日本の素顔
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『日本の素顔』(にほんのすがお)は、1957年11月10日から1964年4月5日までNHKテレビ → NHK総合テレビで放送されていたドキュメンタリー番組である。全306回。
概要
[編集]NHKによる本格ドキュメンタリー番組の元祖[1][2]。それ以前にもNHKラジオで『時の動き』という録音構成のドキュメンタリー番組が放送されていたが、テレビでもこれと同じものを作れないかという考えから生まれた。
初年度に放送された「日本人と次郎長」(第8集)は、それまで表に出ることのなかった襲名披露や手打ち式、刺青を入れる若者の姿などを取材・放送して大きな反響を呼んだ[3]。また、熊本県水俣市で発生していた奇病(水俣病)が、工場からの廃液による水銀中毒の疑いがあることを指摘した「奇病のかげに」(第99集)[4]や、伊勢湾台風の被害を報じた『泥海の町』(第92集)、浅沼稲次郎暗殺事件の発生を受けて制作された「政治テロ」(第139集)も話題を呼んだ。
番組は1964年春の改編を機に同タイトルでの放送を終了。土曜22:00枠で放送されていたもう1つのドキュメンタリー番組『現代の記録』と統合され、『現代の映像』と題してリニューアルした。
放送時間
[編集]いずれも日本標準時。
- 日曜 21:30 - 22:00(1957年11月10日 - 1961年4月2日)
- 日曜 21:50 - 22:20(1961年4月9日 - 1962年4月1日)
- 日曜 22:05 - 22:35(1962年4月8日 - 1963年3月31日)
- 日曜 22:00 - 22:30(1963年4月7日 - 1964年4月5日)
放送リスト
[編集]1957年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1957年11月10日 | 新興宗教をみる |
1957年11月17日 | 養護施設の子供たち |
1957年11月24日 | 貸家あります |
1957年12月1日 | 九十九里浜の漁師たち |
1957年12月8日 | 生きている史蹟 江田島・横須賀・霞ヶ浦・内原 |
1957年12月15日 | 三つの年の瀬 災害・貧困・孤独 |
1957年12月22日 | 玩具の季節 |
1958年1月5日 | 日本人と次郎長[5] |
1958年1月12日 | 櫓太鼓のかげに |
1958年1月19日 | 瀬戸内海のこどもたち |
1958年1月26日 | 狭き門にいどむ |
1958年2月2日 | 下水なき文化国家 |
1958年2月9日 | 移民 |
1958年2月16日 | 三軍の装備 |
1958年2月23日 | 春を待つ子供たち |
1958年3月2日 | 犬の世相 |
1958年3月9日 | 関門 |
1958年3月16日 | お寺様々 |
1958年3月23日 | 南の孤島・与論島 |
1958年3月30日 | 解散風の吹く国会 |
1958年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1958年4月6日 | 季節労働者 |
1958年4月13日 | 観光日本 |
1958年4月20日 | 靑い目の子どもたち |
1958年4月27日 | 部落 |
1958年5月4日 | 働くこどもたち |
1958年5月11日 | 迷信 |
1958年5月18日 | 麻薬 |
1958年5月25日 | 学校繁昌記 |
1958年6月1日 | ガード下の東京[6] |
1958年6月15日 | 水の上にくらす人たち |
1958年6月22日 | 大人にならない子どもたち |
1958年6月29日 | 自動車ラッシュ |
1958年7月6日 | 定年 |
1958年7月13日 | 神風登山 谷川岳の記録 |
1958年7月20日 | 売春防止法 |
1958年7月27日 | ハイティーン |
1958年8月3日 | 絹 |
1958年8月10日 | さいはての地「知床」 |
1958年8月17日 | 四人の山の子 |
1958年8月24日 | 村芝居 |
1958年8月31日 | 台風銀座 |
1958年9月8日 | 牛乳 |
1958年9月14日 | 風の中の先生 |
1958年9月21日 | アンバランス |
1958年9月28日 | ボタ山のかげに 中小炭鉱 |
1958年10月5日 | 豊作 |
1958年10月12日 | 警察官 |
1958年10月19日 | 母と子 |
1958年11月2日 | 文化運動 |
1958年11月9日 | もっと光を |
1958年11月16日 | 機屋と女工 |
1958年11月23日 | 無医村 |
1958年11月30日 | 全学連 |
1958年12月7日 | この人達に愛の手を みんなで正るいお正月 |
1958年12月14日 | 酔いどれ日本 |
1958年12月21日 | 瀬戸内の漁師 |
1958年12月28日 | 座談会 1958年言い納め |
1959年1月4日 | 職人 昔を守る人々 |
1959年1月11日 | 産業開発青年隊 |
1959年1月18日 | 日本の中の朝鮮 |
1959年1月25日 | 日本政府専売品 |
1959年2月8日 | 神の国日本 |
1959年2月15日 | 引き上げ十四年 |
1959年2月22日 | 特許権 現代産業を支配するもの |
1959年3月1日 | テレビ 現代のマンモス[7] |
1959年3月8日 | 満員 |
1959年3月15日 | 飯場にいきる |
1959年3月29日 | 日本の空 |
1959年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1959年4月12日 | 在日外人 |
1959年4月19日 | 麻痺と闘う 肢体不自由児の記録 |
1959年4月26日 | テキ屋 |
1959年5月3日 | 憲法第二十五条 |
1959年5月10日 | 観光ブームの裏街道 |
1959年5月17日 | 捜査本部 |
1959年5月24日 | 停車場人生模様 東京駅の24時間 |
1959年5月31日 | ある玉砕部隊の名簿 |
1959年6月7日 | 修行 |
1959年6月14日 | 結核 |
1959年6月21日 | 二つのライン |
1959年6月28日 | 古城落成 昭和築城時代 |
1959年7月5日 | 右翼 |
1959年7月12日 | 市場 |
1959年7月19日 | どん底人生 |
1959年7月26日 | 路上の恐怖 交通事故 |
1959年8月9日 | 隠れキリシタン |
1959年8月16日 | モンテンルパへの追憶 |
1959年8月23日 | 子どもの見た夏休み |
1959年8月30日 | コタンの人たち 日本の少数民族 |
1959年9月6日 | 災害日本 |
1959年9月13日 | のれんと鉢巻 |
1959年9月20日 | 美人天国 |
1959年9月27日 | 競輪立国 |
1959年10月4日 | 泥海の町 名古屋市南部の惨状 |
1959年10月11日 | 川に映った東京 |
1959年10月25日 | ボタ山は訴える |
1959年11月1日 | 歌舞伎 その伝統と社会 |
1959年11月8日 | 国鉄ローカル線 |
1959年11月15日 | 板ばさみ |
1959年11月22日 | 二軍人生 |
1959年11月26日 | 奇病のかげに[8] |
1959年12月6日 | 孤独の島“沖縄” |
1959年12月13日 | 台風孤児 |
1959年12月20日 | 自衛隊 |
1959年12月27日 | もういくつねると 歳末の狂態とその裏側 |
1960年1月10日 | 土地飢饉 |
1960年1月17日 | 街の若者たち |
1960年1月24日 | 大阪 |
1960年1月31日 | 国境の島 対馬 |
1960年2月7日 | 幼き受験生たち 受験にっぽん |
1960年2月14日 | 患者集団 社会保障のある断面 |
1960年2月21日 | 雪国 ある山村の記録 |
1960年2月28日 | マンモス都市 |
1960年3月6日 | セールスマン |
1960年3月13日 | 火山灰地に生きて 鹿児島県大隅半島、桜島 |
1960年3月27日 | 地方議会 |
1960年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1960年4月3日 | 馬 |
1960年4月10日 | 競り合い経済学 |
1960年4月17日 | 三行広告 |
1960年4月24日 | 暗い海辺 北海道の不漁地帯を行く |
1960年5月1日 | 日本人の家 |
1960年5月8日 | 三池 |
1960年5月22日 | 行動の世代 高校生のある断面 |
1960年5月29日 | 大津波 チリ地震災害NHKたすけあい番組 |
1960年6月5日 | 議長の椅子 |
1960年6月12日 | 群衆 |
1960年6月26日 | 9年間の記録 安保から安保まで |
1960年7月3日 | 若衆宿の人々 |
1960年7月10日 | 人気 |
1960年7月17日 | この国の母たち |
1960年7月31日 | ある底辺 |
1960年8月7日 | 黄色い手帳 原爆被災者の周辺 |
1960年8月14日 | 命の値段 |
1960年8月21日 | 母子寮の夏 |
1960年8月28日 | トカラの人々 ある離島の現実 |
1960年9月11日 | 黒い地帯 その後の炭鉱離職者達 |
1960年9月18日 | 先生の雑記帳 |
1960年9月25日 | 東京の大学生 |
1960年10月2日 | 小児マヒ地帯 |
1960年10月9日 | 地底 ある炭鉱事故の記録 |
1960年10月16日 | 政治テロ |
1960年10月23日 | 万年豊作 |
1960年11月13日 | 上野 裏窓の世相 |
1960年11月27日 | 不就学児童 |
1960年12月4日 | 臨時労働者 |
1960年12月11日 | 繁栄の谷間 京浜工業地帯のある断面 |
1960年12月18日 | 開拓地 |
1960年12月25日 | なにわの暮 |
1961年1月8日 | 交通マヒ |
1961年1月15日 | 太陽のない教室 夜間中学生 |
1961年1月22日 | 行商 |
1961年1月29日 | ヘロイン |
1961年2月5日 | 土の中の共同社会 |
1961年2月12日 | ある信者たち |
1961年2月19日 | 雪害 |
1961年2月26日 | 旧軍人 |
1961年3月5日 | 秘書 |
1961年3月12日 | ぼくらも日本人 |
1961年3月19日 | 文楽 |
1961年3月26日 | デパート |
1961年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1961年4月2日 | 兜町 |
1961年4月9日 | 歌は世につれ |
1961年4月16日 | サラリーマン |
1961年4月23日 | 機関士 ある合理化の断面 |
1961年4月30日 | 傷ついた村 |
1961年5月7日 | 我は海の子 |
1961年5月14日 | 保母さん |
1961年5月21日 | 学生寮 大学における人間性回復の方向 |
1961年5月28日 | 工場誘致 |
1961年6月4日 | 山林地主 |
1961年6月11日 | 精神衛生のカルテ |
1961年6月18日 | アマチュアスポーツ |
1961年6月25日 | 霊峰 |
1961年7月2日 | 波止場 |
1961年7月9日 | 防衛大学生 |
1961年7月16日 | 若い根っこ |
1961年7月23日 | まつり |
1961年7月30日 | レジャーの断面 |
1961年8月6日 | 消えやらぬ傷痕 原爆被爆者の生活記録 |
1961年8月13日 | ドクター稼業 |
1961年8月20日 | 浪花の芸人 |
1961年8月27日 | 流転の村 小河内ダムの30年 |
1961年9月3日 | 職業病 |
1961年9月10日 | 奄美 その復興と不毛 |
1961年9月17日 | 妻の座 |
1961年9月24日 | 海抜0地帯 |
1961年10月1日 | 血液市場 |
1961年10月8日 | 入会争議 |
1961年10月15日 | あるミスの誕生 |
1961年10月22日 | タクシー人生 |
1961年10月29日 | 禅 |
1961年11月5日 | 保母さん |
1961年11月12日 | 天草 出稼ぎの島の現実 |
1961年11月19日 | 求人 |
1961年11月26日 | 靖国神社 |
1961年12月3日 | 県人会 東京に生きる地方精神 |
1961年12月10日 | 町工場 |
1961年12月17日 | 黒い墓標 石炭産業合理化の断面 |
1961年12月24日 | 株主 |
1962年1月7日 | 勲章 |
1962年1月14日 | 狂った速度計 ダンプカーの事故とその背景 |
1962年1月21日 | 風土病 |
1962年1月28日 | 警視庁 |
1962年2月4日 | 易 |
1962年2月11日 | 埋もれた辺境 冬山の臨時労働者たち |
1962年2月18日 | アイデア |
1962年2月25日 | 移住者 |
1962年3月4日 | 旧軍港 |
1962年3月11日 | 旧地主 |
1962年3月18日 | 閉ざされた島 ライ療養所の記録 |
1962年3月25日 | 底流 日本の素顔 4年間の記録(総集編) |
1962年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1962年4月1日 | なわ張り |
1962年4月8日 | 観光基地 |
1962年4月15日 | 傷夷軍人 |
1962年4月22日 | 傷心の谷間 伊那谷その後 |
1962年4月29日 | 正義感をめぐる12の証言 |
1962年5月6日 | 防衛産業 |
1962年5月13日 | 日本の中の沖縄 |
1962年5月20日 | 釜ヶ崎からの報告 |
1962年5月27日 | 内職立国 |
1962年6月3日 | 村の政治 4人の村長の記録 |
1962年6月10日 | 選挙 |
1962年6月17日 | ガン対策の周辺 |
1962年6月24日 | 破産地帯 |
1962年7月8日 | 創価学会 |
1962年7月15日 | 経営戦略時代 |
1962年7月22日 | 仏像受難 文化財保護の反省 |
1962年7月29日 | 恐山 |
1962年8月5日 | ゴミの社会学 |
1962年8月12日 | タレント市場 |
1962年8月19日 | 秘境返上 国土総合開発の問題点 |
1962年8月26日 | フレキシネル段階 日本的赤痢菌の周辺 |
1962年9月2日 | 大陸派 その日本人的郷愁 |
1962年9月9日 | 白衣の労働者 |
1962年9月16日 | 学習塾 |
1962年9月23日 | 失対事業13年 |
1962年10月7日 | 奇禍 |
1962年10月14日 | 人づくり |
1962年10月21日 | 華僑 |
1962年10月28日 | 組夫 石炭産業合理化の断面 |
1962年11月4日 | 野丁場トビ |
1962年11月11日 | 水子塚 優生保護法の背景 |
1962年11月18日 | 精神障害 |
1962年11月25日 | 故郷なき人々 小笠原疎開民の記録 |
1962年12月2日 | D階層 北海道開拓農家の周辺 |
1962年12月9日 | 一杯船主 |
1962年12月16日 | 望楼 火災国日本の現状 |
1962年12月23日 | 教訓 |
1963年1月6日 | チャンピオン |
1963年1月13日 | 外国資本 |
1963年1月20日 | 伝統産業 |
1963年1月27日 | 三割自治 |
1963年2月3日 | 切れた神経 |
1963年2月10日 | 原子炉の周辺 |
1963年2月17日 | 老後 |
1963年2月24日 | 研究室 |
1963年3月3日 | 土地はだれのもの |
1963年3月10日 | 行くえ不明 |
1963年3月17日 | 流通革命 |
1963年3月24日 | 地方議員 |
1963年3月31日 | 家元社会 |
1963年度
[編集]放送日 | サブタイトル |
---|---|
1963年4月7日 | 在日留学生 |
1963年4月14日 | プライバシー |
1963年4月21日 | 夢のかけ橋 |
1963年4月28日 | 後援会 |
1963年5月5日 | 現代の子どもたち |
1963年5月12日 | 誘拐 |
1963年5月19日 | パイロット地区 農業近代化への試練 |
1963年5月26日 | 修学旅行 |
1963年6月2日 | 国鉄 |
1963年6月9日 | 国境周辺 |
1963年6月16日 | 年功序列[9] |
1963年6月23日 | 国境周辺 |
1963年6月30日 | 消費者主権 |
1963年7月7日 | 水利権 |
1963年7月14日 | 失われた歳月 長期裁判の代償 |
1963年8月4日 | 税関 |
1963年8月11日 | よみがえる墓標 |
1963年8月18日 | 祇園 |
1963年8月25日 | ある閉山 金属鉱山の現実 |
1963年9月1日 | 自由化1年 |
1963年9月8日 | 相場師 |
1963年9月15日 | 私鉄 その線と点の争い |
1963年9月22日 | 興行師 |
1963年9月29日 | 教祖誕生 |
1963年10月6日 | 情緒障害児の記録 |
1963年10月20日 | 公害都市 |
1963年10月27日 | 農協 |
1963年11月17日 | 15歳の自衛官 |
1963年11月24日 | 放浪 梅田厚生館の保護記録より |
1963年12月1日 | 補償以後 |
1963年12月8日 | あの戦いの日々 |
1963年12月15日 | 空洞 結核長期療養者の周辺 |
1963年12月22日 | 国鉄電車区 |
1963年12月29日 | 社会病質者の周辺 |
1964年1月12日 | 帰郷 漂海漁民の里 |
1964年1月19日 | 東京農民 |
1964年1月28日 | 道徳教室 |
1964年2月2日 | 砂利飢饉 |
1964年2月9日 | 御蔵島 |
1964年2月18日 | 灰色の海岸線 |
1964年2月23日 | 廃屋の村[10] |
1964年3月1日 | 貸家人対借家人 ある居住権をめぐる争い |
1964年3月8日 | 公民館 |
1964年3月15日 | 企業学校 |
1964年3月22日 | 流氷と人 |
1964年3月29日 | 山岸会 |
1964年4月5日 | 暴走 運転免許と精神障害 |
脚注
[編集]- ^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年〜1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、204頁。NDLJP:12275878/106。
- ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、43 - 45頁。NDLJP:12275392/25。
- ^ “日本の素顔 日本人と次郎長 | NHK名作選(動画・静止画) | NHKアーカイブス”. 2015年9月14日閲覧。
- ^ “日本の素顔 奇病のかげに | NHK名作選(動画・静止画) | NHKアーカイブス”. 2015年9月14日閲覧。
- ^ 日本の素顔 日本人と次郎長 - NHK放送史
- ^ 日本の素顔 ガード下の東京 - NHK放送史
- ^ 日本の素顔 テレビ 現代のマンモス - NHK放送史
- ^ 日本の素顔 奇病のかげに - NHK放送史
- ^ 日本の素顔 年功序列 - NHK放送史
- ^ この回は、NHKアーカイブス「シリーズ1964 第2回 変わる東京〜五輪景気の光と影〜」(2014年9月23日、NHK総合)内でも放送。第300集。
“NHKアーカイブス(番組)|これまでの放送”. 2015年9月14日閲覧。
取り上げられた村は、奈良県榛原町荷坂、広島県戸河内町田代、広島県加計町都賀尾、島根県匹見町広見。
参考文献
[編集]- 「テレビ番組の40年(読売新聞芸能部編)」(ISBN 4-14-080192-1) 日本放送出版協会(1994年)
- 宮田章、2014、「シリーズ『日本の素顔』と戦後近代─テレビ・ドキュメンタリーの初期設定─ 【第1回】 現実が「コンテンツ」になった時 (PDF) 」 、『放送研究と調査』64巻8号(2014年8月号)、NHK放送文化研究所、ISSN 0288-0008 pp. 24-57
関連項目
[編集]- 現代の記録 - 同時期に教育テレビで放送されていたドキュメンタリー番組。
- 小倉一郎 (ディレクター) - 「奇病のかげに」(第99集)などを担当
外部リンク
[編集]- 日本の素顔 - NHK放送史
- 番組エピソード 日本の素顔 制作者座談会 - NHKアーカイブス
- NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008 - この番組に関する記述がある。
NHKテレビ → NHK総合テレビ 日曜21:30枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
日本の素顔
(1957年11月10日 - 1961年4月2日) |
||
NHK総合テレビ 日曜21:50枠 | ||
日本の素顔
(1957年11月10日 - 1961年4月2日) ※21:30 - 22:00 きょうのニュースほか ※22:00 - 22:25、日曜21:30枠へ移動・縮小 |
日本の素顔
(1961年4月9日 - 1962年4月1日) |
ニュースの焦点
(1962年4月8日 - 1963年3月31日) ※21:50 - 22:05、日曜22:20枠から移動 日本の素顔 (1962年4月8日 - 1963年3月31日) ※22:05 - 22:35 |
NHK総合テレビ 日曜22:05枠 → 日曜22:00枠 | ||
日本の素顔
(1961年4月9日 - 1962年4月1日) ※21:50 - 22:20 ニュースの焦点 (1961年4月9日 - 1962年4月1日) ※22:20 - 22:35、日曜21:50枠へ移動 |
日本の素顔
(1962年4月8日 - 1964年4月5日) |