日田永基
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時代 | 鎌倉時代中期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明[注釈 1] |
別名 | 弥三郎、弥次郎?[2][1] |
戒名 | 法基[2] |
官位 | 従六位上左衛門尉[3] |
幕府 | 鎌倉幕府 御家人 |
主君 | 源惟康 |
氏族 | 大蔵氏流日田氏[1] |
父母 | 父:日田永信[1] |
子 | 永資[1] |
日田 永基(ひた ながもと)は、鎌倉時代中期の豊後国の武士。
生涯
[編集]日田氏は大蔵氏の一族で豊後国日田郡郡司を相伝し、また郡内日田庄を領した[2][2][1]。文永11年(1274年)文永の役では筑前国に出征して姪浜や百路原の戦いで戦功を挙げた。この恩賞として国東郡安岐郷内に弁分・弘永など5名を賜り、また左衛門尉に叙されたという[2][2][1][3]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 中野幡能 編『大分県の地名』平凡社〈日本歴史地名大系〉、1995年。ISBN 978-4-582-91018-6。
- 太田亮『姓氏家系大辞典』角川書店、1963年。ISBN 978-4-04-030200-3。
- 芥川竜男; 財津永延 編『日田記』文献出版、1977年。