日比野紋左衛門
表示
ひびの もんざえもん 日比野紋左衛門 | |
---|---|
生誕 | 日本 愛知県海部郡佐屋村大字柚木[1](現・愛西市柚木町) |
死没 | 1915年1月15日[2] |
国籍 | 日本 |
職業 | 実業家 |
子供 | 日比野寛(養子)[1] |
親 | 父:日比野市蔵、母:日比野松枝[3] |
日比野 紋左衛門(ひびの もんざえもん、生年不明 - 1915年1月15日)は、愛知県出身の実業家。
人物
[編集]生年不明[1]。出身は海部郡佐屋村大字柚木と推定されている[1]。自身の発明による肥料製造の特許を取得し、日比野安全肥料株式会社を設立[1]。初代社長となった[1]。1906年(明治39年)、三重県四日市に仮工場を設立し、肥料を全国に対して販売を行った[1]。1908年(明治41年)、佐屋村大字柚木に工場を竣工した[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 愛知一中会 編『日比野寛伝』中統教育図書、1985年1月。
- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編『角川日本姓氏歴史人名大辞典23 愛知県』角川書店、1991年10月30日。ISBN 4-04-002230-0。
- 清水武・神田年浩(解説)『尾西線の100年 保存版』郷土出版社、1999年3月。ISBN 4-87670-118-0。