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新田部親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新田部親王
時代 飛鳥時代-奈良時代
生誕 不詳
薨去 天平7年9月30日735年10月20日
別名 新田部皇子
官位 一品大将軍(大惣管)
父母 父:天武天皇、母:藤原鎌足五百重娘
兄弟 高市皇子草壁皇子大津皇子忍壁皇子穂積皇子長皇子弓削皇子磯城皇子舎人親王新田部親王
(同母異父弟)藤原麻呂
塩焼王道祖王陽侯女王長野王忍坂女王石田女王
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新田部親王(にいたべしんのう)は、天武天皇皇子新田部皇子(にいたべのみこ)とも呼ばれる。 奈良時代初期に舎人親王長屋王とともに皇親勢力として権勢を振るった。

経歴

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文武天皇4年(700年浄広弐に叙せられ、大宝元年(701年)の大宝令の制定に伴う位階制度への移行を通じて三品となる。慶雲4年(707年文武天皇葬儀に際し造御竈司を務めた際は二品の位階にあった。

養老3年(719年)ときの元正天皇は、舎人・新田部の両親王に皇太子首親王(のちの聖武天皇)の補佐を命じるとともに、皇室の年長者であり天皇にとっても重要な人物であるとして褒賞し、それぞれ内舎人・大舎人・衛士を与え、封戸を加増する。このとき新田部親王が与えられたのは内舎人2人・大舎人4人・衛士20人・封戸500戸(従前と合わせて1500戸)であった。

養老4年(720年右大臣藤原不比等薨御すると、新田部親王は知五衛及授刀舎人事に任命され、朝廷直轄の軍事力(五衛府授刀舎人寮)の統括者となる[1]。このとき同時に知太政官事に就任して太政官の首班に立った舎人親王、翌養老5年(721年)に右大臣に任ぜられた長屋王とともに皇親政権を構成した。

神亀元年(724年)聖武天皇の即位に伴って一品に昇叙される。なお、『続日本紀』神亀5年(728年)7月21日条には「三品大将軍新田部親王に勅して明一品を授く」とあるが、このときすでに新田部は一品であり、「明一品」は大宝令施行とともに廃止された冠位四十八階における皇親の最高位である。この記事の意味は判然としないが、新田部がこれまでに「大将軍」の称号を有していたことがわかる。神亀6年(729年)に発生した長屋王の変では、六衛府の軍隊が屋敷を包囲するなか、舎人親王らとともに派遣されてその罪の糾問に当たっている[2]天平3年(731年畿内惣管、諸道に鎮撫使が設置された際には、大惣管に任じられた。

天平7年(735年)9月30日薨去。最終官位は大将軍一品。葬儀に際して、ともに皇親政権を支えた舎人親王が派遣されて聖武天皇の弔意が伝えられた[3]。なお、約1ヶ月半後には舎人親王も後を追うように薨去している[4]

邸宅

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新田部の邸宅のあった地は、その後、鑑真に与えられ唐招提寺となった。21世紀の発掘調査の過程で邸宅の遺跡から、部分的に金箔で覆われた塼仏の破片が発掘されている[5]

官歴

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続日本紀』による。

系譜

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なお、神護景雲3年(769年)1月に塩焼王の未亡人である不破内親王称徳天皇呪詛したとして、「厨真人厨女」と改姓・改名させられた上で、平城京内の居住を禁止される処罰を受けた際に、共犯者として忍坂・石田の2人の名が挙げられている。

脚注

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  1. ^ このうち授刀舎人寮は、神亀5年(728年)に中衛府として拡大改組され、藤原房前が中衛大将に任じられた。
  2. ^ 『続日本紀』神亀6年2月10日条
  3. ^ 『続日本紀』天平7年9月30日条
  4. ^ 『続日本紀』天平7年11月14日条
  5. ^ “唐招提寺で「せん仏」片見つかる 天武天皇の子・新田部親王所有か”. 産経ニュース (産経新聞社). (2012年3月21日). オリジナルの2013年3月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130322025028/http://sankei.jp.msn.com/life/news/130321/art13032120550006-n1.htm 2012年3月22日閲覧。 
  6. ^ a b 『日本書紀』天武天皇2年2月27日条
  7. ^ 『続日本紀』天平宝字元年7月27日条
  8. ^ 『続日本紀』天平宝字元年4月4日条
  9. ^ 澤田[1990: 63]
  10. ^ 河合ミツ「氷上真人陽侯について」『続日本紀研究』192号、1977年
  11. ^ a b 笹原助『雲上御系譜』雲上御系譜刊行會、1932年

参考文献

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  • 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社講談社学術文庫〉、1992年。 
  • 澤田浩「『薬師寺縁起』所引天武系皇親系図について」『国史学』第142号、国史学会、1990年。 

登場する小説

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  • 深谷忠記『迷界流転』(『平城京脱人事権』と改題)中央公論社、1998年、のち『中公文庫』(2001年)、『光文社文庫』(2004年)