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日本鉱業日立硬式野球部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本鉱業日立硬式野球部
チーム名(通称) 日本鉱業日立、日鉱日立
加盟団体 日本野球連盟
加盟区分 企業チーム
創部 1919年
廃部 1972年
チーム名の遍歴

  • 日立鉱山 (1919 - 1954)
  • 日本鉱業日立 (1955 - 1972)
本拠地自治体

都市対抗野球大会
出場回数 10回
最近の出場 1969年
最高成績 ベスト8
日本産業対抗野球大会
出場回数 7回
最近の出場 1967年
最高成績 ベスト8
社会人野球日本選手権大会
出場回数 ※大会創設前に廃部
全日本クラブ野球選手権大会
出場回数 ※出場資格なし
※大会創設前に廃部

日本鉱業日立硬式野球部(にほんこうぎょうひたちこうしきやきゅうぶ)は、茨城県日立市に本拠地を置き、日本野球連盟に加盟していた社会人野球の企業チームである。1972年に解散した。

運営母体は、金属製錬事業を手掛ける日本鉱業

概要

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1909年久原房之助が鉱山を買収し日立鉱山として創業。その14年後の1919年に『日立鉱山硬式野球部』として創部[1]

1937年都市対抗野球に初出場を果たす。その後、戦争の影響で休部するが戦後に活動を再開。

1955年、チーム名を『日本鉱業日立硬式野球部』に改称[1]。チーム名改称後では初出場となった翌1956年都市対抗野球ではベスト8まで進出した。

1972年12月、業績不振の影響を受け休部し[1][2]、その後廃部となった。日立鉱山も1981年に閉山となった。

同じく日立市を本拠地とし、当チームと同時期に創部した日立製作所硬式野球部(もともと日立製作所は日本鉱業の前身の久原鉱業から分離独立した兄弟企業である)とはお互い切磋琢磨しあう間柄であり、2チームで行なっていた定期戦は「お山の早慶戦」とも呼ばれていた[1]

設立・沿革

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主要大会の出場歴・最高成績

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主な出身プロ野球選手

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かつて在籍していた主な選手・コーチ・監督

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脚注

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関連項目

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