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曽根原 弘(そねはら ひろし、1902年(明治35年)10月7日 - 1939年(昭和14年)4月25日[3])は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台中市尹。
長野県北安曇郡大町(現・大町市)に生まれる。長野県立大町中学校、松本高等学校を経て、東京帝国大学法学部政治科に入学。在学中の1925年(大正14年)11月[4]高等試験行政科に合格し、翌年大学を卒業し、渡台する。
台湾総督府専売局書記として庶務課勤務を皮切りに、専売局副参事、台北州七星郡守、台南州虎尾郡守を経て、1933年(昭和8年)10月、台中市尹に就任した。ついで1935年(昭和10年)9月、台南州内務部教育課長に転じた。1939年4月、台湾総督府税関長在任中に死去した[3]。
- ^ a b 『官報』第3716号、昭和14年5月29日。
- ^ 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年、253頁。
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市尹 |
- 金子恵教1920.9.1-1923.2.1
- 川中子安治郎1923.2.1-1924.12.23
- 遠藤所六1924.12.23-1928.9.18
- 小島仁三郎1928.9.18-1930.3.29
- 名和仁一1930.3.29-1932.4.21
- 古沢勝之1932.4.21-1933.10.3
- 曽根原弘1933.10.3-1935.9.2
- 藤田淳教1935.9.2-1939.4.21
- 安詮院貞熊1939.4.21-1940.6.27
- 藤田正義1940.6.27-1940.10.28
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市長 |
- 藤田正義1940.10.28-1943.1.22
- 山下若松1943.1.22-1944.12.15
- 佐藤武1944.12.15-1945.10.25
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