新庄直祐
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄5年(1692年) |
死没 | 延享3年5月25日(1746年7月13日) |
改名 | 助十郎(幼名)、直祐、直翁 |
別名 | 監物(通称) |
戒名 | 正享院殿雄山直翁大居士 |
墓所 | 東京都文京区本駒込の吉祥寺 |
官位 | 従五位下駿河守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉→家宣→家継→吉宗 |
藩 | 常陸麻生藩主 |
氏族 | 新庄氏 |
父母 | 父:新庄直詮、養母:松平重栄娘 |
兄弟 | 直祐、松平直員、松浦信尹、孝寛、京極高周、松平親純、直矢 |
妻 |
正室:遠山友春娘 継室:永井直敬娘 |
子 | 直隆、直侯、直由、孝優、直令、京極高暁、新庄直宥室、宮城和忠継室 |
新庄 直祐(しんじょう なおすけ)は、江戸時代中期の大名。常陸国麻生藩8代藩主。官位は従五位下・駿河守。
生涯
[編集]元禄5年(1692年)、7代藩主・新庄直詮の五男として生まれる。宝永5年(1708年)に父が死去したため家督を継ぐ。宝永6年(1709年)3月7日、従五位下・駿河守に叙位・任官する。正徳4年(1714年)と享保5年(1720年)に大坂城勤番を務めた。享保7年(1722年)、年貢減免を求める百姓一揆が起こり、百姓側の要求を受け入れている。
享保20年(1735年)11月20日、家督を長男・直隆に譲って隠居する。延享2年(1745年)10月14日に剃髪して直翁と号した。延享3年(1746年)5月25日に死去した。享年55。
系譜
[編集]父母
正室、継室
子女