昭和51年6月豪雨
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発災日時 |
1976年6月21日〜6月26日 |
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被災地域 | 九州〜中部 |
災害の気象要因 | 大雨(前線) |
人的被害 | |
死者 |
43人 |
負傷者 |
30人 |
建物等被害 | |
損壊 |
164棟 |
浸水 |
3,474棟 |
出典: 理科年表 2021 |
昭和51年6月豪雨(しょうわ51ねん6がつごうう)は[1]、1976年6月に梅雨前線の影響で発生した豪雨災害のことである[2]。この豪雨災害は西日本(九州〜中部)に甚大な被害をもたらし[3]、特に鹿児島県に大きな被害をもたらした[2]。
概要
[編集]1976年6月21日から26日にかけて、梅雨前線の影響で九州など西日本を中心に大雨となり、全国で43人の死者・行方不明者が出た[3]。
鹿児島県では特に被害が大きく、県内で32人が死亡した(うち鹿児島市で14人)が、そのほとんどが土砂災害(がけ崩れや土石流など)によるものであった[1][2][4]。特に鹿児島市宇宿町では高さ100メートル、幅約70メートルにわたってがけ崩れが発生し[5]、がけ崩れに2世帯9名が巻き込まれ死亡している[6][7]。
この地域に特徴的な「シラス」と呼ばれる地層が、被害を拡大させた原因のひとつであったと考えられている(いわゆる「シラス災害」であった)[2][8]。
被害
[編集]昭和51年6月豪雨による全国の被害[3] | |
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死者・行方不明者 | 43人 |
負傷者 | 30人 |
住家の損壊 | 164棟 |
住家の浸水 | 3,474棟 |
耕地被害 | 4,564ha |
農林水産業被害 | 151億円 |
脚注
[編集]- ^ a b 椿東一郎「昭和51年6月豪雨による鹿児島県の土砂および土石流災害に関する調査研究報告」CRID 1130000796606275584
- ^ a b c d “昭和51年6月豪雨災害”. 鹿児島大学. 2023年1月19日閲覧。
- ^ a b c 理科年表 2021
- ^ 春山元寿「昭和51年6月豪雨によるがけ崩れと降雨量について」CRID 1570009750642337536
- ^ 安江朝光 1976, p. 2.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 719.
- ^ “かごしま市民のひろば(昭和51年7月1日号)”. 鹿児島市 (1976年7月). 2021年4月3日閲覧。
- ^ “シラス災害”. 鹿児島大学. 2023年1月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 国立天文台『理科年表 2021年』丸善、気176(354)頁。ISBN 978-4-621-30560-7。
- 南日本新聞『鹿児島市史Ⅳ』 4巻、鹿児島市、1990年3月15日 。, Wikidata Q111372875
- 安江朝光「昭和51年6月梅雨前線豪雨による九州南部の災害」『砂防学会誌』第29巻第2号、砂防学会、1976年、A3-A4、doi:10.11475/sabo1973.29.2_A3、ISSN 0286-8385、NAID 130004295048。