早野義章
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はやのぎしょう 早野義章 | |
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生誕 |
1862年3月12日 (文久2年2月12日[1]) 肥後新田藩大浜町(現熊本県玉名市大浜町) |
死没 |
1932年1月4日(69歳没) 熊本県玉名郡大浜町(現玉名市大浜町) |
記念碑 |
早野義章先生感恩碑 熊本県玉名市大浜漁協敷地内[2] |
国籍 | 日本 |
別名 | 海苔養殖の父 |
職業 | 海苔養殖業、教育者、郡会議員 |
著名な実績 | 有明海苔養殖 |
栄誉 | 平成23年度熊本県近代文化功労者 |
早野 義章(はやの ぎしょう、1862年3月12日(文久2年2月12日) - 1932年(昭和7年)1月4日)は、日本の海苔養殖家、教育者。小学校校長を経て、海苔の養殖業に転身し、有明海で初めて海苔の養殖に成功した。門下生により、岡山、愛媛、朝鮮半島に海苔の養殖技術が広まった[1]。
略歴
[編集]1862年(文久2年)、留守居番の父大七、母マスの三男として生まれる。東京へ遊学後、大浜尋常小学校訓導に就く。後、校長に就任。
1894年(明治27年)頃、地域の貧窮を救うため海苔の養殖を提唱、校長を退職し、自ら海苔の養殖業を始める。1901年(明治34年)、県水産試験場支場誘致に成功する。1902年(明治35年)、海苔の養殖に成功。「玉名海苔」として、東京・大阪へ出荷する。
1903年(明治36年)、郡会議員初当選。
1906年(明治39年)、第二回関西九州連合水産共進会海苔部門で二等賞受賞。当時の皇太子が購入した。
1907年(明治40年)、大浜横島海苔水産組合を設立し、組合長に就任。1908年(明治41年)、有明海干拓事業に着手。1912年(大正元年)、長栄開、有明開竣工。
1915年(大正4年)、賞動局より大銀杯を受領。1921年(大正10年)、熊本県知事より表彰。1931年(昭和6年)12月、天皇陛下へ新海苔を献上する。
1932年(昭和7年)1月4日没。
脚注
[編集]参考リンク
[編集]- 『大日本人物名鑑(ルーブル社出版部)』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 熊本県教育委員会くまもとの偉人(熊本県近代文化功労者)