覚源
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覚源(かくげん、長保2年(1000年) - 治暦元年8月18日(1065年9月20日))は、平安時代後期の真言宗の日本の僧。花山天皇の第3皇子。母は不詳だが、一説には平平子(若狭守平祐忠女)とも言われている。法名は覚深とも表記する(『東大寺別当次第』)。宮僧正と呼ばれた。
略歴
[編集]醍醐寺の明観に師事して出家し、その後深覚・仁海から灌頂を受けた。1030年(長元3年)伝法阿闍梨に任じられ、醍醐寺座主に就任、ついで権大僧都となった。1048年(永承3年)東寺長者・法務となる。永承5年(1050年)10月、後冷泉天皇の護持僧の労により権少僧都になる。更に弟深観の後を受けて東寺長者に補任される。天喜2年(1054年)権大僧都に任ぜられる。翌年東大寺別当を兼ねる。同5年、法印に叙される。康平5年(1062年)権僧正に任ぜられる。治暦元年8月、66歳で入寂した。