コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

日和山 (石巻市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日和山
石巻城址碑
所在地 宮城県石巻市日和が丘二丁目
プロジェクト 山
テンプレートを表示
全ての座標を示した地図 - OSM
全座標を出力 - KML

日和山(ひよりやま)は、宮城県石巻市日和が丘にある鰐山の南東部分の名称である。

桜の咲く名所でもあり、地元では周辺一帯を「日和山公園」として親しまれている。

日和山

[編集]

旧北上川の西岸、石巻の町の歴史的中心の至近にある。平安時代に遡る鹿島御児神社が鎮座する。

鎌倉時代源頼朝家人であった葛西清重奥州合戦の恩賞として牡鹿郡を始めとする近隣の数カ所を受領し、日和山に石巻城を築いたとされる。葛西氏とその所領は天正18年(1590年)に羽柴秀吉に滅ぼされるまで維持された。

江戸時代に書かれた地誌によれば、山の名は石巻から商船が出航する前に、この山に登って天候を観察したことからついたという[1]。参詣のため、風景を眺めるために登る人が多かった[2]元禄2年5月10日グレゴリオ暦1689年6月26日)には松尾芭蕉が訪れ、同行の弟子河合曾良が眺望を日記に記した[3][4](『おくのほそ道』参照)。

現在は日和山公園として整備されている。日和山から日和大橋越しに見る旧北上川河口と太平洋、また、旧北上川の中洲であり、内海五郎兵衛が私財を投じて内海橋を架けた中瀬の見える風景は、そのまま石巻の成り立ちと市民のアイデンティティを示すものである。

ツツジの名所とされ、山上に芭蕉と曽良の像がある。1983年昭和58年)に行われた発掘調査によって、石巻城の遺構であると思われる大規模な城郭があったことが確認された。

鳥居

[編集]

鹿島御児神社の敷地にある鳥居は、日和山山頂に1935年(昭和10年)に建てられたが、老朽化と2021年(令和3年)5月の地震などにより一部が破損。

東日本大震災や、その後のニュースなどに多く取り上げられる象徴であったが、旧鳥居を解体撤去し、2021年12月に新たな鳥居に建て替えられた。

東日本大震災

[編集]

2011年平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)の際は、多くの市民がこの日和山に登って津波から避難。眼下の石巻漁港や市街地は広範囲に被害を受けた。

鰐山と明神山・羽黒山・日和山

[編集]
1984年(昭和59年)撮影の国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成した石巻市の21枚合成写真。写真中央に鰐山、その右側(東側)を旧北上川石巻湾仙台湾)に流れ下る。「中瀬」と呼ばれる中州の左側(西側)対岸が江戸時代の石巻村(現・石巻市中央)。

鰐山(わにやま)は、石巻湾の北側、旧北上川右岸(西岸)、JR石巻駅の南側にある孤立性の丘陵。「鰐陵」「日和山丘陵」「日和丘陵」とも呼ばれる[5][6][7]

鰐山の山塊はおおむねむ台地状をしており、地図上では西辺が約1.6km、南辺が約1.2km、東辺が約1.0km、北辺が約0.8kmのいびつな多角形を呈し、標高は西側約10m、東側約40mと西側に向かって傾斜する。

四方はおおむねになっていて、周囲は標高1m前後の沖積平野(石巻平野)に囲まれる。崖は、かつての海の侵食作用による海蝕崖、あるいは、付近を流れる北上川(真野川)、定川(江合川)などの原始河川[8][9]のそれによる河蝕崖と考えられ、西側と南側の崖下には侵食後に形成された浜堤が接続する[7]

旧北上川に面した東辺の中部に谷が刻まれており、江戸時代より当地の中心部だった石巻市中央(旧・石巻村)から連続する谷底には石巻小学校、石巻市庁舎跡(北緯38度25分40秒 東経141度18分21.8秒 / 北緯38.42778度 東経141.306056度 / 38.42778; 141.306056 (石巻市庁舎跡(2010年3月移転)))、石巻消防署中央出張所などがある。この谷から鰐山に上がった坂の上の海門寺公園内に石巻神社(北緯38度25分34.1秒 東経141度18分15.1秒 / 北緯38.426139度 東経141.304194度 / 38.426139; 141.304194 (石巻神社))が鎮座する。

この谷をはさんで鰐山の北東凸部が羽黒山(標高49m)、南東凸部が日和山(61.3m)と呼ばれる。

また、北西凸部は明神山(30.5m)と呼ばれる。

羽黒山の頂上部には旧・石巻村(現・石巻市中央ほか)鎮守の鳥屋(とや)神社、日和山の頂上部には旧・門脇村(現・石巻市門脇)鎮守の鹿島御児神社が鎮座する[10]。また、明神山の頂上部には鳥屋崎(とやさき)神社が鎮座する。

鰐山上には「山下町」「泉町」「宜山町」「大手町」「南光町」「羽黒町」「日和が丘」の7つの町丁があり、一部が隣接する崖下の地区を含む。

三角点は、鰐山から北西に外れた平地にある石巻市38開発公園内に四等三角点「鰐山」(標高0.71m)、鹿島御児神社の北側に三等三角点「日和山」(標高54.34m)がある。

名称 頂上部 三角点[11]
最高部 公園 神社 等級 標高 位置
鰐山 中心部(北緯38度25分38.65秒 東経141度17分59.98秒 / 北緯38.4274028度 東経141.2999944度 / 38.4274028; 141.2999944 (鰐山の中心部(39.2m)) 四等 00.71 m 北緯38度26分11.4706秒 東経141度17分05.6127秒
明神山 30.5 m(北緯38度26分3.4秒 東経141度17分53.2秒 / 北緯38.434278度 東経141.298111度 / 38.434278; 141.298111 (明神山(30.5m)) 明神山公園 鳥屋崎神社(30.5m)
羽黒山 49 m(北緯38度25分54.01秒 東経141度18分09.47秒 / 北緯38.4316694度 東経141.3026306度 / 38.4316694; 141.3026306 (羽黒山(49m)) 羽黒山公園 鳥屋神社(47m)
日和山 61.3m(北緯38度25分25.35秒 東経141度18分31.41秒 / 北緯38.4237083度 東経141.3087250度 / 38.4237083; 141.3087250 (日和山(61.3m)) 日和山公園 鹿島御児神社(59.6m) 三等 54.34 m 北緯38度25分28.9896秒 東経141度18分28.5567秒

関連作品

[編集]

以下は日和山を主題にした作品。

脚注

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ 大場雄淵『奥州名所図会』巻之五、好日山の項 『仙台領の地誌』、24-25頁。同書は山を「好日山」と書き、「日和山」を土俗としている。
  2. ^ 『奥州里諺集』、『仙台領の地誌』、158頁。
  3. ^ 『曽良旅日記』5月10日条、岩波文庫『芭蕉おくのほそ道』102頁。
  4. ^ 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡 芭蕉と石巻(「芭蕉庵ドットコム」)
  5. ^ 学校長の挨拶宮城県石巻高等学校
  6. ^ 石巻高校鰐陵新聞100号/教頭 渡辺仁作(昭和40年9月30日刊)より抜粋(鰐陵同窓会)
  7. ^ a b 女川原子力発電所敷地周辺陸域の活断層評価について【補足説明資料】(2/6) (PDF)東北電力女川原子力発電所2号機の適合性審査申請について」)
  8. ^ 北上川の歴史国土交通省一関防災センター 北上川学習館)
  9. ^ 北上川・江合川・迫川における流路変遷 (PDF)貞山運河事典
  10. ^ 石巻港の「みなと文化」 (PDF)みなと総合研究財団
  11. ^ 基準点成果等閲覧サービス Archived 2015年10月16日, at the Wayback Machine.(国土地理院
  12. ^ 『日和山公園』に心が温かく 成底ゆう子のライブで思う復興への力 共同通信:松木浩明”. 琉球新報 (2014年6月5日). 2014年6月30日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 大場雄淵『奥州名所図会』巻之五、『仙台領の地誌』に収録。
  • 作者不明『奥州里諺集』、『仙台領の地誌』に収録。
  • 『仙台領の地誌』、今野印刷、2001年、ISBN 4-906607-17-9
  • 萩原恭男・校注『芭蕉おくのほそ道 付曽良旅日記・奥細道菅菰抄』、岩波書店(岩波文庫)、1979年。

関連項目

[編集]
  • 日本各地の日和山
  • 林家たい平 - 落語家。大学時代、慰問で訪れた石巻市で、日和山の北側にある桜の木に落語家になることを決意した。このため、その木は「たい平桜」と呼ばれる。

外部リンク

[編集]