春風亭橋之助
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春風亭 橋之助(しゅんぷうてい きょうのすけ)は、落語家の名跡。
- 桜家橋之助 - 3代目麗々亭柳橋門下。2代目瀧川鯉かんとともに「喧嘩都々逸」という珍芸で売ったという。
- 春風亭橋之助 - 後の3代目桂三木助。
- 春風亭橋之助 - 本項にて記述。
- 春風亭橋之助 - 後の2代目春風亭華柳。
本名 | 小野沢 富芳 |
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生年月日 | 1927年 |
没年月日 | 1958年6月7日 |
出身地 | 日本 |
師匠 | 6代目春風亭柳橋 |
名跡 | 1. 6代目春風亭栄枝(1952年 - 1954年) 2. 春風亭橋之助(1954年 - 1958年) |
出囃子 | まっくろけのけ |
活動期間 | 1952年 - 1958年 |
活動内容 | 古典落語 |
所属 | 日本芸術協会 |
春風亭 橋之助(しゅんぷうてい きょうのすけ、1927年 - 1958年6月7日)は、落語家。日本芸術協会所属。本名、小野沢 富芳。出囃子は『まっくろけのけ』。
来歴・人物
[編集]1952年ころに6代目春風亭柳橋門下に入門し6代目春風亭栄枝。1954年11月、古今亭今児(のちの桂歌丸)、三遊亭万遊(のちの8代目都家歌六)とともに二つ目に昇進して春風亭橋之助と改名。
1958年6月7日に31歳の若さで心臓まひで亡くなった。亡くなる前日にNHKで『辻占』を録音しており(没後の同年6月10日に放送された)、唯一現存するライブ録音とされる。
顔は色黒、大きな目、団子鼻、タラコ唇という愛嬌のある風貌であった。鉢巻でスリッパを頭に縛り付けて踊るという余芸[1]が知られた。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 『古今東西落語家事典』(平凡社、1989年)
- 『古今東西噺家紳士録』
- 『ご存じ古今東西噺家紳士録』(CD-ROM、APP、2005年)