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新見町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新見村から転送)
にいみちょう
新見町
廃止日 1954年6月1日
廃止理由 新設合併
新見町美穀村石蟹郷村草間村豊永村熊谷村菅生村上市町 → 新見市(初代)
現在の自治体 新見市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 岡山県
阿哲郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
面積 21.9 km2
総人口 7,596
国勢調査、1950年)
隣接自治体 美穀村、熊谷村、菅生村、上市町
新見町役場
所在地 岡山県阿哲郡新見町大字新見1267[1]
地図
旧・新見町役場庁舎位置
座標 北緯34度59分04秒 東経133度28分14秒 / 北緯34.98431度 東経133.47042度 / 34.98431; 133.47042座標: 北緯34度59分04秒 東経133度28分14秒 / 北緯34.98431度 東経133.47042度 / 34.98431; 133.47042
特記事項 旧町役場は新見市発足後、市役所として暫定使用[2]
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新見町(にいみちょう)は、岡山県阿哲郡にあった自治体である。1900年3月31日までは阿賀郡に属したが、往古は哲多郡に属した[2]

概要

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現在の新見市新見・高尾・馬塚に当たり、高梁川上流域に位置する。

町名はかつての新見村および中世の新見荘に由来するが、応神天皇の時代に帰化した漢人の部民である新漢部を略して「新部」(イマキノアヤベ)と記したものが「ニヒベ」と読まれ、それが転じて「新見」となったものとされる[2]

鎌倉時代中期から新見の地に市場が開かれ盛んに交易が行われ、高瀬舟による各地との物資の交流により発展した。昭和初期には鉄道の開通により交通の要衝となった[2]

明治維新時には新見村・新見村ノ内高尾組(維新後に高尾村と改称)・馬塚村に分かれていた。さらに新見村は、城下町である本町(両町)・風木町・裏風木町・上ノ町・中ノ町(両町)・下ノ町(両町)・八幡町・六軒町・山長屋町・江戸町・横町・袋町・新町の計16町と村落の新見村に分かれていた[2]

新見の街は明治に入っても約30年間発展しなかったが、1900年(明治33年)に新見勝山線の開通に伴い道の両側に借家が次々建てられて明治町が形成され、また明治座という劇場が設立されたことにより発展した。さらに市街地は北に延びて宮地町が新たに開けた[3]

1928年(昭和3年)に新見駅が当町ではなく、高梁川対岸の上市町大字西方字大田今井地内に設置されることになった。このため当町は最大の便益を享受すべく、駅から新見根雨線に直結する新道(現在の県道199号)を建設し、高梁川に架かる橋は昭和橋と名付けた。また周辺の新市街地を造成し昭和町と命名した[3]

昭和初期に下町の番所跡(旧藩時代警固所)以南に新市街地が形成され人口が増加した。このため飲料水の不足に悩むようになり、1929年(昭和4年)に上水道工事が行われた[1]

1934年(昭和9年)には台風、1938年(昭和13年)には火災と相次いで大被害を受けたが、以後復興した。

沿革

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行政

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戸長

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  • 阿賀郡第一部戸長役場(所在地:新見村、管轄区域:新見村・高尾村・馬塚村・正田村・唐松村):荘謙吾 - 友野静太郎 - 藤原清七郎

歴代町長

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氏名 就任年月日 退任年月日 備考
藤原清七郎 1889年(明治22年)9月20日 1890年(明治23年)5月23日 新見村長
2 藤井虎之助 1890年(明治23年)5月27日 1890年(明治23年)10月13日
3-4 田嶋敏 1890年(明治23年)10月31日 1896年(明治29年)1月17日
5-8 田嶋敏 1896年(明治29年)2月15日 1909年(明治42年)12月15日 1896年2月26日から新見町長
9 高塚千仭 1910年(明治43年)1月29日 1911年(明治44年)3月23日
10-11 田原藤一郎 1911年(明治44年)8月12日 1918年(大正7年)10月27日
12 上村金一郎 1919年(大正8年)11月13日 1923年(大正12年)11月10日
13-14 上村金一郎 1923年(大正12年)11月27日 1930年(昭和5年)6月7日
15 太池百治 1930年(昭和5年)7月28日 1933年(昭和8年)12月13日
16-17 竹本裕 1934年(昭和9年)9月19日 1940年(昭和15年)12月13日
18 白神寿 1941年(昭和16年)3月29日 1945年(昭和20年)3月28日
19 竹本裕 1945年(昭和20年)4月11日 1945年(昭和20年)5月20日
20 藤森勇蔵 1945年(昭和20年)6月11日 1946年(昭和21年)12月5日
21 太池貞治 1947年(昭和22年)4月5日 1951年(昭和26年)4月4日
22 太池貞治 1951年(昭和26年)4月23日 1954年(昭和29年)5月31日
参考文献 - [2][3]

教育

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交通

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出身者

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脚注

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  1. ^ a b 岡山県新見町水道工事概要(岡山県阿哲郡新見町、1929年)
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 岡山県市町村合併誌 市町村編317-343頁(岡山県、1960年)
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n 新見市史(新見市、1965年)

関連項目

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