コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

日野資秀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日野資秀
ひの すけひで
生年月日 1863年7月4日
出生地 日本の旗 日本 山城国京都
(現京都府京都市)
没年月日 (1903-11-24) 1903年11月24日(40歳没)
前職 東宮侍従
称号 正三位
配偶者 日野斐子
日野つる
親族 兄・柳原前光(元老院議長)
義兄・牧野伸顕(内大臣)
義兄・日高栄三郎(貴族院議員)
義兄弟・三島弥太郎(貴族院議員)

在任期間 1900年11月8日 - 1903年11月24日
テンプレートを表示

日野 資秀(ひの すけひで、1863年7月4日(文久3年5月19日[1])- 1903年明治36年)11月24日[1][2])は、明治期の宮内官、政治家華族貴族院伯爵議員。旧名・柳原和麿[3]、北小路光典[4]

経歴

[編集]

山城国京都柳原光愛長谷川歌野の五男として生まれる[1][5]1875年(明治8年)北小路随光の養子となり光典(みつのり)と改名[4][6]1883年(明治16年)10月17日、養子縁組を解消し[4]、同年10月27日、隠居した日野資貴(宗瑞)の相続人となり、同年12月、資貴の父資宗の死跡相続者となる[1][5]1884年(明治17年)7月7日、伯爵を叙爵した[7]

1880年(明治13年)明宮(大正天皇[注 1]出仕となり、同祗候、同御用掛を歴任[2][5]1888年(明治21年)から1893年までイギリスに留学(宮内省留学生)[2][5][6][8]。帰国後、東宮職御用掛、東宮侍従を務めた[2][5][6]

1900年(明治33年)11月8日、貴族院伯爵議員補欠選挙で当選し[9][10]、死去するまで在任した[2][11]。墓所は青山霊園

栄典

[編集]

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 姉・柳原愛子が大正天皇の生母のため叔父に当る。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『平成新修旧華族家系大成 下巻』410頁。
  2. ^ a b c d e 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』28頁。
  3. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 下巻』761頁。
  4. ^ a b c 『平成新修旧華族家系大成 上巻』491頁。
  5. ^ a b c d e 『人事興信録〔初版〕』1090-1091頁。
  6. ^ a b c 『明治過去帳』699頁。
  7. ^ 『官報』第307号、明治17年7月8日。
  8. ^ 「留学生日野資秀留学延期之件」
  9. ^ 『官報』第5208号、明治33年11月9日。
  10. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、10頁。
  11. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、12頁。
  12. ^ 『官報』第6120号「叙任及辞令」1903年11月25日。

参考文献

[編集]


日本の爵位
先代
叙爵
伯爵
日野家初代
1884年 - 1903年
次代
日野資謙