日下辰太
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日下 辰太(くさか たつた、1890年〈明治23年〉11月19日[1][2] - 没年不詳)は、日本の農商務官僚。関東州官僚。台湾総督府官僚。
経歴
[編集]岡山県出身。日下謙太の長男[2]。1916年(大正5年)、東京帝国大学法学部独法科を卒業し、高等文官試験に合格した。農商務属、臨時産業調査局事務官、水産局書記官、水産講習所教授、水産局事務官・農商務局書記官、農商務参事官、特許局事務官、法制局参事官、商工書記官、関東庁事務官・長官官房文書課長、同内務局殖産課長、同内務局長、関東局司政部長、台中州知事などを歴任した。
1936年(昭和11年)に退官した後、台湾拓殖株式会社理事に就任。その他、星規那産業株式会社代表、台湾単寧興業株式会社代表、台湾畜産興業株式会社取締役、南日本化学工業株式会社取締役、台湾産金株式会社取締役、南日本塩業株式会社取締役、台湾通信工業株式会社取締役、台湾石炭株式会社取締役などを務めた。
戦後は岡山市教育委員会委員長[3]、三和相互銀行社長、山陽放送監査役を歴任した[2]。
脚注
[編集]- ^ 大衆人事録 1943.
- ^ a b c 東京探偵社 1964, く4頁.
- ^ 岡山市教育委員会. “教育要覧 2016” (PDF). 2017年1月29日閲覧。
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 東京探偵社 編『東京紳士録 昭和39年版』東京探偵社、1964年 。