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曽根城 (紀伊国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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曽根城
三重県
別名 曽根城、宇杉城、浄の城、つつじ城
城郭構造 山城
築城主 曽根弾正
築城年 弘治年間(1555年 - 1558年
遺構 曲輪石垣
指定文化財 市指定史跡
再建造物 なし
位置 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度 / 33.961194; 136.194306座標: 北緯33度57分40.3秒 東経136度11分39.5秒 / 北緯33.961194度 東経136.194306度 / 33.961194; 136.194306
地図
曽根城の位置(三重県内)
曽根城
曽根城
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曽根城(そねじょう)は、志摩国英虞郡[1](のち紀伊国牟婁郡)南輪内曽根(現在の三重県尾鷲市曽根町)にあった日本の城山城)。曾根城とも表記される。別名「つつじ城」など。

概要

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標高180メートル、比高178メートルの山頂に建てられた[2]。東西130メートル、南北30メートルの、10の郭があり、2箇所の掘割によって防御されていて、本丸は露出した巨岩を石垣の代用としている[2]尾鷲市の市指定史跡に指定されている[3]

歴史

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弘治年間(1555年 - 1558年)に近江国甲賀の佐々木宇右衛門(一般には曽根に来て名乗ったとみられる曽根弾正と呼ばれる)が、曽根村落内に構えた居館の裏山に築城した[2]

遺構・復元建造物

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  • 城曲輪、堀
  • 物見岩 - 石垣が残る。
  • 井戸跡 - 風雨にさらされないよう入口を塞ぎ、その上に巨石が置かれた。

周辺施設

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  • 城山公園 - 「オンツツジ 名吉花(カオヨバナ)の群生・ 城山公園」の看板あり。

アクセス

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所在地

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交通

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脚注

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  1. ^ 築城当時(弘治年間)、現在の尾鷲市一帯は志摩国に属す。桃山時代に、志摩国の東端を除く大半を、紀伊新宮城主の堀内氏善と伊勢松ヶ島城主の織田信雄が荷坂峠を境として、それぞれが紀伊国牟婁郡と伊勢国度会郡に編入した。
  2. ^ a b c 日本城郭大系』 10巻、新人物往来社、1980年、182 -183頁。 
  3. ^ 尾鷲市の文化財”. 尾鷲市. 2012年9月18日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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