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日精ホンママシナリー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日精ホンママシナリー株式会社
NISSEI HOMMA MACHINERY CO., LTD.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
674-0094
兵庫県明石市二見町西二見1242
設立 2017年8月9日
業種 機械
法人番号 3140001107257
事業内容 各種工作機械・金属加工機械・合成樹脂加工機械・ゴム加工機械など産業機械とその部品・装置、システムの製造・販売、金属加工部品の委託製造
代表者 代表取締役会長 依田穂積
代表取締役社長 成澤和美
資本金 4億8000万円
従業員数 81名
決算期 3月31日
主要株主 日精樹脂工業(株) 100%
外部リンク http://www.nissei-homma.co.jp/
特記事項:創業は1946年2月。
企業情報は新社のデータ。旧:ホンマ・マシナリー株式会社は1957年5月設立。
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日精ホンママシナリー株式会社(NISSEI HOMMA MACHINERY CO., LTD.)は、兵庫県明石市に本社を置き、各種工作機械の製造・販売などを手掛ける企業。

日精樹脂工業の100%子会社。

本稿では、2017年9月まで事業を行っていたホンマ・マシナリー株式会社についても記述する。

概要

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1946年に創業。大型プレナーやターニングマシンなどの大型工作機械の製造・販売を手掛け、特に新幹線用車輪フライス機では100%のシェアを誇る[1]

ホンマ・マシナリーは、1992年4月期には35億1356万円の売上があった[2]。しかし、バブル崩壊後は各業界からの受注が大幅に減少した他、得意先の海外への製造拠点移転により経営が悪化[1][2]。このため、海外向け受注の強化を図ることになった他、2006年には大阪府内の金融機関が出資するファンドの融資を受けることになった[1]。これらの施策により、2007年4月期の売上は約30億円までに回復した[1][2]

しかし、2008年に発生したリーマン・ショックにより、再度受注が減少。これに追い打ちをかけるかのように、中国インドからの受注案件に係る資金回収が困難となり資金繰りが悪化[1][2]。このため、ホンマ・マシナリーは、2017年4月27日大阪地方裁判所民事再生法適用を申請。同日付で保全管理命令を受けた[2]

ホンマ・マシナリーは、再建策として大阪市淀川区にあった本社工場を閉鎖し、製造拠点を明石事業所へ集約[3]。民事再生スポンサーには、長野県坂城町に本社を置く日精樹脂工業が選定された[4]。日精樹脂工業は、事業を譲受する受け皿会社として、日精ホンママシナリー株式会社を2017年8月9日に設立[5]。日精ホンママシナリーは、同年10月2日付でホンマ・マシナリーが手かけていた全事業を譲受した。日精ホンママシナリーの本社は、明石事業所内に置かれる[5]

その後もホンマ・マシナリーは民事再生手続を進め、2019年9月4日に法人格が消滅した[6]

事業所

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沿革

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ホンマ・マシナリー株式会社

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  • 1946年2月 - 本間鋳造所として創業。
  • 1957年5月 - 本間金属工業株式会社として法人へ改組。
  • 1959年8月 - 大阪市淀川区田川に田川工場を建設。
  • 1963年8月 - 明石工場(後の明石事業所)を建設。
  • 1970年6月 - 本社屋並びに本社工場を増築。
  • 2008年5月 - ホンマ・マシナリー株式会社へ商号変更。
  • 2017年
    • 4月27日 - 大阪地方裁判所民事再生法適用を申請。
    • 8月4日 - 民事再生スポンサーに日精樹脂工業を選定。
    • 10月2日 - 日精樹脂工業が設立した日精ホンママシナリー株式会社へ事業を譲渡して事業停止。ホンマ・マシナリーは民事再生手続継続。
  • 2018年
    • 3月7日 - 本店所在地を申請人弁護士の事務所がある大阪市大阪市北浜へ移転。
    • 4月17日 - 本店所在地を大阪市淀川区田川へ再移転。
  • 2019年9月4日 - 法人格消滅。

日精ホンママシナリー株式会社

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  • 2017年
    • 8月9日 - 日精樹脂工業が、ホンマ・マシナリーの事業を譲受する受け皿会社として、日精ホンママシナリー株式会社を設立。本社をホンマ・マシナリー明石事業所内に置く。
    • 10月2日 - 日精ホンママシナリーが、ホンマ・マシナリーの事業を譲受して営業開始。

脚注

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外部リンク

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