昆陽寺
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昆陽寺 | |
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本堂 | |
所在地 | 兵庫県伊丹市寺本2-169 |
位置 | 北緯34度46分37秒 東経135度23分18秒 / 北緯34.77694度 東経135.38833度座標: 北緯34度46分37秒 東経135度23分18秒 / 北緯34.77694度 東経135.38833度 |
山号 | 崑崙山 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 薬師如来 |
創建年 | 天平3年(731年) |
開山 | 行基 |
別称 |
昆陽施院 こやでら 行基さん |
札所等 |
西国薬師四十九霊場第19番 摂津国八十八箇所第62番 川辺西国三十三所第10番 伊丹七福神(寿老人) |
文化財 | 山門、観音堂、木造広目天立像・木造多聞天立像(県指定有形文化財) |
法人番号 | 2140005018187 |
昆陽寺(こんようじ[1]、こやでら[2])は、兵庫県伊丹市寺本にある高野山真言宗の寺院。山号は崑崙山(こんろんさん)。本尊は薬師如来。行基が創立した畿内49院のひとつ。西国街道(現・国道171号)沿いに位置し、地元ではこやでらや「行基さん」と呼ばれて親しまれている。
歴史
[編集]天平3年(731年)に行基が昆陽池を造成するのと並行して貧民救済を目的とした「昆陽施院」(布施屋)を創建したのが当寺の起こりである。
天平5年(733年)、第45代聖武天皇の勅願寺となって伽藍が整備され、36坊の子院を設け、周辺を開墾し荘園化して発展した[3]。
天正7年(1579年)、有岡城に籠城する荒木村重と織田信長の合戦、有岡城の戦いに巻き込まれて焼失したが後に再興され、江戸時代は9か寺の塔頭を有していた。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で被災したが、復旧がなされた。
本尊・薬師如来像は行基の自作と伝えられる。開山以来秘仏であったが、現在は開帳されている。
境内
[編集]- 本堂(薬師堂)- 瑠璃殿。本尊の薬師如来像を祀る。阪神・淡路大震災で倒壊するが、2年後の1997年(平成9年)4月に再建された。
- 行基堂(開山堂) - 元禄年間(1688年 - 1704年)再建。行基菩薩と脇侍である文殊菩薩・普賢菩薩を祀る。震災で被災、解体修理を実施。
- 観音堂(兵庫県指定有形文化財) - 寛永年間(1624年 - 1645年)再建。十一面観音を祀る。寄棟造向拝付本瓦葺。震災で被災、解体修理を実施。
- 弁天堂
- 庫裏
- 白長神社
- 稲荷社
- 西国三十三所霊場石仏群
- 四国八十八箇所霊場石仏群
- 行基塚
- 鎮守堂
- 納骨堂
- 宝蔵
- 鐘楼 - 寛永元年(1789年)再建。『今昔物語集』に摂津国の小屋寺で鐘が盗まれた話がある[4]。梵鐘は四代目で、宝暦10年(1760年)造。
- 山門(仁王門、兵庫県指定有形文化財) - 明暦年間(1655年 - 1658年)再建。元々は中門で、山門は2km以上南方の尼崎市の富松神社付近にあった。入母屋造本瓦葺。震災で被災、解体修理を実施。
- 遍照院 - 塔頭。川辺西国三十三所第11番札所。
- 一乗院 - 塔頭。川辺西国三十三所第12番札所。
- 成就院 - 塔頭。川辺西国三十三所第13番札所。
- 正覚院 - 塔頭。川辺西国三十三所第14番札所。
文化財
[編集]兵庫県指定有形文化財
[編集]祭事・年中行事
[編集]- 行基さん祭り(4月)
- 昆陽寺まつり(8月)
前後の札所
[編集]- 西国薬師四十九霊場
- 18 久安寺 - 19 昆陽寺 - 20 門戸厄神
- 摂津国八十八箇所
- 61 安楽院 - 62 昆陽寺 - 63 大空寺
- 川辺西国三十三所
- 9 観音寺 - 10 昆陽寺 - 11 昆陽寺塔頭遍照院 - 12 昆陽寺塔頭一乗院 - 13 昆陽寺塔頭成就院 - 14 昆陽寺塔頭正覚院 - 15 白衣観音寺
- 伊丹七福神(寿老人)
交通
[編集]脚注・参考文献
[編集]- ^ ひょうご伝説紀行.ひょうご歴史ステーション
- ^ 昆陽寺(こやでら)山門.伊丹市ホームページ
- ^ 荘園は小屋庄(こやのしょう)と呼ばれ、足利尊氏は建武3年(1336年)に高野山安養院の小屋庄領有と昆陽寺による現地支配を安堵している。
- ^ 今昔物語集巻29攝津國来小屋寺盗鍾語第17(京都大学附属図書館)