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明福寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
明福寺
所在地 三重県三重郡菰野町菰野792-1
位置 北緯35度0分35.3秒 東経136度30分52.3秒 / 北緯35.009806度 東経136.514528度 / 35.009806; 136.514528座標: 北緯35度0分35.3秒 東経136度30分52.3秒 / 北緯35.009806度 東経136.514528度 / 35.009806; 136.514528
山号 発起山
宗派 真宗大谷派
本尊 阿弥陀如来像
正式名 発起山明福寺
文化財 円空仏(町指定文化財)
法人番号 8190005009523 ウィキデータを編集
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明福寺(みょうふくじ)は、三重県菰野町にある真宗大谷派寺院

沿革

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開基の法欽は、大和国高市郡越智の出身で、 永正の頃に伊勢へと移り住み、菰野にて念仏道場を開く。教如に帰依して、寺号、本尊、親鸞影絵を授与される。享保の頃に山門と鐘楼を建立。本堂は1854(安政元)年の大地震にて倒壊後、再建された。本堂に安置されている薬師如来/阿弥陀如来像は円空による作[1]。一材の両面に二仏が掘られた「両面仏」と呼ばれる珍しいもので、延宝2年(1674年)の作[1]。町指定有形文化財。13世住職であった賢竜の弟、大正が明治初年の廃仏毀釈により、像が伝来していたが廃寺となった伊勢の常明寺から譲り受けて、明福寺へと持ち帰ったものである[2]

文化11年(1814年)には、測量に訪れた伊能忠敬がこの寺に宿泊した[3]昭和36年(1961年)には、俳人山口誓子が当寺の住職に招かれて寺を訪れ、円空仏に感銘を受けて句を詠んだ[4]。寺には昭和51年(1976年)に建てられたその句碑がある[4]

文化財

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  • 円空作両面仏(菰野町指定文化財)[2]

脚注

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  1. ^ a b 『微笑みに込められた祈り 円空・木喰展』(2015年)、p.223
  2. ^ a b 【町指定】円空作両面仏 - 菰野町図書館円空作両面仏 | こものいろどり.com34 仏師僧・円空 - 歴史の情報蔵(県史編さんグループ)
  3. ^ みえの歴史街道/三重県の歴史街道:菰野道・ピックアップエリア1
  4. ^ a b 三重県内の句碑/句碑詳細:三重郡菰野町明福寺の山口誓子句碑