時國益夫
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時國 益夫(ときくに ますお、1893年(明治26年)3月23日[1] - 1989年(平成元年)9月1日[1])は、日本の実業家、技術者。キリンビール代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。
人物・来歴
[編集]第四高等学校を経て、1917年東京帝国大学工学部応用化学科卒業、キリンビール入社。1933年仙台工場長。1940年取締役。1942年取締役横浜工場長。1943年監査役。1946年監査役兼企業部長。1951年取締役。1953年常務取締役。1956年常務取締役製造部長。1958年専務取締役[2]。1966年から代表取締役社長を務め、創業家として長年君臨した磯野長蔵亡きあとの経営を担い、ラガービールの品質本位路線などを進めた[3]。1967年勲三等瑞宝章受章[4]。1969年代表取締役会長[5]。1972年第7回食品産業功労賞(技術部門)受賞[6]。
親族
[編集]参考文献
[編集]- 日本工業倶楽部編『日本の実業家 : 近代日本を創った経済人伝記目録』日外アソシエーツ 2003年
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
脚注
[編集]- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』、837頁。
- ^ 麒麟麦酒第124期有価証券報告書
- ^ 山口一臣「日本ビール業界への警鐘 : 麒麟麦酒100年に見る日本ビール業界の課題」『成城大學經濟研究』第189巻、成城大学経済学会、2010年7月、15-81頁、ISSN 03874753、CRID 1050845762403652736。
- ^ 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 戦後編』(1969.01) 渋沢社史データベース
- ^ 麒麟麦酒(株)『麒麟麦酒の歴史. 続戦後編』(1985.03) 渋沢社史データベース
- ^ 第1回~第47回(昭和42年~平成26年)食品産業功労賞受賞者一覧(1) 2014/11/06, 日本食糧新聞
- ^ 江口定條 (第8版 <昭和3(1928)年7月> の情報) 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ 時國甫太郞 (第8版 <昭和3(1928)年7月> の情報) 日本研究のための歴史情報『人事興信録』データベース
- ^ “時国 益夫(元キリンビール社長、時国康夫・東京高裁部総括判事の父)死去”. 読売新聞. (1989年9月2日)
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