明神下 神田川本店
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種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒101-0021 東京都千代田区外神田二丁目5-11 |
設立 | 創業:1805年 |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 3010001013567 |
事業内容 | 鰻料理店 |
代表者 | 代表取締役 神田茂 |
明神下 神田川本店 | |
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明神下 神田川本店 (2018年2月3日撮影) | |
地図 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒101-0021 東京都千代田区外神田二丁目5番11号 |
座標 | 北緯35度42分1.41秒 東経139度46分8.4秒 / 北緯35.7003917度 東経139.769000度座標: 北緯35度42分1.41秒 東経139度46分8.4秒 / 北緯35.7003917度 東経139.769000度 |
開業日 | 火曜 - 土曜日 |
閉業日 | 日曜、月曜、祝日、第2土曜、年末年始(7・8月日曜、ゴールデンウイーク、盆時期) |
正式名称 | 明神下 神田川本店 |
施設所有者 | 株式会社神田川本店 |
店舗数 | 1 |
駐車台数 | 0台 |
最寄駅 | JR中央線・総武線 御茶ノ水駅、JR山手線・京浜東北線 秋葉原駅、東京メトロ銀座線 末広町駅 |
最寄IC | 首都高速 神田橋出入口 |
外部リンク | http://www.kanko-chiyoda.jp/tabid/2967/Default.aspx |
明神下 神田川本店(みょうじんした かんだがわほんてん)は、東京都千代田区外神田二丁目にある鰻料理の店舗である。
概要
[編集]1805年(文化2年)に、幕府の台所に勤める賄方(まかなひかた)だった初代神田茂七が、当時、流行り始めた蒲焼に目をつけ、大根河岸に来る人足たち相手に屋台店を開いたのが始まり。現在の木造2階建の店舗は、1952年(昭和27年)に建てられた。創業当時、河岸で働く人足が相手だからタレは辛口、当時は「薬っ食い」などと言われ食べられた。鰻屋にとってタレは「命」、タレさえあれば、店が崩れても大丈夫。よしず張りの屋台店でも味は出せる。東日本大震災の時、揺れが収まるまで、つけダレの入った大きな甕を抱えていた、受け継いだタレを守るのは代々主人の役目である[1][2][3]。
タレは醤油と味醂を合わせ、2割ほど詰めたもので、使って減った分だけ、この元ダレを足している。使って足して、味に年輪ができて、独特の旨味が加わる。一朝一夕にできるものではないからタレは「命」。鰻は「裂き3年、串打ち5年、焼き一生」といわれる、白焼と蒲焼は串を打ったまま出している[2]。
「鰻の神田川」文化2年(1805)創業の江戸前鰻の老舗(店主、神田茂七)。加賀藩の料理賄い方であった三河屋茂兵衛が、葭簀張りの屋台で鰻を焼いたのが始まり。「御蒲焼」「外神田明神下神田川」と書かれた紙片が書き写されている。
— 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「鰻の神田川」より抜粋[1]
営業情報
[編集]- 東京都千代田区外神田二丁目5番11号
- 定休日 - 日曜、月曜、祝日、第2土曜日、7・8月の日曜、ゴールデンウイーク、盆時期、年末年始
- 営業時間 - 午前11時30分 - 午後1時30分(閉店 午後2時30分)、午後5時 - 午後7時30分(閉店 午後9時30分、要予約)
- 駐車場 - 無し[3]
交通アクセス
[編集]ギャラリー
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「鰻の神田川」
- ^ a b 雑誌『料理通信』「世界に伝えたい日本の老舗 服部幸應」 - 「明神下 神田川本店」
- ^ a b 千代田区観光協会 - 「明神下 神田川本店 神田茂」
参考文献
[編集]- 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「鰻の神田川」
- 法政大学大学院エコ地域デザイン研究所歴史プロジェクト・陣内研究室編『自然が育んだ江戸東京の都市文化』法政大学大学院エコ地域デザイン研究所歴史プロジェクト・陣内研究室、2007年3月
- 東京都教育庁地域教育支援部管理課編『東京都の近代和風建築 東京都近代和風建築総合調査報告書』「明神下 神田川本店」東京都教育庁地域教育支援部管理課、2009年3月
- 雑誌『料理通信』Web 料理通信「明神 神田川本店」2018年2月4日閲覧