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日露通信社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日露通信社
本社所在地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ウラジオストク
業種 情報・通信業
事業内容 通信社
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日露通信社(にちろつうしんしゃ)とは、かつてソ連に存在した日本の国策通信社である。旧日露貿易通信社[1]。1918年11月創刊[1]。1934年6月25日、露西亜通信社に吸収された。

日露倶楽部

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日露倶楽部
本社所在地 日本の旗 日本
東京市赤坂区氷川町四番地[2]
業種 情報・通信業
代表者 上田森治[2]
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日露通信社の露字新聞の日本総支局は日露倶楽部であり[2]、日露倶楽部は1925年4月に再設立されている[3] (なお、以前の日露倶楽部は1913年より存在しており[1]ロシア内戦中は内部に白系露字新聞「デーロ、ロシー」の発行所を置いていた[4])。

ソ連側は、極東銀行ロシア語版極東貿易局 (ダリゴストルグロシア語版、-1931年[5])、全露中央消費購買組合ロシア語版 (ツエントロサユーズ)が日露倶楽部の会員に申し込んでいた[3]。なお、ソ連側のアドリフ・ヨッフェによれば、全露中央消費購買組合の役員は共産主義者では無かったとされる[6]

一方、日本軍と協働していた白軍セミョーノフ軍系の新聞「デイロ、ロシー」は、日ソの通商および協調を批判していた[7]

日露通信社の設立案における役員案

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  • 主任
  • 補助者
    • 布施勝治 - 大阪毎日新聞通信員[8]
    • 土肥常温 - 国際通信社 社員[8]。通信社史の経歴によれば1886年、東京生れ。早大政経科修了、ロイター及びAP東京支局勤務、1914年3月国際通信社創立とともに勤務、1922年、岩永裕吉とともにワシントン海軍軍縮会議に特派員として派遣とある。
    • 岩堂保 - 外務省嘱託。政務部との連絡役[8]。イギリスからエホー印刷所の買収を行うが、その印刷所を赤色新聞に提供したため問題となる[9]

役員

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発行書籍

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関連項目

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出典

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  1. ^ a b c 『ロシアと日本: 共同研究 - 第5号』 早稲田大学政治経済学部長與研究室 2003年
  2. ^ a b c d e f 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C07060819600、大正8年10月 西受大日記(防衛省防衛研究所)」 日露貿易通信社員へ軍用船便乗許可の件
  3. ^ a b 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03041026200、在内外協会関係雑件/在内ノ部 第四巻(1-3-3-1_2_004)(外務省外交史料館)」 31.日露倶楽部
  4. ^ 10.浦汐政府対日宣伝開始記事ノ件 自大正九年九月 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040651200、新聞雑誌出版物等取締関係雑件 第四巻(B-1-3-1-075)(外務省外交史料館)」
  5. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B08061123000、外国会社関係雑件/蘇連邦ノ部(E-2-2-1-1_4_001)(外務省外交史料館)」 標題:3.国営株式会社「ダリゴストルグ」
  6. ^ 誤れる対露策 : ヨッフェ氏語る 東京日日新聞 1920年2月18日
  7. ^ 日本撤兵に就て 「デイロ、ロシー」 1920年9月18日
  8. ^ a b c d 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B11090476500、西比利亜経済援助関係雑件/「プロパガンダ」ニ関スル件(B-3-4-1-23_8)(外務省外交史料館)」 標題:5.日露通信社設立案ノ件 自大正八年二月
  9. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040626700、新聞雑誌操縦関係雑纂/「エホー」印刷所 第一巻(B-1-3-1-056)(外務省外交史料館)」標題:エホー印刷所一 6/大正10年5月12日から大正10年5月30日
  10. ^ a b c 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B03040802900、本邦通信機関及通信員関係雑纂/通信機関ノ部(B-1-3-1-189)(外務省外交史料館)」 6.日露通信社
  11. ^ 「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.B02031142700、本邦通信社関係雑件(A-3-6-0-5)(外務省外交史料館)」 2.日露通報社関係