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早瀬久美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
はやせ くみ
早瀬 久美
早瀬 久美
『映画情報』1966年12月号より
本名 物集 久美子(もづめ くみこ)
別名義 早瀬 久美子
生年月日 (1951-12-25) 1951年12月25日(72歳)
出生地 日本の旗 日本兵庫県神戸市
身長 160 cm
職業 女優
ジャンル テレビ・映画
活動期間 1968年 - 1983年2002年-
配偶者 なし(離婚歴あり)
著名な家族 物集恭次郎
物集千代子
公式サイト プロフィール
主な作品
ドラマ
おれは男だ!』(1971年)
サギ師 リリ子』(2009年)
水曜ミステリー9 警察署長・たそがれ正治郎
映画
汐風の中の二人』(1966年-松竹)
紀ノ川』(1966年-松竹)
喜劇 深夜族』(1969年-松竹)
花の宴』(1967年-松竹)
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早瀬 久美(はやせ くみ、1951年12月25日[1] - )は、兵庫県神戸市出身の女優[2]。本名、物集(もづめ)久美子。カロスエンターテイメント所属。

来歴・人物

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兵庫県神戸市に生まれる。父の物集恭次郎は、国学者物集高見[3]の娘・物集千代子の息子である。

神戸山手女子中学校在学中17歳の1966年に「ミス・ジュニア・フラワーコンテスト」に入賞[3][2]。これがきっかけで松竹からスカウトされ、4月には北鎌倉女子学園へ転校[4]した。同じ「ミス・ジュニア・フラワーコンテスト」で入賞した有川由紀と二人でヨーロッパを旅行をした[2]。同年11月に映画紀ノ川』の端役で銀幕デビュー。1968年にはフジテレビ系列のテレビドラマ『お嫁さん』で初主演を果たす。

1971年日本テレビ系列のテレビドラマ『おれは男だ!』(主演:森田健作)にヒロイン・吉川操(吉川くん)役でレギュラー出演する。ドラマは大ヒット番組となり、早瀬を代表する作品の一つとなった。以降は多くのテレビドラマに出演して活躍する。

1975年毎日放送ワイドショー『奥さん2時です』の司会を務める。1976年、大伯父の物集高量が東京作家クラブ賞を受けた際には、高量の代理として授賞式に出席した。

1978年から1979年にかけて、早瀬久美子と改名していた時期がある[5]

1980年に結婚し、1983年に一時女優を引退して渡米する。その際はサンフランシスコに移住し同地で出産。しかし1989年サンフランシスコ地震に遭遇。この経験から地震学の専門書を渉猟し、地震に関する造詣の深さでも知られる。同地でポーセリンドール作りを学んで1990年に帰国し、陶芸教室を経営する。

2002年、19年ぶりに長らく離れていた芸能界に復帰した。2005年に森田健作が千葉県知事選に出馬した際には、選挙戦最終日にJR千葉駅前にて最後の演説・応援に駆け付けた。

2007年に離婚。2009年1月、テレビ東京Lドラサギ師 リリ子』にて「あなたの光でいたい」(愛のドラマシリーズ)以来31年ぶりに連続テレビドラマにレギュラー出演した。以前は海外ブランドショップを営んでいたが、現在は退いている。

2023年9月、舞台デビューを果たしている[6]

出演

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映画

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汐風の中の二人』(1966年)

テレビドラマ

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舞台

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  • 祖国への挽歌~日系人マフィア モンタナジョーの伝説!!~(2023年9月12日~17日、俳優座劇場)野伏翔・作:演出、北村礼子役

バラエティ

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ほか多数

ラジオ

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脚注

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  1. ^ 早瀬久美”. 日本タレント名鑑. VIPタイムズ社. 2016年12月31日閲覧。
  2. ^ a b c 「"出を待つ"新年度の新人スターたち 松竹、各人のキャラクターを活した企画に留意 ☆早瀬久美」『映画時報』1967年1月号、映画時報社、36–37頁。 
  3. ^ a b “青春グラフィティ : 生き方!私流 : 新おとな総研”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年3月17日). オリジナルの2010年3月23日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100323144956/http://otona.yomiuri.co.jp/people/graffiti/20100317_01.htm?from=yolsp 
  4. ^ 『月刊明星』1967年1月号、集英社、217頁。 
  5. ^ 福島民報 (福島民報社): p. [要ページ番号]. (1978年5月12日) 
  6. ^ デビュー58年目の女優早瀬久美、俳優座「祖国への挽歌」で舞台初体験「縁がないと思ってた」”. 日刊スポーツ (2023年8月20日). 2023年10月10日閲覧。

外部リンク

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