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是永英治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これなが えいじ

是永 英治
生誕 (1964-03-22) 1964年3月22日(60歳)
職業 実業家著作家
肩書き

株式会社コンフィデンス代表取締役社長

一般社団法人日本セールスソリューションパートナー協会会長
公式サイト 株式会社コンフィデンス社長ブログ
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是永英治(これなが えいじ、1964年3月22日 - )は、日本の実業家著作家。東京都出身。株式会社コンフィデンス代表取締役社長。一般社団法人日本セールスソリューションパートナー協会会長。

概要

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実業家としては、営業代行の業界で評価がある[1]。著作家としては、営業職に関する著作がある。紙媒体も出版しているが、主な媒体は電子書籍

経歴

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大学中退。株式会社リクルート人材センター(現・株式会社リクルートキャリア)、株式会社テンポラリーエルダー(現・ランスタッド株式会社)などで勤め、1994年にマンパワージャパン株式会社(現・マンパワーグループ株式会社)テクニカルサービス事業部長となる。その後退社し、1998年7月28日株式会社コンフィデンスを設立。2012年1月24日社団法人日本セールスソリューションパートナー協会を設立。

生い立ち

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大学時代までは野球に熱中[2]。大学2年の夏に、会社を経営していた父が死亡し、多額の借金の返済と生活のために、大学を中退して働かざるをえなくなる[3]。父の弔いのために24歳までに独立することを決意[2]。「何の仕事をすればいいのか人に教えてくれる会社」をやりたいと思い、人材派遣業を志す[2]

父がよく交渉や営業の話をしていたため、独立には営業力が必要と考え、採用支援の会社で営業の仕事を行うなどする[3]。また、派遣会社でCADオペレーターの派遣事業を立ち上げるなどする[4]

その後、何とか起業して採用支援セミナーの運営などを行うものの、業績悪化により2年で廃業[2]。勉強不足・経験不足を痛感し、資金のやりくりや組織運営の仕方を学ぶため、転職して働きながら、再度の起業を志す[2]

34歳のとき、営業代行を行う株式会社コンフィデンスを設立。現在の事業を選択した理由として、「自分にしかできない難しいビジネスだと思ったから」と語る[3]

脚注

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  1. ^ 「トップセールスへの道 第11回 時代遅れの“ガンバリズム営業”と決別しよう!」(『ダイヤモンド・ビジョナリー』2008年9月号、株式会社ダイヤモンド・ビジネス企画)
  2. ^ a b c d e 「株式会社コンフィデンス かくして私は社長になった」(営業の転職@type、株式会社キャリアデザインセンター
  3. ^ a b c 「是永英治 株式会社コンフィデンス 学生が聞いた起業家の心」(起業家インタビューのReLife、2010年11月20日)
  4. ^ 「電子書籍著書刊行記念インタビュー 第45回 是永英治さん」(著者による座談会インタビュー、総合出版すばる舎

著書

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  • 是永英治『いつでもベストな提案ができます! 新しい営業の教科書』すばる舎(原著2010-9-21)。ISBN 9784883999507 
  • 是永英治『ダメな奴ほどよく売れる 間違いだらけの営業理論』ゴマブックス(原著2006年12月10日)。ISBN 9784777105120 
  • 是永英治『営業マンのFA(フリーエージェント)宣言―ビジネスマンがフリーエージェントする時代』イーハトーヴ フロンティア(原著2001-2)。ISBN 9784900779815 

外部リンク

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