星野太郎
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星野 太郎(ほしの たろう、明治3年(1870年)10月 - 昭和8年(1933年)11月25日[1])は、日本の商学者、教育者。東京商科大学(現一橋大学)商学専門部教授として簿記論や商品学を講じた。
人物・経歴
[編集]駿河国(現静岡県)で旧幕臣星野鉄太郎(のちに初代静岡市長)の長男として生まれる。東京高等商業学校(現一橋大学)卒業後、1904年同校教授に就任。下野直太郎、鹿野清次郎らと簿記・商品学を講じた。同僚の志田鉀太郎、下野直太郎、關一、佐野善作、村瀬春雄、坂本陶一、石川文吾、瀧本美夫、横井時冬らとともに明治大学商学部設立にも尽力し、1904年に明治大学商学部が設立されると商品学講師に就任。1920年に東京高等商業学校が旧制東京商科大学に改組されると、同大学付属商学専門部教授や予科教授[2][1][3][4][5][6]、同大学付属商業教員養成所主事を務めたが、在任中の1933年に死去した[7]。
栄典
[編集]著書
[編集]- 『商品學 卷之1』明治大學出版部 [明治大學三十九年度商學科第一學年講義録]
- 『商品學 卷之2』明治大學出版部 [明治大學三十九年度商學科第一學年講義録]
- 『高等小学商業科教授用書 上』(鹿野清次郎と共著)大倉書店 1905
- 『國定教科書に於ける商業事項講義』元元堂書房 1906
- 『取引所』早稲田大学出版部 1906 (早稲田商業講義 ; 明治39年度第2学年)
- 『商業史簿記』(山内正瞭と共著)中央大学 1908
- 『商業簿記』(森富治郎と共著)三友書院 1909
- 『重要商品学』大倉書店 1912
- 『小學校商業科講義録』(石川文吉と共著)學海指針社 1912
- 『商業用諸式雛形 : 小学校商業科講義録附録 』(石川文吉と共著)學海指針社 1912
- 『商事要項』(瀬谷佐次郎と共著) 博育堂 1914
- 『最新小學商業簿記』(稻葉鶴次と共著)弘道 1915
- 『商品学講義要領』明治大學出版部 1922
- 『実践商業簿記 上巻』(佐藤仁寿と共著)冨山房 1924
- 『最新商品学』暸文堂 1925
- 『新撰商品学』暸文堂 1931
- 『高等小學商業書 上』(田中滿三と共著) 彰文 1931
脚注
[編集]- ^ a b 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- ^ 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)
- ^ 天野郁夫「日本の高等教育と一橋の学問」社団法人如水会
- ^ 番場嘉一郎 「一橋会計学の系譜」社団法人如水会
- ^ 「本棚「日本商法・保険学のパイオニア 志田鉀太郎の生涯」志田 俊郎 著(文芸社、1,700円+税)」明治大学
- ^ 坂根治美「商科創設にみる私学の変容」東北大学大学院教育学研究科
- ^ 東京商科大学一覧 昭和16年度
- ^ 『官報』第3501号「叙任及辞令」1924年4月28日。
- ^ 『官報』第2074号「叙任及辞令」1933年11月29日。
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