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明觀(みょうかん、天暦7年(953年) - 治安元年10月8日(1021年11月15日))は平安時代中期の真言宗の僧。醍醐天皇の曾孫で佐忠王の子だという[1]が、諸系図類には記載がないため詳細な系図は不明。醍醐寺11世座主。御齋所座主と号す。
醍醐寺の観理・元杲・慶助らに師事して永観2年(984年)4月5日に伝法を受けた。長徳4年(998年)に慶助の後を継いで醍醐寺座主に就任。寛仁2年12月26日(1019年2月3日)座主職を覚源に譲り、治安元年(1021年)10月8日に入寂した。享年69。
- ^ 『醍醐報恩院血脈』の「俗姓延喜孫子佐忠王息」によるが、『醍醐寺座主次第』では佐忠王が明観本人の俗名であるとする。また同史料では佐忠王を源高明の子という説を挙げる。