁三塁を守ったが、内外野ともに守れるユーティリティープレーヤーであった。両打ちという点でもタイプの似た笘篠賢治らの陰に隠れた。
1994年中日戦では二塁手として先発出場するも、延長12回裏に1死1,2塁で併殺を狙った一塁送球が逸れてサヨナラエラーを喫する(二塁走者大豊泰昭の本塁進塁が新井の失策)と、思わず号泣する姿が珍プレー好プレーで放映された。

1996年シーズンオフに金銭トレード横浜ベイスターズへ移籍。

1997年シーズンには自己最多の53試合に出場。試合終盤に駒田徳広の代走、そのまま一塁の守備に就くことも多かった。しかし、1998年シーズンに日本一を果たした翌1999年シーズンは出場試合が激減。

2000年シーズンには一軍出場なしに終わった。同年のシーズンオフに進藤達哉戸叶尚と共に前田和之杉本友小川博文との3対3の交換トレードでオリックス・ブルーウェーブへ移籍。

2002年シーズンオフに現役を引退。

2003年に古巣である社会人・ホンダのコーチに就任。

2004年に5年ぶりの都市対抗野球出場に貢献し、若獅子賞を獲得した金子洋平を育成するなど手腕を発揮した。

2008年9月末日をもってホンダを退社し、故郷・群馬へ帰郷。群馬ダイヤモンドペガサスのジュニア部門のコーチを務めた。

2010年から野手コーチに昇格したものの同年のシーズン限りで退団[2]

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1993 ヤクルト 22 30 27 1 4 0 2 0 8 2 0 0 1 0 2 1 0 6 1 .148 .207 .296 .503
1994 42 118 99 11 22 3 0 2 31 7 0 1 3 1 13 1 2 16 2 .222 .322 .313 .635
1996 4 8 6 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 1 0 2 1 .000 .250 .000 .250
1997 横浜 53 69 57 10 9 4 0 0 13 0 0 1 2 0 10 1 0 14 1 .158 .284 .228 .512
1998 13 13 12 2 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .167 .231 .250 .481
1999 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
2001 オリックス 4 5 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 .000 .200 .000 .200
通算:7年 139 244 205 25 37 8 2 2 55 9 0 2 7 1 29 4 2 38 5 .180 .287 .268 .555

記録

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背番号

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  • 25 (1991年 - 1996年)
  • 4 (1997年 - 2000年)
  • 44 (2001年 - 2002年)
  • 71 (2010年)

脚注

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  1. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、18ページ
  2. ^ http://www.bc-l.jp/uploads/images/3360.pdf[リンク切れ]

関連項目

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外部リンク

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