日振島村
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ひぶりじまむら 日振島村 | |
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廃止日 | 1958年4月1日 |
廃止理由 |
新設合併 日振島村・下波村・蔣淵村・遊子村・戸島村 → 宇和海村 |
現在の自治体 | 宇和島市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 四国地方 |
都道府県 | 愛媛県 |
郡 | 北宇和郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
日振島村役場 | |
所在地 | 愛媛県北宇和郡日振島村 |
座標 | 北緯33度10分21秒 東経132度17分36秒 / 北緯33.17256度 東経132.29336度座標: 北緯33度10分21秒 東経132度17分36秒 / 北緯33.17256度 東経132.29336度 |
ウィキプロジェクト |
日振島村(ひぶりじまむら)は、1958年(昭和33年)まで愛媛県の南予地方の北宇和郡にあった村である。
当村を含む5村が昭和の大合併にて宇和海村が成立、自治体としては消滅した。その後宇和海村は1974年(昭和49年)に宇和島市へ編入され,現在に至っている。宇和海の離島、漁村である。
詳細は、日振島の記事も参照のこと。
地理
[編集]宇和島市西部の宇和海、宇和島港から10里と称された西海上に浮かぶ日振島と、その属島沖の島、竹ヶ島、横島ほかからなる(有人島は日振島のみ)。
島
- 日振島
- 村名の由来
- 「日振」の名は既に平安時代からの古文書に見ることができる。詳細は、日振島の記事を参照のこと。
歴史
[編集]藩政期
- 宇和島藩に属す。清家氏が代々庄屋を務めた。
明治以降
- 1889年(明治22年)12月15日 - 町村制施行時に、日振浦一村(浦)がそのまま日振島村となった。
- 1949年(昭和24年) - デラ台風の直撃を受け、鰯網7統すべてが遭難し、100名以上の死者を出す大惨事となった。
- 1954年(昭和29年) - 離島振興法の適用を受けて、生活環境の改善等が行なわれ始める。
- 昭和30年代に入り、耕作放棄が続き、過疎化が急速に進んだ。
- 1958年(昭和33年)4月1日 : 昭和の大合併に従い、下波村、蔣淵村、遊子村、戸島村の4村と合併し、宇和海村を新設し、日振島村は自治体としては消滅。
日振島村の系譜 (町村制実施以前の村)(明治期) 町村制施行時 昭和の合併 平成の合併 下波浦 ━━━━━ 下波村 ━━┓ 蔣淵浦 ━━━━━ 蔣淵村 ━━┫ (昭和33年4月1日合併) 遊子浦 ━━━━━ 遊子村 ━━╋━━━━ 宇和海村 ━┓ 戸島浦 ━━━━━ 戸島村 ━━┫ ┃ 日振浦 ━━━━━ 日振島村 ━┛ ┃ ┃ ┃(昭和49年4月1日編入) 宇和島市━━┻━━━━━━━━┓ 三間町━━━━━━━━━━━━╋━━宇和島市 吉田町━━━━━━━━━━━━┫(平成17年8月1日合併) 津島町━━━━━━━━━━━━┛ (注記)宇和島市、三間町、吉田町、津島町の平成の合併以前の系譜については、それぞれの記事を参照のこと。
地域
[編集]大字はなし。能登、明海(あこ)、喜路の3地区がある。一つの島ながら、それぞれ2,3キロずつ離れている。
参考文献
[編集]- 角川書店『角川 日本地名大辞典38愛媛県』1981年
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 愛媛県北宇和郡日振島村 (38B0130027) | 歴史的行政区域データセットβ版 - Geoshapeリポジトリ