早川エジソン正吉
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名前 | ||||||
愛称 | エジ | |||||
カタカナ | ハヤカワ エジソン マサヨシ | |||||
ラテン文字 | Edson Masayoshi Hayakawa | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1967年3月4日(57歳) | |||||
出身地 | ブラジルサンパウロ州 | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
早川 エジソン 正吉(はやかわ - まさよし、1967年3月4日 - )は、ブラジル・サンパウロ州出身の元サッカー選手、エスコート通訳。現在はJリーグ・柏レイソルで通訳を務める。
現役時代のポジションはディフェンダー。日系ブラジル三世。ポルトガル語、日本語、英語、スペイン語を使いこなす[1]。
来歴
[編集]1990年、23歳の時に知人から「働きながらサッカー選手としてプレーできる」との話を受けて日本に渡ったが、空港では誰も迎えることがなく「実態のない話」であったことに気付く[2]。しかし帰る旅費もなくアルバイトで生計を立て[2]、翌年の1991年に熊本県社会人リーグに属していた東亜建設工業サッカー部(現:ブレイズ熊本)に入団し、ディフェンダーとして1993年までの3年間プレーした[3]。
退団後は選手を引退し、様々な職場で働くことになる。1998年にポルトガル語新聞のアルバイトとしてJリーグ・アビスパ福岡対ジュビロ磐田戦を取材した際にスカウトを受け、1999年よりアビスパ福岡の通訳に就任する[3]。通訳だけではなく、外国人選手のケアも手掛けた[2]。2009年12月、アビスパ福岡を契約満了で退団。
2010年4月にファビオとターレスの2人のブラジル人選手が入団した関係で、通訳を探していたロアッソ熊本でパートタイムとして通訳の仕事に再び就き、2011年にはスタッフとして正式採用された。約2年間通訳を務めた後、2012年1月12日に退団が発表された[4]。
2012年より、クラブ史上初めてのブラジル人監督を迎えるガンバ大阪のポルトガル語通訳に就任した[5]。監督はシーズン序盤の3月に解任されたものの、ラフィーニャ(6月に退団)、パウリーニョ、エドゥワルド、レアンドロ(6月に復帰)といったブラジル人選手が所属している為、早川はガンバに残留している。
2015年より、湘南ベルマーレの通訳に就任。
2017年より、アビスパ福岡の通訳に再び就任。
2019年より柏レイソルの通訳に就任。
所属クラブ
[編集]- 1991年 - 1993年 東亜建設工業サッカー部
指導歴
[編集]- 1999年 - 2009年 アビスパ福岡:通訳
- 2010年 ロアッソ熊本:非常勤通訳
- 2011年 ロアッソ熊本:通訳兼アカデミースタッフ
- 2012年 - 2013年 ガンバ大阪:通訳
- 2015年 - 2016年 湘南ベルマーレ:通訳
- 2017年 - 2018 アビスパ福岡:通訳
- 2019年 - 現在 柏レイソル:通訳
脚注
[編集]- ^ 「心の中継点」スポッ人ライト 日刊スポーツ、2007年2月4日
- ^ a b c “ブラジル人選手を好アシスト 通訳・早川エジソン正吉さんも”. 熊本日日新聞. 2010年5月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月14日閲覧。
- ^ a b “フィールドの風=日本サッカーと外国人選手の懸け橋に 早川エジソン正吉さん アビスパ福岡通訳 言葉のアシストを 選手の悩み事の相談も”. 西日本新聞. 2005年3月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年12月14日閲覧。
- ^ 早川エジソン正吉 通訳兼アカデミースタッフ、退任のお知らせ - ロアッソ熊本公式サイト 2012年1月12日
- ^ “選手&チームスタッフ紹介”. ガンバ大阪オフィシャルサイト (2012年1月19日). 2007年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年1月19日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 選手&チームスタッフ紹介 | ガンバ大阪オフィシャルサイト
- 早川エジソン正吉ブログ
- 早川エジソン正吉 (@edsonmasa) - X(旧Twitter)